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5メートル先の、裏側を見よ

うちの、隣の通りで工事をしていた。
よく晴れた、午後の出来事だった。

日課の散歩は、いくつかのルートを持っている。
歩きたい場所と、時間の兼ね合いで、ルートを決めたつもりが
わたしはふらっと、曲がりたくなる。
または、曲がることを取り辞める。

もう少し、というのはなんと甘い響きだろう。
もう少し、行ってみようと思う。未知の誘惑に打ち勝てない。
または、少しだけさぼっちゃおう、という日もある。

その日は、行ってみよう、と歩き出したところだった。

家からはほど近いけれど、あまり行かない場所っていうのは少なくない。
駅からもスーパーからも薬局からも外れた道には、あまり近づかない。

隣の通りは、まさにそんな場所だった。
駅もスーパーも薬局も、桜の木も梅の木もない。

ただそこは、もう少し歩いた先にあった。

工事をしていた。
工事の風景というのは、ぼおっと眺めてしまう。
大きかったり細かったり、何かが動いているからついつい見てしまうのだろうか。
もちろん、近くを通るときは、危なくないかも気をつける。

ああ、知らなかったなあ。
隣で工事やってたのか。
ここまで来なければ、知らなかったなあ。

ただ、それだけのことに、しみじみにしてしまう。

ああ、
来なければ、わからなかったな
見なければ、わからなかったな
ほんの、すぐ先だったのにな。

ああ、
わたしの人生ってば、なんてちっぽけなんだろう。
わたしが、見ようとしているところしか見えてない。

ああ、
わたしの人生ってば、
たった数メートル進むだけで、知らない世界に辿り着けちゃったりするんだな。

「すべてを失うには、まだ早過ぎるから」という歌詞を書いたことを思い出した。
20代の前半で、わたしはいまより素直な言葉遣いをしていた。
残酷であっても真実を、惜しげもなく語っていた。

そうだった。
いつだってそう。
まだ、すべてを失うには早い。
だってまだ、その先の通りをまだ見ていない。

もう少し、あと5メートルだけでも

走ることも、続けることも、律儀でいることも、栄えあることも、
わたしにはできないことがたくさんあるけれど。

あと5メートル先だけは、それくらいは
いつでも、進めるわたしでいられたら
裏側の通りを、覗き込むことができたならば
きっと、それだけで
わたしには、充分なのだろうと思う。






※あと5メートル走る人のはなし(ハングルース)

※バスに乗った日のはなし

※今日のBGM




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