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何度でも読み返したいnote5

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。更新は終了しました(2024.6.10)。
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#エッセイ

謝らないことしかできない。

私の両親は、六十代で地方移住し、いまは夫婦二人で暮らしている。 田舎暮らしも八年目を迎え、もうすっかり、その町の人になった。ふだんは遠く離れて暮らし、年に何回か、顔を見せに会いに行っている。 五月の連休にも、父と母に会いに行った。静かで小さな町には海があり、山があり、広い空がある。滞在中は、いろんな路地を散歩したり、庭でビールを飲んだり、小さな畑でつくっている野菜の様子をみたり、両親にスマホを教えたりして、のんびり過ごす。母の手料理を味わいながら夫婦のいろいろな話を聞くのも

【エッセイ】悲しいとか寂しいとかとは違う涙

連休の只中、5月2日の夜に、父が逝去しました。 享年73歳、胃がんでした。 夕方に母から危篤の報を受けて、東京から急いで福岡へ。 福岡空港に着いたのは夜10時過ぎ。飛行機を降りてすぐ母に電話をすると、 「お願い、急いで。お父さんが待ってくれとる」 待ってくれとる、という言葉が何を意味しているかは、すぐ分かりました。 タクシーで急ぎ病院に向かう。 はやく、はやく。待ってくれとる。 病棟に着き、急いで受付用紙に記入しようとすると、待ち受けていた看護師さんが「受付いいですから

仕事とプライベートと私

昨年度から本格的に始めた仕事が実に面白い。 なんというか、自分たちで一から作り出したものを、少しずつ育てていく感覚に近い。おかげで仕事というものの楽しさを味わうこともできているし、今の自分に何ができるだろうと自問自答していた日々に、一つの答えを出せたような気もしている。 ずっと右肩上がりになるわけではないこともわかっている。 それでも、新しいことが始まる時はワクワクするし、準備にも力が入る。 多少休みなんてなくてもへっちゃらだ。 もちろん疲れもするけれど、ライブに行ったあと

Floating Forever│あるがままを生きる

7th Jul.2023 note を ひらく。『 今日のあなたに 』から、知らない誰かの文章を読むたびに、顔も知らないその人が、とても素敵な 文章を書く人なのだと知る。 その数を考えたことがなかったけれど、note で 文章を書いている人は、どうやら たくさんいるらしい。なかには、きっと一度も出会うことがない人もいるだろう。 その 広大な海のなかで、文章を書くことで偶然出会うことができるとしたら。そして、この先も何度も出会うことができるとしたら。それは ちょっとした、

寧ろ私が聞きたいと思いながら介護の仕事のコツについて書くなどした

介護福祉士であることを公言しているからか、SNSをしていると主に匿名メッセージサービスマシュマロを経由して質問や相談を頂くことが多い。 大体は介護の世界に入りたての方から介護職において気を付けた方がいいことは何か、避けるべきことは何か、現場にこういう職員が居るがどう対応したらいいか等。 先に言っておくが、私は役職者という立場になったことはない。打診されたことは数回あったが、全てのらりくらりとかわして生きてきた。理由はただひとつ、めんどくさいからである。役職者になることによっ

夜に爪を切る

「できれば、帰ってきてお父さんの顔を見ておいた方がいいよ」 梅雨入りの報せを各々のニュースが謳う時期だった。母からそんな連絡が届いたのは。 ちょうど2023年を迎える直前、父は医師からステージ4の癌宣告を受けた。帰省していた私に、「俺癌になったわ!」なんて明るい口調で、ふざけたように語る姿は昨日のことのように思い出せる。 それから1年半の間。何度か帰って見ても、今までと変わらぬ様子で仕事に励み、趣味のゴルフにも没頭し、禁忌なはずの酒まで浴びるように飲む姿は、私を完璧に油断さ

無駄でいてくれてありがとう

6月16日(土) のどがやられてしまったため、病院へ。 お医者さんにいろいろと訴えたら、くすりを7種類ももらいました。ちと訴えすぎたか。訴状をつくるような勢いで訴えた。告発してやった。気に入らないことがあったらすぐ帰りの会で先生に言うもん。いや「のどが痛い」だけでよかったけれど、質問されるから……。 薬局でくすりをもらい、説明を受け、さいごに「なにか質問ありますか?」と聞かれて「あの、くすりを食べる順番は……」と言うわたしに「まず、くすりは噛まずに水で飲んでください

