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クッキーはいかが?

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1200文字以下のエッセイ集。クッキーをつまむような気軽さで、かじっているうちに終わってしまう、短めの物語たち
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#記憶

夜、記憶の中の君

眠れない夜、というのは必ず訪れます。 具合の良し悪しも 心のすこやかさも 関係あるときもあれば、無関係な瞬間にも 不安なときにも、楽しみに溢れるときにも おとなにもこどもにも 等しくなくても必ず、訪れるものです。 眠らなくては、と思うことを なぜだか最近やめました。 ほんとうに、なぜだか不思議に思うのです。 わたしが思い出しているのは、 もう、十余年も前の出来事なのですから。 * そのときわたしは、彼とふたりきりだったのか、 さんにんだったか、覚えていません。 たぶ

君とドーナツ

ドーナツにかぶりつきながら、思い出す。 わたしは、ドーナツが好きだった。 * 最初の記憶は、ミスタードーナツだ。高校生のとき。 高校生になって、ひとりで動き回れる場所や、学校帰りに寄れる場所が増えたんだと思う、 ひとりで勉強するときはドトールで、 友達とおしゃべりするときは、ミスタードーナツだった。 コーヒーはおかわりできたし、当時は1個100円くらいでドーナツが買えたし、「ミスドいこ」ってなるのは、当然だったと思う。 女子高生というのは、いつもおなか空いている。 大学

ポストの中身

思い返せば、最初から”手紙”が好きな子供だった。 きっかけを思い出せないから、「最初から」なんだと思う。 小学生の頃は、毎日会っている友達に年賀状を書くことに浮かれていた。 初めて文通をしたのは、中学生のころだったと思う。 母が買っていた「月刊ピアノ」という雑誌の文通コーナーを見ては、手紙を送っていた。 あの頃は、名前と住所が雑誌にそのまま掲載されていて、何度か手紙を送った気がする。 同じ時期には、ポストペットのモモとか、コモモにメールを運ばせていたし、 高校生になってイン

わたしはこの春、桜色のスカートを翻す

そういえば、と思い出す。 花柄のスカートがあった。 桜色のチュールスカートは、春になったら引っ張り出そう。 なんてのんびり思っていたら、桜が散ってしまった。 わたしはこの春、桜色のスカートを翻す 花柄のスカートは、いつだってわたしを勇敢にさせる。 花柄には、由美子ちゃんの魂が乗り移っているのだと、わたしはいまでも信じている。 由美子ちゃんは母の親友で、もうひとりの”お母さん”だと思っている。 母に話せないことも、由美子ちゃんには話せたりする。 東京に出てから、十余年も

ぜんぜん前に進めなくて、自転とも反対向きなの

「仕事」と思うと、毎朝起きれるのは本当に不思議だと思う。 仕事、あるいは約束があれば、わたしは大概きちんと起きる。 元気よく目覚めることは、できない。 朝はいつもぼおっとする。 ぼおっとする時間をたくさん確保できるほどの早起きもできないので、ラジオ体操で無理やり目を覚ます。 健康のため、ダイエットのため。 なんていうのは結局二の次で、朝手っ取り早く目覚めたいだけだった。 少しはマシになった身体を引きずって、身支度を整えながらスープを温める。 これは、おひるごはん。 あさご

思い出の灯火

生きてゆくということは、死ねない理由が増えることだ。 この、ダーク過ぎる前向きな言葉は、10代の終わりか、二十歳くらいのときに、わたしの中から剥がれ落ちた。 いま思えば、死ぬ、というよりも 「投げやりになれない」という言葉のほうが、適切だったかもしれない。 もういいや、 ぜんぶやめちゃおう 当たり前の呼吸すら見失い、立ち尽くす。 そんな夜が、幾度となく訪れていた。 それは、絶望的な出来事を引っ提げてというよりも、 なんだか急に、酸素が薄くなって、立っていられなくなる

無敵のコーヒー

「コーヒー飲も!」 懐かしい、と思った。 自販機なんかどこでもあるのに、この青い自販機は いや、”この場所にある自販機”は、特別だった。 その青さに目を奪われ、記憶と感傷がさあっと通り抜ける。 ペットボトルを選んだあと、隣を見て少しだけ後悔した。 ボスの、白缶にすればよかった。 それは、無敵のコーヒーだった。 * 「コーヒーでも飲む?」というのは、その男の口癖だった。 なぜか、毎度おごってくれた。 何かを話したいとき、 話し足りないとき、 行き詰まってしまったとき

