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ポストの中身

思い返せば、最初から”手紙”が好きな子供だった。

きっかけを思い出せないから、「最初から」なんだと思う。
小学生の頃は、毎日会っている友達に年賀状を書くことに浮かれていた。
初めて文通をしたのは、中学生のころだったと思う。
母が買っていた「月刊ピアノ」という雑誌の文通コーナーを見ては、手紙を送っていた。
あの頃は、名前と住所が雑誌にそのまま掲載されていて、何度か手紙を送った気がする。
同じ時期には、ポストペットのモモとか、コモモにメールを運ばせていたし、
高校生になってインターネットで知り合った同年代の友達とは、やっぱり文通をしていた。

手紙は、どうしてもわくわくした。
実家のボロボロのポストを何度も覗いたことを、今でも覚えている。
「今日は何もなし」と確認したあと、階段の上に手紙を見つけると嬉しくなった。
なぜだか、郵便物は階段の上に置く決まりがあった。

そうしてわたしはそのまま、「手紙が好きなおとな」になった。

おとなになったわたしは、背筋を伸ばしたふりをして歩く。
おとなのフリ、をしているのかもしれない。

仕事に向かうある晴れた日の朝、わたしはポストを開ける郵便局員さんを見掛けた。
晴れている日、駅までに向かうあいだにひとつだけあるポストは、いつも明るく輝いている。
この季節は花壇に花がたくさん咲いていて、花の色とポストの色があいまっているようで、いつもよりも明るく見えた。

小学生の頃、「ポストの中身」みたいな授業があった。
あの中身は、どうなっているんだろう、という話だったと思う。

そういえば、見たことがない。
見たことがないけれどどうやら、あの中には袋が入っていて、そこに手紙が貯まる仕組みらしい。

小学生のわたしは、家の近くのポストで待ち構えた。
そしてやってきた郵便局員さんに、「中を見せてください」と言ってお願いをした。
おじさんは、笑ってポストの中を見せてくれた。

袋はなかった。

いま思えば、当然のことだとわかる。
大変に田舎のポストで、投函口はひとつ。周りには数少ない民家だけ。
車移動が主で、ポストを使う際も、きっとみんな、スーパーやコンビニの近くのポストを使うんだと思う。
わざわざ歩いて、あそこのポストを使う人は少なかったはずだ。

「袋、なかったよ」

翌朝学校で、わたしは自慢げにそう言った。

おとなのわたしは、駅に向かう足を緩めずにポストを見つめる。
ポストの中には、きちんとオレンジ色の袋が入っていて、なぜだか妙に安心した。

それでも、ときどき思い出す。

実家の近くの、小さなポスト。
手紙を入れると、ポストの”床”にカコンと手紙が落ちる音。

あの頃からやっぱり、手紙が好きだったんだと思う。





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