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ふたりの孤独

コンビニに行こう、と誘った。

それは、敵意がないという合図だった。
相手がどう思っているかはわからないけれど、この部屋の中にいるわたしは、3分の1くらいの割合で敵意を持っている。剥き出している。
家族がいる暮らしはむいてないなあ。と、これからも思いながら暮らしていくのだと思う。
そんなことを言ったら、人類であることもむいてないとは思う。
生まれた瞬間に泣かなかった、というのが自分らしいエピソードすぎて笑ってしまう。
多くの人ができることを、生まれた瞬間からできなかった。
それくらいの不出来で、ちょうどいいような気すらしている。過度な期待を、取り払うように。

深夜のコンビニは、どうしても欲しいものがあるわけじゃあない。
少し散歩でもしよう、の意味で
ついでにわたしは、深夜のコンビニを愛している。

あれこれ言いながらぐるぐるまわり、アイスコーヒーとおにぎりだけ買った。
コンビニのコーヒーは、友達といるときに飲むことが多い。
わたしにとっては、ずいぶんと勇敢な飲み物だった。

「こっちを通ってみる?」と言われて、正直ひるんだ。

このルートは、暗い。
とにかく暗い。
本当に電灯がない。
自転車の灯りがなければどこへも行けないくらいの土地で育ったわたしだって、ちょっとビビるくらい暗い。

でも、数少ない電灯に照らされる桜は、妙に美しかった。

わたしは雪のない土地で育ったけれど、
光に照らされる桜は、雪みたいだと思う。
夜の桜は白く、周りをふんわりと明るくさせた。

だから、桜に惹かれて暗闇を歩くことにした。

ぼんやりと桜を見て、それだけだった。
「写真を撮る?」と訊かれたけれど、「ソメイヨシノを撮るのは難しい」と理解しているので諦めた。
なんか上手に撮れないなあ、と思っていたけど、カメラマンでも難しいらしいと聞いて、それからすっぱり諦めた。

そして、真っ暗な道に差し掛かった。
本当に暗い。
照らされない桜は、迷いの森のモンスターみたいに鬱蒼としているような気がしてしまう。
人感センサーのライトがつけば、安堵の前に驚いてしまう。

それでも不思議と、前に来たときより怖くはなかった。

少し前にひとりで、ここを歩いた気がする。
夜中にここを歩くのを避けていたけれど、あの日も桜に惹かれて歩いたのだった。
信じられないほど怖くて、もう二度とここを歩くのはやめよう。と思った。そうだった。

今日は、なんだか平気だった。
それは、

それは、君がいるからだろうか。

それは、”二度目の出来事”だからだろうか。

どうしても、「君がいるから平気なんだ」と、
断言することができなかった。
そうじゃない、という気配を拭えなかった。
わたしは最後まで、暗闇に溺れることはできなかったのだ。

怖さはゆるやかになった気がした。
きっとそう思いたいだけで、道は暗いままだった。







※深夜のコンビニを愛している

※now playing

サムネイルの写真は、HANA-BIYORIのプロジェクションマッピングにて
2022年春の絵画Ver.「花を愛した画家 モネ、ルノワール、ゴッホ~デジタルで描かれる植物と絵画の世界~」より

(ほんとにおすすめ。好き)





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