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個人を尊重する組織を目指して~誰もが意見を言い合えるコミュニティづくり~

組織の中で、それぞれの個人の生き方や考え方を尊重する。さらには、上司も部下も関係なく自分の意見を言いあい、組織全体の成長や変化へと繋げていく。それは理想でしかないのでしょうか。

普段は個人で活動をしながら、時にチームとなってプロジェクトに取り組む建築家集団「HandiHouse project」創業時は4人だったメンバーが、2023年には22人に。創業時と同じやり方では関係も希薄になり衰退してしまうかもしれないと危機感を感じ、2022年、今後何を大切にしながら活動をしていくのか、1年間の話し合いを経て活動方針を改めました。

年齢も経歴も様々なメンバーが話し合いの過程で見つけた、全員が意見を出し合えるコミュニティづくりとは。創業メンバーの2人と、2023年に独立した若手メンバーへのインタビューを通してご紹介します。


中田裕一(なかた ゆういち) ※写真左
HandiHouse project創業メンバー。株式会社中田製作所 一級建築事務所 代表。神奈川県湘南エリアに根ざし、地域に密着したものづくりを展開している。高気密高断熱などの機能性を重視した家づくりや、タイニーハウスやキッチンカー、サウナ小屋など、幅広い分野の建築を手がける。新卒から経験者まで、若手建築家の育成にも力を入れている。

坂田裕貴(さかた ゆうき) ※写真中央
HandiHouse project創業メンバー。株式会社a.d.p 代表。建築・内装の設計を中心に空間づくりを行う。2023年、HandiHouse projectの若手メンバーの後ろに回ってサポートや応援をする「後援」というポジションをつくり、自らが初めての後援メンバーとして何ができるのかを構想中。

森川 尚登(もりかわ なおと) ※写真右
大学卒業後、内装デザインの会社で営業として勤務。設計から施工までの全てを一人の担当者が行う家づくりに惹かれ、2019年、Handihouse projectに参画。メンバーの山崎大輔のチーム、DAY’Sに所属をしながら設計施工を学ぶ。2023年独立。同世代のメンバー寛野雅人とともに“チームでつくるものづくりの良さ”を伝えたいと活動中。

聞き手 石垣 藍子(いしがき あいこ)
企業や団体の広報PRをで行うフリーランス。HandiHouse project広報PR。自身の家もHandiHouse projectに依頼し、庭にウッドデッキを作った。最近は、メンバーへのインタビューを行いながら、組織やコミュニティ運営の仕組み作りにも携わっている。

HandiHouse project(ハンディハウスプロジェクト)※以下ハンディ
設計から施工まで、すべて自分たちで行う建築家集団。「どんな家にしようか」という最初の妄想からつくる過程まで、“施主参加型の家づくり”を提案する。合言葉は「妄想から打ち上げまで」
運営は、所属メンバーが会費を支払いながら、毎月全員で話し合う場を設けて、情報交換や知見の共有を行っている。年齢やバックグラウンドも様々。普段は個人で活動をしているが、一人でできないプロジェクトはチームを組んで取り組んでいる。

メンバーの増加に伴い コミュニケーションの方法も変えていく

石垣:メンバーの増加に伴い、チームの横のつながりが希薄になっていることに課題を感じて、2022年、どうしたら「居心地の良いコミュニティづくり」ができるのかを話し合ってきました。
普段は個々のチームで活動をしていて現場もバラバラですし、引き渡し日が決まっているプロジェクトをほとんどの人が抱えている状態で。そんな中、22人全員が「コミュニティづくり」について時間を割いて話し合えたこと自体が、最初の難関を乗り越えたように感じていました。

