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クッキーはいかが?

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1200文字以下のエッセイ集。クッキーをつまむような気軽さで、かじっているうちに終わってしまう、短めの物語たち
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#散歩

さすれば、りんごの重さも

12月のわたしは、りんごだった。 その、なんの前触れもなく、りんごは現れた。 28〜30個って書いてある箱がふたつ。 主食を、りんごケーキ(焼いたりんごをホットケーキミックスでとじるやつ)にして、剥かれたりんごにしても、到底食べ切れる量ではなかった。 ということで、12月のわたしはりんごだった。 友達に会う予定があるたびに、かばんにりんごを詰めて電車に乗った。 重たいのに。散歩をしたいのに。 左肩にいつものトートバッグ、右肩のエコバッグにりんごを詰めて。 相手に迷惑で

こんにちは

それは、花を買った帰り道だった。 コンビニも、本屋も、コーヒー屋も華麗にスルーしたわたしは 最後に、花屋に吸い込まれる。 そうして、ひとつかふたつ花を選んで すっかり顔見知りになったお姉さんたちと、少し話をする。 天気のはなしとか ときどき洋服を褒めてもらえたり 最近は、かばんにぶら下がっているポケモンのはなしだったりする。 「いつもありがとうございます」に 「また来ます」と返す。 * 花は、袋に入れない。 花屋と自宅が近いこともあるけれど、抱えて帰りたい、と思う。

いくつもの帰り道

映画を見るために、迂回した。 「どこでも見られる」タイプの映画じゃなくて、限定されたところでしかやっていなかったから わたしは、電車に乗った。 電車に乗ることを面倒、だと思うわたしもいるのだけれど 根本的に「乗り物が好き」だということを思い出す。 乗り慣れない電車はそわそわする。眠れない。 座るときもどきどきする。 見えるところに路線図があるか、確認しちゃう。 それってやっぱり、疲れるんだと思う。 でも、そわそわして浮かれちゃう。 浮かれちゃうってことは、楽しいんだと思

ふたりの孤独

コンビニに行こう、と誘った。 それは、敵意がないという合図だった。 相手がどう思っているかはわからないけれど、この部屋の中にいるわたしは、3分の1くらいの割合で敵意を持っている。剥き出している。 家族がいる暮らしはむいてないなあ。と、これからも思いながら暮らしていくのだと思う。 そんなことを言ったら、人類であることもむいてないとは思う。 生まれた瞬間に泣かなかった、というのが自分らしいエピソードすぎて笑ってしまう。 多くの人ができることを、生まれた瞬間からできなかった。 そ

好きな花を買えばいい。1本だけでも買えばいい

最近は、コンビニでお菓子を買うような気軽さで、花を買うようにしている。 去年までは、週に1度を目安にミニブーケを買っていた。 かわいい花を、ぎゅっとひとまとめにされたときめきには、抗えないものがある。 ブーケを選ぶには、もうひとつ理由があった。 言葉にすると悲観的過ぎてしまうんだけれど、どうしても本音で わたし”なんか”が、 こんなにたくさんの中から、いくつかを選んで 花瓶に並べても、可愛くなるわけがない。 と、思っていた。 たくさんから好きなものを選ぶ、っていうのは

5メートル先の、裏側を見よ

うちの、隣の通りで工事をしていた。 よく晴れた、午後の出来事だった。 日課の散歩は、いくつかのルートを持っている。 歩きたい場所と、時間の兼ね合いで、ルートを決めたつもりが わたしはふらっと、曲がりたくなる。 または、曲がることを取り辞める。 もう少し、というのはなんと甘い響きだろう。 もう少し、行ってみようと思う。未知の誘惑に打ち勝てない。 または、少しだけさぼっちゃおう、という日もある。 その日は、行ってみよう、と歩き出したところだった。 家からはほど近いけれど、

4時26分

4時に家を出た。 * その晩、唇を噛みながらパソコンの前に座っていた。 書こう、と思った内容を、望む温度で書ききることができなかった。 こういう夜はたまにあるけれど数は少なく、訪れるとぐんと疲れる。 それでも、今日中に1本は書きたいから、と思って別の話題を引きずり出したところで、部屋の電気が消えた。 エアコンふたつと電子レンジによる停電。 パソンの再起動を乗り越え、部屋の中をぐるぐると周り、ようやく最後の一文にたどり着いたところで、部屋をノックされた。 わたしの意識は再

