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常に変化し続ける組織に 辞めずに世代交代 “後援”という関わり方

「組織の新陳代謝」HandiHouse projectのある創業メンバーは度々ミーティングでこの言葉を口に出していた。新卒や中途採用の若いメンバーが増えていくにつれて、自分のちょっとした発言にすら力を持ってしまうのではないのか。それがあだとなり、チームが時代の流れに合わせて変化できなくなり、勢いが停滞してしまうことを危惧していた。

そこで決断したのは、HandiHouse projectを辞めるのではなく、「後援」という立場になって組織の中心から外れることだった。

普段は個人で活動をしながら、時にチームとなってプロジェクトに取り組む建築家集団「HandiHouse project」
2022年に改めて活動方針を見直す過程で、「後援」という関わり方を提案した、ある創業メンバーの思いをご紹介します。

photo by 佐藤陽一

坂田裕貴(さかた ゆうき) ※写真中央
HandiHouse project 創業メンバー。株式会社a.d.p 代表。建築・内装の設計を中心に空間づくりを行う。2023年、HandiHouse projectの若手メンバーの後ろに回ってサポートや応援をする「後援」というポジションをつくり、自らが初めての後援メンバーとして何ができるのかを構想中。

中田裕一(なかた ゆういち) ※写真左
HandiHouse project 創業メンバー。株式会社中田製作所 一級建築事務所 代表。神奈川県湘南エリアに根ざし、地域に密着したものづくりを展開している。高気密高断熱などの機能性を重視した家づくりや、タイニーハウスやキッチンカー、サウナ小屋など、幅広い分野の建築を手がける。新卒から経験者まで、若手建築家の育成にも力を入れている。

森川 尚登(もりかわ なおと) ※写真右
大学卒業後、内装デザインの会社で営業として勤務。設計から施工までの全てを一人の担当者が行う家づくりに惹かれ、2019年、Handihouse projectに参画。メンバーの山崎大輔が率いるDAY’Sに所属しながら設計施工を学ぶ。2023年独立。同世代のメンバー寛野雅人とともに“チームでつくるものづくりの良さ”を伝えたいと活動中。

聞き手 石垣 藍子(いしがき あいこ)
企業や団体の広報PRをで行うフリーランス。HandiHouse project 広報PR。自身の家もHandiHouse projectに依頼し、庭にウッドデッキを作った。最近は、メンバーへのインタビューを行いながら、組織やコミュニティ運営の仕組み作りにも携わっている。

HandiHouse project(ハンディハウスプロジェクト) ※以下ハンディ
「どんな家にしようか」という最初の妄想から作る過程まで、プロジェクトオーナー(施主)と一緒に“施主参加型の家づくり”を提案。設計から施工まで、すべて自分たちで行う建築家集団。合言葉は「妄想から打ち上げまで」所属メンバーが会費を支払い、みんなでハンディを運営する。年齢やバックグラウンドも様々。普段は個人で活動をしているが、一人でできないプロジェクトはチームを組んで取り組む。

若手が主体的に組織を動かしていくために必要な「世代交代」

石垣:チームで大事にしていくことは何なのか、居心地の良いコミュニティを目指すためには。2022年、ハンディでは、活動方針をメンバー全員で話し合ってきました。(活動方針決定への裏話はこちら
その中で、坂田さんは、中心メンバーから一歩離れた「後援」というポジションを提案しました。

坂田:最初は、“卒業”という言葉を口にしましたが、なんか自分の考えていることとちょっと違うなと。辞めたいわけじゃない。でも、もう中心となって意見を言ったり、活動をしたりしたいわけでもない。これって、一般の会社だとどんな立場の人になるんだろうなと思って考えていたんですよね。

石垣:あまり聞かないですね。卒業した人たちがその後も会社に関わり続ける「アルムナイ」というのは聞きますが。

坂田:一般的には、もうハンディのビジョンやミッションに沿ったものづくりをしないとなった場合、ハンディを辞めるっていうことになると思うんですよ。

坂田祐貴

坂田:でも、1年間みんなの意見を聞きながら話し合う中で、ハンディは会社ではなくてコミュニティに近い組織だよねっていう話になって。もしかしたら、“一歩引いた立場の人”とも繋がっている状態があったほうが、コミュニティとしてはより盛り上がるんじゃないかなと。その“一歩引いた立場の人”の最初の一人目になってみようかなと思ったんです。