創業時の12年前、創業メンバー4人で活動をしていた当初は、どんなチームだったんですか?メンバー間でのコミュニケーションの取り方は、今とは全く違いますよね。

裕一:当時は、4人全員が会社を辞めて独立したてで。駆け出しだったこともあって、全員が施工できたわけでもないし、設計も数年ぐらいの実務経験だったので、それぞれが足りない部分を補い合いながら、一つ一つプロジェクトをつくっていましたね。4人で一つの現場に入って、わちゃわちゃやってて。今思えば、半分遊んでたみたいな感じで(笑)

創業当初はほとんどのプロジェクトをメンバー4人で行っていた

坂田:僕はちゃんとやってたよ(笑) 僕以外はAKB48にはまってて。

裕一:握手会よく行ってたんですよ。作業中もずっと曲を聴いてて。

石垣:・・・。

坂田:合コンに連れて行ってくれるって言われたので六本木の映画館までついていったら、パブリックビューイングで始まったのはAKBのコンサートだった…。仕方なく一緒に見ましたけど。

裕一:なんだよこれって怒ってたよね。

石垣:それくらいプライベートもべったり一緒にいたんですね…。

裕一:そう、べったりで。当時、4人全員が独身だったので、時間の全てを自分のために使えていて。現場が終わって、毎日のように飲みに行って。ハンディをやり始めて収入は会社員の頃と比べて減りましたが、とにかく楽しかった。

移動するのもメンバーはいつも一緒だった

石垣:収入が減って、不安はなかったんですか。

裕一:建設会社の社員だった頃は、土日も休めず始発から終電まで働いていたので、逆に働きすぎだったのかなって思います。辞めてハンディを設立してからは自分の時間を持てるようになったので、収入が減っても考える時間ができたのが嬉しくて。家をつくるのってこんなに面白いんだって改めて気づけたんですよね。

でも当時、ハンディの仕事だけでは生活していけなくて。僕は会社員時代の貯金を削って生活をしていました。あらーきー(メンバーの荒木伸哉)はパスタ屋でバイトしてたよね。

坂田:うん。俺は結婚式場でバイトしてましたよ。25歳頃だったかと。

石垣:そうだったんですか!

坂田:バイトの方が稼げていましたね。

裕一:時間がとにかくたくさんあった。働いてはいましたけど、そこまでスケジュールを詰め詰めにしなくてもよかった。楽しいね、でも金ねぇなって言いながら、いつも4人で集まってたね。

坂田:その時楽しく生きることが目標だったね。ハンディでやってることが楽しいから、みんなそこにいた。

石垣:3年後、1人メンバーが増えましたね。すけさん(メンバーの山崎大輔)が入りました。

裕一:そう。4人それぞれが忙しくなってきて、メンバーを増やしたいねと話していたときに、すけさんから入りたいって連絡をもらったんですよね。
ある有名雑誌にハンディのことを取り上げてもらったこともあって、結構仕事の依頼をもらえるようになっていた時期で。それまでは、知り合いのつてが多かったけれど、初めてのお客さんから依頼が来るようになったのはその頃からだったと思う。

石垣:現場もバラバラになったんですか?

坂田:4人で1つの現場に入っていたのが、2人ずつ分かれて入るようになっていました。同時に2件動いていたりとかで。時々3件が同時期に重なることも。

裕一:個々につくるようになって、たまに応援に行ったりはしたけれど会う回数も減っていって。

初めてメンバーが加わり5人で活動

石垣:すけさんは、常にみんなで活動すると思っていたのに、割とバラバラであまりコミュニケーションを取ってないことを不安に思ったそうですね。

裕一:ちょうど子どもが生まれたメンバーもいたりで、ライフステージががらりと変わった時期でもあったんですよね。そうなると時間の使い方もがらりと変わりますよね。だから今までのやり方ではうまくいかないこともあって。

坂田:すけさん、入ってみたら全然集まってなくてチーム感がないから、せめて月に1回くらいはみんなで集まろうよって言ってたね。

なおと:僕が感じた不安と同じですね(笑) 僕もホームページを見て、ビジョンに共感して、みんなでつくるっていうところに惹かれて入ったので。すけさんと同じく、思っていたよりもチーム感みたいなものがないなって思いましたね。いつもメンバーみんなで一緒につくっていると思っていたので。

