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雨の約束
季節は、急速に過ぎ去ってゆく。
ようやく、後回しにしていた扇風機のフィルターを掃除をした。
なんだか最近風が弱くなった気がする。
掃除をしたら、風量は3倍になった。
それは、「もうすぐ扇風機を片付けるから」なんて理由の掃除ではなかった。
もう少し働いてもらわないと困る、と思っていた。
それなのに今日、うちの扇風機は休んでいる。
そんなつもりじゃなかった。
掃除をしたのは、4日ほど前の出来事だった。
*
涼しくなったので、エアコンを止めて、窓を開けている。
わたしは今朝、雨を見ている。
雨を見たら思い出そう、と決めた感情があった。
そんな記事を、書いたと記憶している。
振り返ってみたら、6月の中頃の出来事だった。
「思い出そう」と決めていた感情の詳細が思い出せなかったので、自分で記事を読み直した。
雨は、ずっと見ていられる。
でも、今までの人生で「のんびり雨を見る」ということを、あまりしてこなかったことに気がついた。
この気持ちを、ずっと覚えていたい。
雨が降るたびに、 いや、何回かに一度でもいい。
雨が降っていて、 もしわたしがふさぎ込んでいるような未来が来たら 雨音に耳を傾ける余裕すら失う日がきたら、 ざあっと強制的にカーテンを開けて、5分でいい。 雨を見つめて、正気を取り戻したい。
「正気を取り戻したい」という言い回しが、なんともわたしらしくて好きだなあ、と思う。
*
今朝、わたしは正気を保ちながら雨を見ている。
あの日みたいに、降り注ぐ雨のひとつひとつを、網戸越しに確かに見ている。
“正気”と、あの日のわたしがいった、その意味を、なんとなく理解できているつもりだ。
「大丈夫だよ」と思いたかった。
大丈夫にしたかった。
でもきっとあのときは、「何をすれば大丈夫になるのか」あんまりわかっていなかったと思う。
いまは、ちょっとわかる。
なんとなく、「生きる気力」みたいなもので、かんたんに言ってしまえば前向きな気持ちで、わたしはいまそれを、持ち合わせている。
3ヶ月前のあの日と、いまのこの部屋と、どっちが寒かったんだろう。
わたしはもう、思い出せないけれど
雨を見ている。
正気を保って、時間をかけて、まっすぐと射抜いている。
ああきっとこれは、
わたしが欲しかった未来、なのだと思う。
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