石垣:敢えて“辞めない”選択をしたんですね。

坂田:実験のようなものに近いです。創業から12年も続いたわけだし、そこできっぱり関係を切るにはもったいないくらい面白いコミュニティで。

初期メンバーの5人。今では22人の団体に。

坂田:ハンディの目指す方向性は好きですし、面白いメンバーばかりなのでこれからも近い場所で応援したいチームだと今も思っています。

でも、12年前と同じやり方でこのままずっと続けるのもつまらないし、僕自身が今後目指したいものづくりの方向性と乖離していっていることにも気づいて、違和感を感じて。だったら自分は離れてみよう。もしかしたら世代交代のきっかけになるかもと思って。

創業初期の現場にてオーナーさんと記念撮影。当時は、創業メンバー全員で一つの現場を担当することも多かった。

坂田:創業メンバーがいつまでも中心となって意見を言ったり、若手に動くように指示しているようなコミュニティでは、近いうちに衰退していくと思うんですよね。若い世代のほうが、現場でオーナーさんと接している時間が長かったり、今オーナーさんが求めているものや時代のニーズにも敏感だと思っていて。

オーナーさん家族と友人たちと一緒に家づくりを楽しむ入社3年目のえりこ。

坂田:創業メンバーを始めとするベテランメンバーは後ろに回って若い世代の意見を聞いて、それを実現するためにはどうしたらいいのかを一緒に考えてあげることが大事なのかなと。

石垣:若い世代の背中を後押しする人。それが坂田さんが選んだ「後援」なんですね。

坂田:そうですね。ハンディって、僕の中では常に新しいことに挑戦できる場がある柔軟な組織だと思っているので、どんどん組織も新陳代謝していったほうが良いと思っていて。僕からみんなへの新しい提案として「後援」の話を出してみました。

裕一:もうハンディが推奨している、施主参加型の家づくりはしないということかな。

坂田:そうだね。既に僕に声をかけてくださった施主参加型を希望するオーナーさんには、若手メンバーを紹介していて。僕自身は建築の分野で、また新しいことをやっていきたいなと。今後のハンディに関しては、所属は継続しながら自分に求められることをやったり、若手の応援をしていきたいなと思っています。

石垣:具体的には、後援って何をする人になるんですかね?

坂田:そこのビジョンはあんまりないです(笑) 今僕が、後援メンバーになることに対して必死に考えることはしなくてもいいかなと。


2023年4月、新メンバーが加わり22人に。2022年に1年間かけて全員で話し合い活動方針を見直す。「個人のためのチーム」としてハンディを運営することを明文化し、活動方針に入れた。

坂田:組織の中で、自然発生的に後援の人が必要な場が生まれれば挑戦してみるし、そもそもハンディのコミュニティにおいて、後援メンバーっていうのはいらないのかもしれないし。僕個人がいらないのか、後援の枠がいらないのか。そういうことも考えながら試してみたいです。

石垣:坂田さん自身には、後援に回ることで何かメリットはあるんですか?

坂田:僕は、常に今自分が関わっているものの中で、新しいことや面白いことができるところって何だろうって探っていて。色んな分野でのプロフェッショナルな人たちとの間で生まれるものや新しい考え方に触れる機会を大切にしていて。ハンディもその一つです。

EMARFのワークショップのため製作をする様子。建築の幅を広げて学びは続いている。

坂田:自分がやったことないことや、知らないことをやってみたくて、そのために、若い人との繋がりを絶やしたくないんですよね。ハンディは、特に個人事業主で活動している若い人の勢いがものすごいので、自分自身もその刺激を受けながら変化できるんじゃないかなと。このコミュニティの中で、僕が想像もつかないような新しい発想に出会えることを期待しています。

若手メンバーと一緒に施工する坂田(写真右)
宮古島の現場では、泊まり込みで若手メンバーとの会話を楽しむ。
横浜国立大学建築学科での講義も担当。建築分野での新しい選択肢を学生たちに提示している。

石垣:一緒に創業した人が後援という立場に代わることはどのように感じていますか?

