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【 雑誌のお仕事 】突然だった。ひよひよライターが人生をガラリと変えた取材ネタ 2

一回の記事で、テーマの全容が書けるかなーと思っていましたが、激甘なアマチュアでした。。。こういうときは、話の流れをばっさりいってしまうか、ちょっと卑怯な技ですが、都合よくタイトルを変えちゃうか、、。笑
もう、シーズンいくつになるかわからないけど(できれば3回までには終わらせたい、切に)書くだけ書いてみるか。前回の記事↓

↑↑↑ バナーは、自己紹介というかお許しというか。


ヒーリング、リラクシングなことを紹介する雑誌なのでリラックスだったのですが、(フリーランスで)僕が入ったあたりから、しーーね編集長御大が「あのねー、初期のポパイのような雑誌にしたいんです」と号令がかかり、ファッション、カルチャーをカタログで紹介するスタイルにチェンジした。キャップ特集、ウエストバッグ特集ってのがあったのですが、毎月、渋谷・原宿から僕と同じひよひよライターたちがごっそりかき集め、見開き45アイテム前後は掲載していたんじゃないでしょうか(こういう特集の撮影の苦労、文章の書き分けの大変さ、お察しくださいませ)。で、当然、今回のまるごと一冊、吉田カバン(下の長い吉に変換できないので以下よしだ)も、御大は「よしだカバンにあるバッグは全部紹介しないと意味がない!」にこだわり、本誌と同じ系譜を踏んだカタログスタイルに。で、ご挨拶した翌週から吉と田の間にポーターマークが入った大型段ボールが編集部にボコボコ、そしてボコと届き、別冊作りがはじまったのです。

「自立する」がバッグ選びの項目になったは、よしだカバンのおかげ?


カタログスタイルは毎度ながら撮影地獄。M家(=ハウス)の地下スタに何連泊しました!仮眠は厚手のカポック2枚敷き!って話は当たり前すぎるので、よしだカバンの撮影ならではの小さな小さなエピソードを。
まず、ハンドルに丸芯などを入れているものが多く、重ね合わせると持ち手が立ってくれるので、それが非常にありがたかったんです。細かーーいことすぎて、ふざけているように思われるかもしれませんが、本当に強く印象に残っている。笑 握りやすく長時間持っていても疲れにくい、その作りの良さが撮影時にも役に立ってくれたのです。笑 バッグの撮影って、ショルダーベルトとハンドルの取り回し(カッコよく見せる立たせ方、寝かせ方、垂らし方)にとにかく時間がかかり、隠して留めていた両面テープがはらりとはずれようものなら、同じく疲労困憊絶賛中のカメラマンとよく、テメぇ、コロす!と口喧嘩がはじまりましたね。

撮影などで何日徹夜とか、雑誌の仕事あるあるだと思うのですが、昔、トップスタイリストのつーーーさん(お髪の長い)とこの手の話になったとき、若手時代、ポパイで、ネクタイ500本のコーディネイト物撮りで約1週間地下スタジオにいた、と言われたときは心地いい敗北感でした。笑

そう、ここで書いておかなきゃいけないことは、よしだカバンのバッグって、ほとんどのモデルが「自立する」んです。今だと、バッグ選びのキーワード(特にメンズ)に、A4ファイルが入るか否かと同じように、必ず自立するかしないか、が商品紹介のポイントで記載されています。ただ、当時は全然フォーカスがあたってなかったんですよねー。
媒体側も特に触れず、買う人の判断、好みでしょ、程度のキーワードでしたが、この撮影のときに感じた「自立する」という視点を後々のバッグ原稿には必ず入れるようにしていましたね。そのかいあってかわかりませんが、2~3年後、雑誌ビや雑誌モノなんちゃらで、自立するというキーワードでくくったバッグ特集があったのを覚えています。(レザー含む)ビジネスカテゴリーのバッグでは比重の大きい購入動機でしたが、カジュアルバッグにまでその作りのこだわりを落とし込んだのは吉田ならではだと思うし、今の雑誌やまとめサイト、ECページの商品紹介で「自立する」がセールスポイントになったのも、よしだカバンの存在があったからだと僕は思っています。

