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《仏教》人類全てに共通した目的

人はみな幸せを求めて生きている。選択の基準はそれだけだ。不幸になろうとしている人はひねくれたアマノジャクだろう。

学歴を求めるのも、仕事を頑張るのも、化粧をするのも整形をするものSNSをするのも官僚になるのも政治家になるのも、みな幸せになりたいという目的なだけなのだ。

物質的なものをいくら得ても、名声を得ても、内面が満たされないと意味がない。

悟りを開いたブッダは恵まれた環境にいた。王の子供だからだ。金も家柄も女も子供も健康も広い家もあったのだが、幸せな心がなかったため出家した。

どんな状況でも、どんな身分でも、幸せを感じられる心が何より大事なのだ。

みな行動が逆なのだ。
幸せを外側から固めようとしてしまっている。
しかしまず先に内面を満たす必要がある。
確かに向上心は無くなるだろうが、成果は諸行無常なので、長い目で見て成果や能力を求めることに意味は無い。

現代において答えが出ている。AIが発達し、食物には困らないでいる。しかし自殺者や精神患者は一向に減らない。
そして自分自身もゲームが好きだったが、最近は刺激をほとんど感じない。

少し前にアルバイトをしていた店に、お金持ちの老人が毎日来ていた。
話によると妻は亡くなり、独り身だったそうだ。
おそらくバブルを経験していて、相当なお金持ちだったようで、住んでいる家も立派なマンションだった。
しかし幸せそうには見えなかった。いつも怒っていたからだ。そして人との繋がりも無さそうだった。仮にあったとしても幸せになるかは本人の内面問題なので、分からないが。

対してアフリカなどの国は、貧困国にも関わらず幸せそうにしている人はたくさんいる。物質的な充実と精神状態の相関は無い証拠だろう。

ブッダから言うと、きっとだけど、みな今この時から幸せになれるのかもしれない。

世間的に見れば幸せかもしれない。だけど内面はどう感じているだろうか。

俺は《内面からくる幸せ》というのはいまだによく分からない。常に条件付きの幸せに縛られていた。
だけど、今から1兆円貰っても大して精神状態が変わらないのは予想できる。


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