月に1度の「ハンディ会」全員が集まってプロジェクトについて話し合ったり、プライベートの近況報告も。現在は22人のメンバーでオンラインで行っている。
活動初期は、ハンディのオフィス兼工房の「Handi Labo」に集合して、夜な夜な語り明かすこともあった。

裕一:最初はみんなでワイワイみたいなイメージを外向けにも出していたところがあったから。バンドみたいだねって言われたこともあった。でも、やりたかったのはバンドじゃなくて、家づくりに関わる人たちみんなでつくるということ、プロジェクトオーナー(施主)も参加してつくることだったので。個々が別々の現場で仕事をすることは、プロジェクトが増えれば自然なことかなって思っていました。

石垣:でも新たなメンバーが入って、コミュニケーションの取り方への課題が初めて出たわけですね。

坂田:そうなんですよね。4人で活動していたときは、基本的にずっと一緒にいるからいつでも相談できたので。まだガラケーのメンバーもいたくらいなので、LINEやSlackなどの便利なコミュニケーションツールは当時は無く…。でも、今よりも意思疎通はスムーズでした。毎日飲みに行ってたしね。

石垣:忙しくなったり、メンバーが増えるとコミュニケーションを取るのって難しくなるんでしょうか。

坂田:どうしても共有する時間が短くなると、バラバラに感じるんでしょうね。ある程度仕事をもらえるようになって忙しくなってくると、一緒にいる時間は自ずと少なくなっていきます。ただそれだけのことなんですけど。

創業メンバーの4人は3年間ずっと一緒にいたので、特に時間をかけて話さなくても何となくの共有ができている感じがしていて。

裕一:会ってなくてもね。

坂田:そう、会ってなくても。この部分は感覚が違うけれどこの部分は一緒だしっていうのがわかってるので。でも、後から入ってきた人とは関係の蓄積がないから、リスクを感じちゃうのかも。これは危ない、不安だっていう気持ちが出てきてしまう。だからこそ、その時々のメンバーに合わせて、コミュニケーションの形を変えていかなければいけないんだなと思いました。

裕一:うんうん、その都度変えていくのってすごく大事だなと思った。みんなの色んな考え方とか状況とかスタイルっていうのは、見ていても常に変化していっているのがよくわかるからね。

ハンディができて3年が経ったとき、状況に合わせて新しいメンバーを迎えて。4人での活動にこだわらずに変化していけたことで、いい方向に向かっていると思っているので。これが100人、200人と組織が大きくなっていっても壊れないように、そのときの組織の状況やメンバーを見ながら、どうコミュニケーションを取っていくのかを考えていきたいですね。

「個人のためのチーム」を目指して 全員が意見を言える仕組みづくり

石垣:ハンディは、所属メンバー全員が会費を支払って参加する形をとっています。今回、活動方針を改めるとともに、会費の見直しも全てみんなで話し合いました。

坂田:1年間、色んな形式で話し合いましたね。メンバーが22人まで増えたので、どうやったらみんなの意見をくみ取れるのか、答えを出すのが難関で。入ったばかりの人は意見は言いづらいだろうし。

ベテランのメンバー、若手の主力メンバー、下積み中のスタッフ。様々な構成メンバーに分けてミーティングを重ねた。

坂田:ハンディがどこを目指すのか、何を大切にするのか、方向性を明確にしたいという意見を最初に言い出したのは、実は一人の若手メンバーでした。

石垣:そうでしたね。きっかけはインスタの運用について話し合うミーティングでした。

坂田:石垣さんと僕、かとちゃん(代表の加藤渓一)で毎週PRや組織全体について話していましたが、その中で、いつまで創業メンバーがハンディの運営について考え続けるんだろう。若手にも主体的に参加してほしいなっていう話になって。