ひよひよ(よしだカバン)とひよひよ(僕)の本作り


誌面作りの僕たちも激務でしたが、よしだカバンもかなりしんどかったと後でききました。それまで、シーズン展示会に来る取扱店へ渡す絵型(線でカバンが描かれているもの)がカタログ代わりで、社内でも全シリーズの整理整頓がされていない状態でしたし。リリースしている商品、全カラーを全部揃えるっていうのも初めてだったらしいのです。前回も書いていますが、(当時は)メディアとの遠い距離感、プレス活動の優先順位が低く、ザ・下町のカバン屋さんでしたが、とにかく全力で付き合ってくださいました。

僕が担当した作業の中で一番難航したのはとにかくバッグの取材。昔からあるシリーズは特にコンセプトや特徴を意識せずデザイナーの感性で生み出したものが多く、またそれが退社された方の企画だったりするとさらにやっかいで。。。その点、企画室の中堅メンバーがデザインしたバッグは、工具入れをヒントに作られたシリーズや、素材の良さに惚れ込んで企画した商品など、深く取材したいものばかり。ただ、取材に不慣れなデザイナーの方々はなかなか言葉にできず、かなり僕のほうから質問責めしちゃいました。すいません。。。でも、質問し続けると、ハンドルと本体の付け根は特殊な縫い方、通常の工場は嫌がるけど(吉田のモノづくりの姿勢に共感してもらって)無理言って仕上げてもらっています、ファスナーもテイストに合わせてオリジナルでプルを作っています、D環、バネフックもわざとペンキが剥がれてエイジングするようにしてて、ボンディングの厚みも本体、底、マチで変えているんです、とか、聞いててワクワクするようなこと、見落としそうな細かいディテールををたくさん教えてもらいましたね。

デザイナーにとっては日常、当たり前なので特別に話す必要がないと思っていたバッグ作りへの思いが、実は僕にとって取材価値が高いことばかりだったんです。こういう話を聞くと、あーー読者に教えてー!ってなりますよね。この感覚が雑誌の仕事の中でも好きだった部分かもなー。

マッチョ外国人がカバンを抱えている絵面、しかも上半身裸で


そう、その絵面はよしだカバン別冊の表紙の写真。表紙は編集長のもの、と、よく言いますが、、、なので、言うに忍びないですが、なんじゃこりゃぁ!が第一声。笑 僕がカバン撮影しているときか、取材難航で苦しんでいるときかわかりませんが、御大含めた別チームが撮影を敢行していたようで。表紙の色校をみせられたとき、心の中で、テメぇ、コロす!でした。笑
ちなみに、裏表紙は雰囲気があって好きでしたね。夕焼けバックにロープが浮かんでいる写真。よしだカバンの純広扱いで個人的には間違いなくコチラが表紙だったと思います。笑 これも御大チームが撮影したもので、最初の打ち合わせのときに聞いたひとつのエピソードがイメージでした。

関東大震災のとき、創業者の吉蔵氏(当時は修行中)が、1本の紐に鍋ややかんを端からくくり付け、同じやり方で、見える範囲の家財道具を次々にくくり、それらをまとめて肩から掛けて多くの荷物を運び出した。その体験が、道具としてのカバンの重要性、今なろうとしているカバン職人としての心構えになったという話だった。いわゆるよしだカバンの原点。

はじめはエピソードのように(御大自ら)紐を宙に投げてやっていたらしいのですが、写真には全く写らず、しかも軽いので広がらず、で、だんだんと紐を太くしていって、最終的にはそれなりの太さのロープ(!?)になってしまった、という撮影こぼれ話も付け加えておきます。


そんなこんなで「吉田カバン 全部みたい!! 大図鑑」は出来上がったのですが、この期間は本誌をやっているときよりも2倍も3倍も経験値が高くなった気がしましたね。あの本があったから、僕自身、雑誌の仕事を続けてこれたし、幾度のリニューアル?アップデート?して続く、その後のリラックスの根幹にあたる本のひとつだと勝手に僕は思っています。勝手にね。

人生をガラリと変えた取材ネタ=よしだカバン別冊、ってのは間違いないのですが、まだこのときは、残念ながら、人生がガラリと変わったという体感はなく、勉強させていただきました、経験させていただきました、稼いだぜ!、しかなかった。あれ?気づいてました? 前回と今回合わせてポーターというブランド名がほとんど登場しなかったことを。。。

あーーーー! もう3000文字超えてるじゃん!新入社員は研修で馬蹄形コインケースを作る話とか書いてないけど、ちょうどアレルギーが出はじめたので、このへんで一回シメておこう。つづく。

次回で終わらせるぞー! ほんと、他の記事に比べて読みにくぅーし。
ま、いっか。

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