裕一:めちゃくちゃ自然なことだなと思っていて。

それぞれ環境もひととなりも経歴も違うので、スタートが同じでも、徐々に道を変えていっていいし同じ方向へ行く必要がないと思うので。

石垣:ハンディを辞めないで繋がる形を選んだことに対してはいかがですか?

裕一:辞めないっていうのもわかります。わかるわかる、 すごくわかる。辞めない方がいいと思う。

中田裕一

裕一:坂田くんがハンディに存在しているっていうだけで全然違う。迷ったときに、坂田くんはこうやってたなって思ったら、気軽に相談もできるし。今後、坂田くんは別の場所で費やす時間が増えていくわけですよね。よりグレードアップした坂田くんが関わってくれると、面白いメンバーがハンディにいることにもなるので、そういう人がどんどん増えていっていいと思うんですよね。

石垣:確かにそうですね。辞めたら繋がりって続けにくいものですか?

裕一:約束なしに気軽に顔を合わせる機会はなくなりますよね。約束すればいいじゃんって思う人もいるのかもしれませんが、ちょっとした気軽さって結構重要で。辞めてしまえば、今日のような形で顔を合わせるようなこともなくなりますしね。チームにいてくれるっていうだけで違うと思います。

サスティナブルなチームに必要不可欠な“若手のエネルギーと感性” 

石垣: 一方で裕一さんは、後援とは違う立場で世代交代を目指すそうですが。

裕一:組織の成長と自分自身の成長のために、若い人を迎え入れて自分が後ろに回ってサポートする側になっていくことは大事だなと思っていて。毎年、新卒の人を中田製作所で採用するようにしています。ハンディをやっていて思ったのは、若いときのエネルギーと時間の使い方のほうが、オーナーさんと密にコミュニケーションを取りながら時間をかけてつくるといったハンディのやり方にフィットしているなと。ハンディのオーナーは、30代~40代の方が多いのですが、オーナーさんと同世代か、少しオーナーさんの方が年上だったりするほうが、お互いに意見を言いやすいと思うんですよね。ハンディが目指す、オーナーさんに参加してもらって主体的に家づくりに取り組んでもらうことが実現しやすい。

オーナーさんと中田製作所所属の若手メンバー3人。現場でのお昼休憩の一コマ。

裕一:自分はどんどん年を取っていって、いずれは現場から離れていくだろうっていうのは前々からわかっていたので。若い子たちに引き継いでいけばハンディ自体は消えないんじゃないかと思ったんですよね。

石垣:そういう思いもあって若手の育成に力を入れているんですね。でも、新卒で現場未経験の人を育てるって、なかなか時間も労力もかかりますよね。

裕一:そうですね。最初に新卒のたいち(メンバーの佐伯太市)を入れたのは、僕が30歳の頃でした。8年前ですね。当時は子どももいなかったし、まだギリギリたいちの成長のために時間を費やる状況にあったことも大きかったと思います。あの頃は、たいちといる時間が家族と一緒にいる時間よりも遥かに長かった(笑)

佐伯太市(写真右から2番目)が加わって中田裕一(写真右)は常に現場を共にした。オーナーさんと一緒に家づくりを楽しむ2人。

裕一:たいちが、できることが増えてどんどん成長していくのを見ていて、すごく嬉しかったですね。その過程で僕も成長できた。自分一人でつくる方が正直言って楽ですけど、できるようになるまで何度も教えて。1だったものが2に増えていくような喜びもあって。

石垣:人を育てる過程で自分自身も成長できる。

裕一:そうなんですよ。教えるっていうのはやっぱり難しいなと。自分でやった方が早いし、スムーズに行くけれど、敢えてやらないで待つとか。さらに、それぞれ個性や特技がそれぞれ違うので、そこをどうやったら活かせるだろうと考えたりも。一人でやってたときはそんなこと考えたこともなかったけれど、面白いと思いました。チーム内にいろんな人がいることが好きで、いつも刺激をもらっていて。そういった意味でも、人を育てることにすごく興味が沸いて、毎年新卒を入れています。

2023年に新卒で入った2人。中田製作所に所属する川尻将弘(写真左)、スタジオピースに所属する勝又なつほ(写真右)

裕一:ライフステージの変化で時間の使い方が変わる中、何かしら成長や進化をするために選んだ道の一つが、人を育てることだったんですよね。今個人事業主でやっている子たちも、ライフステージはどんどん変化していくので、自分の時間をたっぷり持てるうちに人を育てる経験を一度してみるのもいいかもしれませんね。

