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思い出の灯火

生きてゆくということは、死ねない理由が増えることだ。

この、ダーク過ぎる前向きな言葉は、10代の終わりか、二十歳くらいのときに、わたしの中から剥がれ落ちた。

いま思えば、死ぬ、というよりも
「投げやりになれない」という言葉のほうが、適切だったかもしれない。

もういいや、
ぜんぶやめちゃおう

当たり前の呼吸すら見失い、立ち尽くす。
そんな夜が、幾度となく訪れていた。

それは、絶望的な出来事を引っ提げてというよりも、
なんだか急に、酸素が薄くなって、立っていられなくなるような感覚だった。
昨日まで大切にしていたものを、今日は抱きしめていられなくなる。

捨ててしまえ、と思うたび
わたしは、この言葉を思い出していた。

「じゃあまたね」と交わした言葉。
「また一緒にやろうね」と笑顔で手を振った夜。
「だいじょうぶだよ」と背中を叩かれたこと。

そういう記憶が積み重なって、
わたしはそのひとつずつを、最後まで裏切ることができない。

わたしという個人のエネルギーが不足しているとき、
友達とか、思い出のチカラを借りて、なんとか生き延びてきた。



「この曲、懐かしいよね」と言われたとき、わたしは息が止まるかと思った。

わたしはこの曲を、友達に教えてもらった。
いまでも、iTunesに入っている。
細かいことは覚えていないけれど、「アイツからCDを借りたんだ」と、確信している。

この曲、と言えばアイツだった。
それなのに、信じられないくらい「この曲にまつわる鮮明な思い出」が出てこない。
でも、そんなことはどうでもよかった。

共に過ごした、時代なのだと思う。
大学生の頃。
明け方まで語らった部屋、
終電をなくして歩いた夜
話したことの大半は覚えていない。
そういえば君は、食パンの袋を留めるやつ…あれ、なんて言うんだろう。あれを、集めたりしていなかったっけ?

すべてが懐かしかった。
あたたかな光が灯るようだった。

それは、信じられないくらいのやさしい光だった。
光は、年々やさしくなる気がする。

もう、「あの頃に戻りたい」とは思わない。
「あの頃のほうがよかった」とも思わない。

思い出は思い出として、きちんと箱にしまわれている。
ときどきこうやって、箱を開けて、抱きしめる。

抱きしめたあと、わたしは毅然と背を伸ばす。
目の前に転がるいくつかの不安は、やさしい光に焼かれてゆく。

そうしてわたしは、照らされた道を歩き出す。
げんきだよ、と何度もつぶやく。
わざわざ「元気?」と、連絡することはなくても。
今日、君を思い出している。
君がすこやかでいてくれたら、嬉しいよ。

わたしは、あなたが照らしてくれた道を
今日も、元気に歩いています。





※友達が懐かしい曲を歌ってくれていて、少し泣いた




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