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そして好きな曲を歌って、好きなジュースを買えばいい。

最近あった嬉しいことの上位に「家の近所に自販機が設置されたこと」が挙げられる。

自販機なんて頻繁に使うわけじゃないけれど、
最寄りの自販機がそれほど最寄りじゃなくて。
今までの「最寄り」の、半分くらいの距離に自販機が現れたときには、狂喜乱舞した。
側面に動物の絵がついているのもよかった。

ときどき、ジュースが飲みたくなる。
今日は、そんな夜だった。

わたしは財布を漁って、慎重に小銭を選ぶ。

前回は120円持っていって、130円のいちごオレが飲めなかったことを、ひどく後悔した。
今日は、スポーツドリンクを飲みたい。絶対に飲みたい。
100円玉をふたつ、握り締めて玄関を開けた。

風がびょおっと吹いている。
嵐の前みたいな風だった。
湿気がぶわりと舞い上がって、世界は黒よりも、濃くて深い青に満たされているようだった。
そうだ、これは水の中にも似ている空気だ。
冒険の匂いがして、わたしは少しだけ浮かれる。

自販機に200円入れたら、すべてのボタンが点灯して良い気分だった。
100円しか持っていないときに、100円のコーヒーを買うのもいいけれど
「ぜんぶから選んでいいですよ」と言われるのも、悪くないと思えた。
誘惑にも負けず、わたしはスポーツドリンクのボタンを押す。

そしてわたしは、引き返す。
風がまた吹いたので、小さな声で「サリアの歌」をうたった。
「ゼルダの伝説」の迷いの森で流れていたあの曲は、10年経っても20年経っても忘れなかった。

10年前も20年前も、自分が道端で歌うような女になるとは思っていなかった。
下手くそな歌を他人に聞かせるのは恥ずかしいし、上手に歌えるように努力することもできなかった。
むりだった。うまくなることも、努力することも。下手くそな歌を「好きだ」と思うことも。

おとなになると共に捨ててきた頑なさを、いまでは心地いいと思っている。
できないことができるようになった、というよりも「そのままでも別にいい」とか、「好き勝手に生きたらいい」とか、「案外、出来の良し悪しを他人は気にしていない」とか、
そういうことに、気づいてきたんだと思う。
自分の尺度でいい。
歌いたいときには歌えばいいし、自販機にだって行ったらいい。
そして好きな曲を歌って、好きなジュースを買えばいい。

わたしは夜中の、ほんの小さな冒険を終えて、妙に満足していた。



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