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すべては鏡、自分の人生を生きること

最近、不登校の母を経験してよかったなって感じるんですよね。

不登校という現象の、ドラマの中にどっぷりと浸かっていたときは、つらさを感じるものだったけれど、目の前に起こっていることがすべて鏡として映し出してくれていること。

そうやって俯瞰し続けてものごとをみることができるようになったとき、くるしさが次々と癒しと学びに変わっていく。

深いところで腑に落ちていく感覚がありました。


わたしの学びは、自分を大切にすること、自分の人生を生きることに尽きます。『自分を大切にすること』『いつ誰どこで誰といても自由に生きること』これはわたしがずっと持ち続けているテーマ。

それをカタチにするために、娘は不登校という現象を起こしてくれたのかも、と感じています。

もっと自分を大切にしていいんだよ
もっと自分に優しくしていいんだよ
もっと楽に生きていいんだよ
もっとシンプルでいいんだよ

というメッセージが込められた出来事。


自由になることを強く望んでいたときには、娘がずっと家にいることで自由がないと感じていたときがあって。

本当の意味で自由に生きることを、自分にゆるすことができていなかったから、学校を休む娘に苛立ちを感じることもありました。

自由がないと思っていたから、自由になれないように感じる現実が目の前に現れて、自分をゆるすことができていないところがあったから、相手をゆるすことができなくて。


シンプルにシンプルに、癒されていない感情や、握りしめていた既成概念が現実にあわられただけのこと。


現実のドラマにどっぷり浸かって生きるのは卒業することにしました。
そう決めてベクトルを常に自分に向け続けたことで、目の前に何か起こるたびに揺らぐことが少なくなって、不登校という現実はかわっていなくても、毎日たくさんのしあわせや、豊かさを感じてすごすことができています。
ものの見方って、本当におもしろいものですね。

不登校という現象は、わたしと娘が共有しているものであるはけれど、娘は娘で違う世界観をもって、そこでたくさんのことを学び続けているんですよね。

そう感じられたとき、娘のことばや選択の数々にリスペクトしかなくなりました。

『この先絶対に大丈夫』という信頼が強くなったから、必要なサポートはするけれど、お互いの境界も大切にできるようになりました。

不登校はわたしにとって大きなギフト。

たくさんの経験をありがとう。

サポートありがとうございます💕 娘の夢の実現のために使わせていただきます😊✨