見出し画像

雨の約束

季節は、急速に過ぎ去ってゆく。

ようやく、後回しにしていた扇風機のフィルターを掃除をした。
なんだか最近風が弱くなった気がする。
掃除をしたら、風量は3倍になった。

それは、「もうすぐ扇風機を片付けるから」なんて理由の掃除ではなかった。
もう少し働いてもらわないと困る、と思っていた。
それなのに今日、うちの扇風機は休んでいる。

そんなつもりじゃなかった。
掃除をしたのは、4日ほど前の出来事だった。

涼しくなったので、エアコンを止めて、窓を開けている。
わたしは今朝、雨を見ている。

雨を見たら思い出そう、と決めた感情があった。
そんな記事を、書いたと記憶している。

振り返ってみたら、6月の中頃の出来事だった。

「思い出そう」と決めていた感情の詳細が思い出せなかったので、自分で記事を読み直した。

雨は、ずっと見ていられる。
でも、今までの人生で「のんびり雨を見る」ということを、あまりしてこなかったことに気がついた。
この気持ちを、ずっと覚えていたい。
雨が降るたびに、
いや、何回かに一度でもいい。
雨が降っていて、
もしわたしがふさぎ込んでいるような未来が来たら
雨音に耳を傾ける余裕すら失う日がきたら、
ざあっと強制的にカーテンを開けて、5分でいい。
雨を見つめて、正気を取り戻したい。

「正気を取り戻したい」という言い回しが、なんともわたしらしくて好きだなあ、と思う。

今朝、わたしは正気を保ちながら雨を見ている。

あの日みたいに、降り注ぐ雨のひとつひとつを、網戸越しに確かに見ている。

“正気”と、あの日のわたしがいった、その意味を、なんとなく理解できているつもりだ。
「大丈夫だよ」と思いたかった。
大丈夫にしたかった。
でもきっとあのときは、「何をすれば大丈夫になるのか」あんまりわかっていなかったと思う。
いまは、ちょっとわかる。
なんとなく、「生きる気力」みたいなもので、かんたんに言ってしまえば前向きな気持ちで、わたしはいまそれを、持ち合わせている。

3ヶ月前のあの日と、いまのこの部屋と、どっちが寒かったんだろう。
わたしはもう、思い出せないけれど

雨を見ている。
正気を保って、時間をかけて、まっすぐと射抜いている。

ああきっとこれは、
わたしが欲しかった未来、なのだと思う。




スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