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生まれたての記憶

あなたは、気づいていないでしょう。

ここ数週間で、わたしがいちばん”気にしていたこと”を
こっそりと、こぼしていたことを。

数ヶ月振りの友達に会ってきた。
前回会ったのは8月で、「まつながさんとおしゃべりしたいので、うちに来ませんか?」と声をかけてもらった。
とってもうれしい。

ひとつ年下のこの友達は、いつもまっすぐ、一生懸命に話を聞いてくれる。
わたしのことを、「やさしい」と言ってくれて、「心理的安全性が高いってやつですね」と笑ってくれる。

そんな彼女を前にして、わたしも安心しておしゃべりをする。

3ヶ月分の近況、
いろんなことがあったけれど、いろんなことの多くは、良い方向に向かっていたり、いまはそういう時期として納得できるものだったり、
まあいろいろあるけど、「げんきでいるならば、なんの問題もないわね」とほほえみあった。

だから、あなたは気づいていないと思う。

「実はね」、とか
「相談があるんだ」、とか
「ちょっと聞いて」、とか
わたしはそういう前置きを一切せず、「最近はさあ」と、ごくごくふつうに日常を語ったその中で。

最近、靄のように気がかりのことがあった。
杞憂なのだと思うし、仕方ないし、言っても解決することではないし、うまくやっていくしかない。
わかっていたから、わたしはそのことを誰にも話さなかった。
わざわざ、話すようなことではないと思っていた。

話してみてやっぱり、わざわざ話すようなことではなかった。
求めるようなアドバイスもない。

彼女はさっきと変わらず話を聞いてくれて、
いつも通り、疑問な点はまっすぐ確認したうえで、
最後には、「それは、そうですよね」と目を見て頷いてくれた。

そうだよね。
そうなんだよ。

わたしも頷きながら、靄がさあっと晴れてゆくのを感じた。
目の前で一生懸命、話しを聞いてくれるこの存在に、救われたような気分だった。
肯定されて、「そりゃそうだよね」と頷いてもらえて、
わたしには、それだけで充分だった。

気がかりな点が、なくなったわけじゃない。
でも、ずいぶんと気持ちが軽くなった。
次はきっと、「そりゃそうだよね」と思えて、
ふたりでちぎって食べたパンが、ふわふわと甘かった、今日新しく生まれた記憶が
じんわりと、わたしを守ってくれるような気がしている。





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