ときどき、夜の散歩

夜、わたしはベンチに座っている。 ときどき、夜の散歩に行く。 終電で帰ってくる人を、迎えに行く。 ほんとうは迎えなんて要らないのだけれど いいじゃないか、「お迎え」という言葉が。 するほうも、されるほうも。 わたしは外に出るのがあんまり得意じゃないけれど、 「お迎え」は魔法の言葉だ。 時間制限があるのが、いいのかもしれない。 するっとコートを羽織って、鍵とスマホだけポケットに突っ込んで マフラーをぐるぐると巻きつける。 良い季節だ。 帰り道、空がぽっかりと開くあの小道

やさしい街

心がぐん、と跳ね上がったのがわかった。 あのひかりの中を歩けるとわかったら、立ち寄らないわけにはいかなかった。 * 原宿〜表参道エリアには、なにかと縁があるような気がする。 18歳で上京して、初めて連れられた東京が竹下通りだった。 「ここが東京、竹下通りだよ!」と言われた感動は、いまでも忘れない。 五右衛門のパスタと、安くてかわいいお店に感動した。 連れてきてくれたふたりの友達は、埼玉在住だったのに。 それから10年近く経って、オフィスワークをするようになってから計3年

水槽の中を、泳いだことはないけれど

雨が降っていることに、少し焦る。 焦るわたしはまぬけだ、とも思う。 梅雨の曇天は、いつ雨を降らせてもおかしくないというのに 天気予報も見ないで、いつものスニーカーを履いてしまった。 雨に弱い靴、カバンには小さな折り畳み傘。 この日のわたしは妙に強気で、「今日は散歩をしよう」と意気込んでいた。 雨で、散歩を失ったような気持ちで、しょんぼりと歩き出す。 行き場を失った子犬みたいに。 実際、行く宛てはなかった。 持て余した時間をどうしようか考えたけれど、やっぱり散歩をすること

歩くことのすこやかさ

手持ちのいくつかを”サボる”ように、数日を過ごしてきたような気がする。 そういうのが必要な時期、というのがきっとある。 やっぱり歩こう、と思って迂回したわたしの、身体はなんだか重たい気がしているのに、不思議だ。 「歩くのは、やっぱり良い」と確信している。 夕暮れを越えたあの瞬間、 夜を迎えるための街灯と、落ちきらない陽が混ざり合って、 世界は一度、明るくなる。 沢山の人を見掛けて、そのひとつが青春の旅路の、大切な欠片のように見えた。 今日は、ひとりでいる人が少なかったか

顔も知らないあなたへ

チリン、 その音は軽く、遠くで聞こえた気がした。 ずいぶん控えめな音だった。 すぐに、自転車のベルの音だと気づいた。 そのときわたしは、工事中のずいぶん細い道を歩いていて、焦った。 反対側の道を自転車が通り抜けて行くのを見て、「ああ、あっちの自転車か」と思ったそのときだった。 「アリガトウ」 確かな声と、静かな音で、わたしの隣を自転車が通り過ぎていった。 ヘルメットに、競技用の自転車、おそらく2つ目以降の言語として習得された日本語の声。 たまたま道の端を歩いていたわ

そして好きな曲を歌って、好きなジュースを買えばいい。

最近あった嬉しいことの上位に「家の近所に自販機が設置されたこと」が挙げられる。 自販機なんて頻繁に使うわけじゃないけれど、 最寄りの自販機がそれほど最寄りじゃなくて。 今までの「最寄り」の、半分くらいの距離に自販機が現れたときには、狂喜乱舞した。 側面に動物の絵がついているのもよかった。 ときどき、ジュースが飲みたくなる。 今日は、そんな夜だった。 わたしは財布を漁って、慎重に小銭を選ぶ。 前回は120円持っていって、130円のいちごオレが飲めなかったことを、ひどく後

身軽なわたしで蹴り出して

いまのわたしは ほんの少し、浮かれて歩いている。 * 「案外重いね」と言われたことが、少し気になっていた。 友達に「ちょっとだけ持っていて」と、通勤用のカバンを預けたときのこと。 それはすごく、すなおな感想だったと思う。 そうだよね、わたしもそんな気がしていたの。 でも、持てない重さじゃないし、「要るもの」を入れているつもりだから、仕方がないの。 * 仕方がない? ほんとうに? わたしはもう一度問い掛けた。 やっぱり、カバンは重たい気がした。 仕事帰りの散歩でも