見出し画像

さすれば、りんごの重さも

12月のわたしは、りんごだった。


その、なんの前触れもなく、りんごは現れた。
28〜30個って書いてある箱がふたつ。

主食を、りんごケーキ(焼いたりんごをホットケーキミックスでとじるやつ)にして、剥かれたりんごにしても、到底食べ切れる量ではなかった。

ということで、12月のわたしはりんごだった。
友達に会う予定があるたびに、かばんにりんごを詰めて電車に乗った。
重たいのに。散歩をしたいのに。
左肩にいつものトートバッグ、右肩のエコバッグにりんごを詰めて。

相手に迷惑でない量と、自分が持てる量を考えると、最大で4個くらいが限界だった。
それでも、充分に重たい。
りんごだけじゃなくて、いつもの荷物もあるし。


ある日、4つのりんごを重たすぎると思ったわたしは、いつものエコバッグをかばんに戻して、ジェラートピケのトートバッグに手を伸ばした。
友達がくれた、お気に入りのかばん。

なんていうか、エコバッグが”わるい”ような気がして。
いや、”わるい”というか
エコバッグは、”エコ”だから
エコバッグの使命は、基本的にカバンに収まるコンパクトさが大切であり
重たいものを、長時間運搬することに、適していないのではないかと考えた。
そう、エコだから。

ジェラートピケのトートバッグは、マチもあって、肩のところもしっかりしていて、大きさも適切で
なんていうか、りんごくらいには負けない感じだった。
そりゃあ、本来はもうちょっとおしゃれな何かとか、そういうものを入れる前提なのはわかっているのだけれど
りんご4個の重さにへちゃむくれてしまったエコバッグと比べると、とても頼もしい感じがした。
りんごだけど、わたしはジェラピケだし。と思うと、なぜだかわたしも頼もしい気持ちになれた。


そしたらやっぱり不思議と、あんまり疲れなかった。
正しくは「不思議なくらい」であって、実際は不思議でもなんでもなくて、折り畳めるエコバッグより、布製のトートバッグのほうが圧倒的に防御力が高かった。

たぶん、いままでは猛毒状態というと失礼すぎるのだけれど
りんご4個の重さが、エコバッグを通して、そんなふうにのしかかってきたのに対して
トートバッグに変えたら、猛毒が毒に変わったというか
重たさの質(というか、重たさそのもの)が変わったように感じて、身体がうんとラクだった。


さすれば、りんごの重さも

わたしのメモには、そんなふうに残されている。

ほんの少しだけ何かを変えてみれば
それは、物事を疑うことであり、諦めないことかもしれない。
あるいは、「もうちょっとラクをしよう」という怠惰さかもしれない。
それもやっぱり「ラクをすることを諦めない」ことであり、「もっとラクをしたっていいんじゃないか」と、いまを疑うことかもしれない。

さすれば、りんごの重さも変わってゆくことを、わたしは今でも思い出す。それを忘れるべからず、と思って
1ヶ月も経ったいま、あのときの勇敢な気持ちを綴ることにした。





この記事が参加している募集

振り返りnote

散歩日記

スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