わたしだけの、サンタクロース

12月。 近年のわたしは、少しずつイベントごとを楽しめるようになったきた。 去年は、「サンタさん、こないかな〜」「チロルチョコいっぱい食べたいな〜」と言い続けていたら、クリスマスの朝に、チロルチョコが届いていた。 靴下を用意していなかったけれど、サンタさんが靴下にチロルチョコを詰めてくれた。 朝起きたら、プレゼントがある。 その幸福を、おとなになっても味わいたい。 もうおとななので、「このおもちゃが欲しい!」という願望はない。 高級なプレゼントが欲しいわけじゃない。 欲

生まれたての記憶

あなたは、気づいていないでしょう。 ここ数週間で、わたしがいちばん”気にしていたこと”を こっそりと、こぼしていたことを。 * 数ヶ月振りの友達に会ってきた。 前回会ったのは8月で、「まつながさんとおしゃべりしたいので、うちに来ませんか?」と声をかけてもらった。 とってもうれしい。 ひとつ年下のこの友達は、いつもまっすぐ、一生懸命に話を聞いてくれる。 わたしのことを、「やさしい」と言ってくれて、「心理的安全性が高いってやつですね」と笑ってくれる。 そんな彼女を前にし

インスタントコーヒーの瓶

インスタントコーヒーの瓶を開けると、 十代の頃のわたしが、現れる。 インスタントコーヒーを日常的に飲んでいたのは、17,8歳から、20歳くらいまでのあいだだと思う。 コーヒーを飲めるようになったのがその年齢で、 20歳を越えたら、ペーパードリップに切り替えていた。 ゴールドブレンドの瓶を、わたしは何度も開けた。 高校生の時に友だちにもらった、ピンクのスヌーピーのマグカップは、他のものより少しだけ大きくて、よく使っていた。 台所が1階にある、実家の記憶が、ぶわりと込み上

明太子の、いまとむかし

わたしが、「おなかすいた」と言うとき 同居人が出掛ける前に「冷蔵庫にあるもの、なんでも食べていいからね」と言うとき 最近はときどき、「明太子があるよ」と言われる。 一度、明太子を買ってきてくれてから、わたしが気に入って食べるので、頻繁に買ってきてくれるようになった。 うれしい。 どうやらわたしは、明太子が好きらしい。 * 明太子は、特別な食べ物だった。 実家で暮らしていた頃、 北海道に住む、まりちゃんが時々送ってくれていた。 まりちゃん、は母の友達だ。 まりちゃん

雨の約束

季節は、急速に過ぎ去ってゆく。 ようやく、後回しにしていた扇風機のフィルターを掃除をした。 なんだか最近風が弱くなった気がする。 掃除をしたら、風量は3倍になった。 それは、「もうすぐ扇風機を片付けるから」なんて理由の掃除ではなかった。 もう少し働いてもらわないと困る、と思っていた。 それなのに今日、うちの扇風機は休んでいる。 そんなつもりじゃなかった。 掃除をしたのは、4日ほど前の出来事だった。 * 涼しくなったので、エアコンを止めて、窓を開けている。 わたしは今

初心のチーズバーガー

「ねえ、帰りにマック寄らない?」 買い物を終えて、夕方になる手前。 駅のホームで、買い物に付き合ってくれた弟(のような人)に提案をした。 このあとは、家で一緒にゲームをやる約束だ。 ばんごはんにはまだ早いし、おやつとして、なかなか良い提案だと思った。 「いいですね」 安定した返事が帰ってきて、スマートフォンを一生懸命に覗き込んでいた。 マックのクーポンを調べてくれているらしい。 でも、わたしは買うものを決めていた。 * 「チーズバーガーを買ってきて」 欲しいもの

夏のお中元

「お、夏のカタログギフト」 スーパーで会計をしたあと、「ちょっと待ってて」と言われてひとり残された。 わたしは、買ったものを袋に詰めて、そのギフトカタログを見つけた。 お中元の季節だ。 世の中のイベントやルール、常識といわれるものに疎いわたしだが、お中元は知っている。 こどもの頃よくもらっていた。そんな記憶がある。 父親と祖父は、大工だった。 田舎の、なんでも屋のような それでも、大工だった。 仕事上、たくさんのお付き合いがあった。 瓦屋さん、左官屋さん、水道屋さん、