石垣:まずは、独立して個人事業主でやっている若手メンバー4人に声をかけて、ハンディのインスタをどうしていくのが良いかを話し合う、定例ミーティングを設けました。少しでも主体的に関わってもらうために、インスタ運用を若手に任せようと。

坂田:そこで、「ハンディ全体の方針が見えないとインスタだけ話し合っても意味がない」っていう意見が出たんですよね。こうした意見をもらったことは今までなかったので、ちょっとワクワクしました。

坂田祐貴

坂田:独立してしばらくは、やっぱり自分の仕事をどううまくやっていくかを考えるだけで精一杯だと思うんですよね。どんどん仕事も増えていって、すごくそれが面白くなる頃でもあるので。そういった時期に、組織全体を今後どうしていくのかなんて感心がないだろうなと思っていたし、ベテランメンバーがやるところに乗っかっていこうっていう考えが強いんじゃないかと、正直なところ思っていたので。でも、もっとハンディを盛り上げていくためにはどうしていくのが良いのか、すごく興味を持ってくれていることがわかったんです。

なおと:僕もそのインスタ運用チームに入っていたのですが、当時はまだすけさんのチームに所属していて下積み中でした。

森川尚登

なおと:僕は5年前にハンディに入ったのですが、既にそのときからメンバーの交流が希薄な印象が強くて。個別に活動していることのほうが多くて、みんなで一緒に一つのものをつくっていると思って入ったのに、あれ?違うなって。もうメンバーが一緒に活動をすることはないのかな、いったいどういう団体になっていくんだろうって内心不安でした。なので、すけさんにお願いして、ハンディの組織運営に関わる時間をもらいました。少しでも、メンバーが密に関わりながら良いものを生み出していく、ハンディらしさを取り戻せたらいいなと思って。

石垣:なおとくんは、PRや組織運営を考えるチームにも自ら加わってくれて。まず最初は、全体の方針を決めることと、会費の見直しについて話し合うことからでしたね。

なおと:話し合う中で、自分自身も、ハンディで何をしていきたいかを以前よりも考えるようになって。結果、2023年に独立することにしました。

なおとの独立のきっかけとなったお店「グランビリーバーガー」(写真右はオーナーさん) ハンディがビジョンで掲げている“妄想から打ち上げまで”を、オーナーさんと一緒にお店づくりで体現した。

1年間かけて、広報の石垣が若手全員にインタビューをした。さらには、全体、若手、ベテランと会議の構成メンバーを変えて、インタビューの内容もシェアしながら話し合いを重ねた。会議前にスプレッドシートにそれぞれ意見を書き込むことで、全員の考えが見える形でスタート。特に会費に関しては、使途目的を開示し、経験年数も考慮しながら、全てのメンバーの金額を全員で意見交換をしながら見直した。

個人のためのチームとしてハンディを運営することを明文化し、活動方針に入れた。

石垣:これまでもそれぞれの頭の中には考えがあったかもしれませんが、ちゃんとみんなで話し合った上で「個人のためのチーム」としてハンディが存在することを共有できたところは大きいと思います。全体で集まった時になかなか意見を言わない人の話も聞けてよかったですね。

坂田:そうですね。僕はほとんどのミーティングに参加しましたが、あまり話したことがなかった若手の意見も聞けてすごく面白かったですね。もうハンディは若返りとかがなく衰退していくのかなと思っていましたが、若手の熱い思いに触れることで、世代交代の可能性も見えて胸が高鳴りました。

裕一:よかったよね。これまで月に1回、全員でミーティングをしていましたが、どうしてもベテランメンバーの声が大きくて。その後に若い子たちは意見を言いにくいじゃないですか。会社とかでもよくあると思うんです。上司が発言して、それに賛同するだけみたいな。個人の意見をなかなか組織の中では聞いてもらえなかったり。