第一次豚汁論争

皆さんは「豚汁」という存在について、いかがお考えだろうか。 先日親友と呑みに行った際、私は長年の悩みであった「豚汁の付け合わせに何を据えるか」について、ついに打ち明けた。 「晩ごはんに豚汁を作ったとして、お米とそれを並べるとあまりに見た目が簡素やんか?やからそれにお浸しとかお漬物を添えるんやけど、それでも何かが足りひん。やからいつも焼いた厚揚げを並べてそれとなくスペースを稼ぐねんけど、あまりに茶色いねん。かと言って、仮りに焼き魚を添えたとすると、その瞬間それは“焼魚定食”

永福町で過ごした日々の記憶

今から約10年前、東急井の頭線の永福町駅から徒歩数分の場所で一人暮らしをしていたことがある。 渋谷にある広告代理店に勤務していた二十代後半の頃のことだ。その前は池袋に住んでいたが、通勤の利便性となんとなく縁起のいい名前の駅名に惹かれてその地を引っ越し先に選んだ。 駅前の商店街を抜けた先には「東京のへそ」という別名を持つらしい大宮八幡宮、その奥には和田堀公園があり時々健康のためにランニングをしたり休日にコーヒーとパンを持って散歩に出かけたりもしていた。言わずと知れたグルメの

しりとりが繋いでいくもの

昨日の夜、交差点で信号が赤から青に変わるのを待っていたら、遠くから手を繋いだ親子が歩いてきた。 真ん中を歩くのは3歳くらいの男の子で、右手をお母さんに、左手をお父さんに繋がれ、地面を少しだけ浮いたように歩いている。絵に描いたような親子だ。 親子はそのまま近づいてきて、横断歩道の手前で待っている私のすぐ後ろに来た。楽しそうな声が耳に飛び込んできた。 ス・タ・ン・プ! 男の子は「スタンプ」の「プ」に音符マークでもつけたように、語尾を跳ねながらそう言った。 スタンプ?何か

人生を幸福に仕上げるコツはウインナーコーヒーにあるのかもしれない 《会社員》

「こんな簡単なこともできないのか」 会社で言われる度に落ち込んでいた。 私には、"簡単なこと"ができない。 ・・・ およそ10年前—— 特に栄えてはいないが、田舎とは言えないような町。ほどほどに人々が笑い、青ざめて見える。涙を忘れたかった日々。風に流され、空き缶が不気味に音を立てながら転がっている。 駅前の混雑も落ち着き、会社員たちが概ね出勤しきった午前10時半頃、私はゆらゆらと町を歩いていた。 太陽があまりに目にしみる。 私はくたびれたスーツを身にまとっていた

いつかドキドキがわたしを待っている

「うわあ、懐かしい」  高速道路のインターチェンジを降りて、一般道に入ったところで、わたしと夫は思わず声をそろえた。  すこし色あせた看板、ほどよい交通量の道路、趣のある建物。なにより、やわらかな町の雰囲気。  かつて暮らしていた町が、あまりにも、昔と変わっていない風貌でわたし達を迎えて入れてくれたものだから、嬉しさと懐かしさが込み上げた。  卒業制作展を見るために、数年ぶりにわたしと夫の母校のある地を訪れた。  四方を山に囲まれた、のどかで美しい土地だ。  出産を

愛をあらわせ

食べさせたいって、愛だなぁと思う。 食べることが好きでしょうがなくて、1日中食べ物のことばかり考えている。 母は毎朝5時に起きて6時過ぎに家を出て仕事へ向かう。そしてお昼頃帰ってくる。 去年の夏に帰省した時、わたしが到着するその日はいつもよりさらに30分も早く起きて、4年ぶりに一緒に食べるご飯の下準備をしてから仕事に向かったそう。おかげで久しぶりの実家に着いて早々のお昼ご飯は味しみしみの夏野菜マリネのお蕎麦が食べられた。あれはおいしかったなぁー。 どうして前夜に準備しないの

もう味がないガムを噛み続けるみたいに

2023年12月、今年もあと1週間ちょっとの水曜日。 仕事帰り夫にLINEをした。途中駅にいた夫から「おんなじ電車になりそう」とLINEが返ってきて、少し嬉しい。 同じ電車になったって駅からのほんの10分弱の帰り道が一緒になるだけだ。だけなのに一緒はうれしい。 毎回毎回、なぜだか突然の一緒はワクワクするのだ。 唐突に一緒の帰り道、いつもの倍は饒舌になる私は、たぶん後ろから見たらはずんでいるだろう。相手はただ、夫なのに。 夫が乗り込む駅で本当に同じだと確認しあった、電車