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明太子の、いまとむかし

わたしが、「おなかすいた」と言うとき
同居人が出掛ける前に「冷蔵庫にあるもの、なんでも食べていいからね」と言うとき

最近はときどき、「明太子があるよ」と言われる。

一度、明太子を買ってきてくれてから、わたしが気に入って食べるので、頻繁に買ってきてくれるようになった。
うれしい。
どうやらわたしは、明太子が好きらしい。

明太子は、特別な食べ物だった。

実家で暮らしていた頃、
北海道に住む、まりちゃんが時々送ってくれていた。
まりちゃん、は母の友達だ。

まりちゃんが送ってくれる明太子は、いつもつやつやしていて、美味しかった。
「熱々のごはんに乗せて、バターと醤油をかけて食べるのがいちばんおいしい」というのも、母がまりちゃんから教わったことで、我が家ではいつもそうして食べていた。
なんとなく、今でもそうやって食べちゃう。禁断の美味しさ。

実家を出てから、自分で明太子なんか買ったことなかったのに
最近は、たくさん食べられて嬉しい。

母から、大学時代の話を聞くのが好きだった。
それは、東京の話で、いつもわたしをわくわくさせた。

あれからもう何年も経って、わたしも東京の大学を卒業した。
母は、まりちゃんとか、大学時代の仲良しの友達の事を「同じ釜の飯を食った人たち」と表現をしていた。
なんだかそれがすてきだなあ、と思っていたけれど
わたしにも、「同じ釜の飯を食った」仲間ができた。

母はいまでも、まりちゃんと友達だ。
LINEでやり取りして、Facebookでお互いの近況を覗いているようだ。

わたしは、高校生の時に北海道に行って、まりちゃんに会った。
(まりちゃんの結婚式にも行ったと聞いているけど、子供過ぎて覚えていない)
その後、何度か会っている。

わたしも、Facebookでは”お仲間”に加えてもらって、
まりちゃんはわたしの記事に、よく「いいね」を押してくれる。

そしてわたしは、明太子が大好きなおとなになっていた。

いま、静岡で明太子を食べている頃のわたしに会えたら、「未来は明るいよ」と言えるような気がする。

思い描いてたほど、格好良い未来じゃないかもしれないけど。
悪くない未来だよ、と。
まあ、不安もあるけど。

でも、明太子は美味しいままだよ。







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