そして、そんなたいちは今年独立するんですよ。

石垣:どうですか?育ての親として。そして中田製作所を出ていくことに対しても。

裕一:いつか独立するっていうのは本人から聞いていたので、応援の気持ちでいっぱいです。ただ僕が寂しいってだけで(笑) たいちは建築以外の分野、例えば飲食業とかにも興味があって、それは中田製作所では実現できないことなので独立します。それって納得がいくし、自分が好きなことを思い切りやってほしいなと思っていて。独立しても、ハンディメンバーとしては繋がり続けているし、これからもっとフラットな関係で付き合っていけるのも楽しみです。でも、万が一ダメでしたって言ったときは、戻っておいでって言ってあげたい。

石垣:なかなか退職後に戻るのって難しいですよね。

裕一:大きな会社だと戻れないですよね。席はなくなってますよ。でも、ハンディというコミュニティで繋がり続けているのもあって、たいちの状況はよく見えるだろうし、戻っておいでって言いやすいなと。そのくらい緩い関係でいいかなって思うんです。

人生の“ある時期だけ”に所属する組織があってもいいのかもしれない

石垣:創業メンバーが世代交代という言葉を出していますが、今後主力メンバーになっていくなおとくんはいかがですか?

なおと:僕もいずれそうなるんだろうなって思いながら聞いていました。そうあるべきだとも思っています。

2023年4月に独立した 森川尚登。

なおと:ハンディのやり方は、とことんオーナーさんと向き合って、一人の担当者が最初から最後までオーナーさんとの時間を費やして家をつくっていくことがすごく大事で。そういったやり方って、たぶん限られた時期でしかできないものなのかもしれないって僕は捉えていて。今後自分への依頼が増えたら、現場でオーナーさんと向き合う時間も減っていく。でもせっかくハンディに頼んでくれたのに、流れ作業になってしまったら、ハンディと一緒につくる意味がなくなってしまう。自分がそこに時間を費やせなくなってしまったら、若手にバトンタッチして世代交代になるのかも。だから僕もピークのときに後援に回ったり、辞めるのかもしれないです。

坂田:ピークのときに辞めるか…。なんかすごいかっこいい(笑)

なおと:(笑) 坂田さんの決断に違和感はないし、むしろそういう流れになって良いことも多いんじゃないかなと。あとはどれだけこの世代交代のサイクルを回せるか、ハンディを存続できるかということが大事ですね。

石垣:大切にしていることを受け継ぎながら、新しい考えも取り入れて。常に変化していくチームですね。

なおと:そうありたいです。ハンディの強みとしているところは引き継いでいきたい。僕は、自分たちの手を動かすことによって現場で生まれるデザインは、ハンディならではの特徴的な良さだと思っていて。ハンディにいる人が建築業界でどんどん活躍してくれると、若手建築家の登竜門のような存在になって、ハンディのやり方をもっと広めることもできますよね。そのためには、先輩たちには活躍してもらわないと!

坂田:はい、がんばります(笑)

なおと:僕は今、独立することでようやく自分の建築スタイルを追及できるスタートラインに立てたので、バトンパスできる日を楽しみに経験を積んでいきたいです。

石垣:一時期しか所属しない組織。中心メンバーでいる時期は10年ほどで、残りは後援にまわる。そんな考えも面白いですね。

坂田:ある一定の年代のときにしかできない、その時期にしかフィットしないものづくりや働き方なのかもしれませんね。この時期にしかできないことを体現している団体って考えると面白いですね。僕は何歳から何歳までハンディだったよ、みたいな。

僕自身も、12年間のハンディを経て次はどんな自分に変化していくのか。いつも面白いことやってる人だよねって言ってもらえるように、色んなコミュニティに参加したり様々な分野の人と関わりながら、成長していきたいです。「後援=過去の人」と言われないように。

取材・文 石垣藍子


2022年、メンバー全員で、1年間の話し合いを経て決めた活動方針とその裏話についてはこちらの記事でご紹介しています。ぜひ読んでみてください。
https://note.com/handihouse/n/n25cabfe3b074

※HandiHouse project公式サイトはこちら
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