スプレッドシート上ではみんなが個々の意見を書いてくれて、全員が思っていることが見えるっていうのはすごくよかったよね。

坂田:意見を聞いていくと、オンラインじゃなくて、もっとリアルに会いたいっていう声が多くて。所属しているチームだけではなくて、他のチームの現場応援にも頻繁に行きたいっていう意見も多かったですね。これには驚きました。

2022年の忘年会。コロナの影響もあって直接会う機会が減る中、もっと直接会いたいという意見が多かった。

坂田:ハンディはトップダウンの企業とかでもなく、同業者の組合のような組織なので、できる限りフラットな関係で意見交換ができるように、その時々に合うやり方を見つけてやっていかないと所属する意味も感じられないだろうなと。人材が資産のような団体なので、人を大事にするためにはコミュニケーションにコストをかけていいと思っています。

石垣さんのような、上司でも部下でもない、さらに建築関係の職業でもない立場の人が、みんなに考えていることを聞いてまとめていったところもよかったと思います。そういったコミュニケーションを専門にする担当者がもう一人いてもいいですよね。

裕一:コミュニティマネージャーとか。

坂田:そうそう。

石垣:社内広報のような専門職を置いている企業もありますよね。それくらい、組織のコミュニケーションっていうのは重要になってきているってことですね。ところで、何で言いづらい雰囲気ができたりするんでしょうか。

なおと:雇われている身だと意見を言いづらいっていうのはあると思います。立場上、仕方ないですけど。僕もつい先日までそういった立場だったのでよくわかります。目の前の仕事でいっぱいいっぱいで、俯瞰的に全体を見られない。

裕一:でもさ、今回改めて、個人のためのチーム、団体っていうことを確認しあったわけで、所属チームのスタッフでいるときとハンディとして個人活動をするときは違ってもいいんじゃないかと思う。スタッフでいてもハンディに入るかどうかは自由で、自分の意思で入れるわけだから。まあでも、スタッフの子たちが言いやすいような環境を作るために僕が何かやり方を考えなきゃいけないんだよね…(笑)
 
坂田:僕は言いやすいような環境を上司がつくるのって構造的に無理なんじゃないかと思ってる。上司が言えないような空気をつくっているだけじゃなくて、スタッフの子たちもそういった空気を自らつくっているところもあるだろうし。飲み会を何回もやればその空気がなくなるのかっていうとそうでもないし。だから、環境をつくるのは難しいと思うので、コミュニケーションの仕組みを考えればいいんじゃないかなと。

石垣:他のチームリーダーにはいかがですか?言いやすさはありますか?

なおと:それはあると思います。僕も直属の上司に対して、ハンディの活動のときはフラットにいこうっていうのはなかなか難しいと思います(笑) 独立したので少し変わるのかもしれませんが。

坂田:他のチームのベテランに気軽に意見を言ったり相談できるのであれば、そこをうまくコミュニケーションの仕組みに取り入れていくのもいいのかも。
なおとはつい先日までスタッフの子たちと同じ立場だったから、その子たちに一番近い存在なわけで。だから一番気持ちがわかるかも知れないし、お互いに意見を言いやすい立場なんじゃないかな。今後は僕たちではなくて、なおとたちの世代がハンディを引っ張っていってほしいですね。

2023年4月 新メンバーが加わりメンバーは22人に。これまでは一部のメンバーが会費の支払を負担していたが、全員が負担することに変更。それに伴い、所属の有無も個人が選択できるようになった。

石垣:1年間の話し合いの中で、特に会費の金額はみんなが納得いく形にするのは難しかったかと思います。

坂田:全員が納得する形にできたかはわかりませんが、みんな自分事として意見を出し合えたんじゃないかなと思います。特にお金に関わることなので、全員の意見を聞く必要がありました。

ハンディ全体を前進していけるような力に変えていくために、何が一番良い方法なのかを考えなくてはいけない場面はこれからも出てくると思います。50人、100人とメンバーが増えたときにどういうコミュニケーションの取り方だったらうまくいくのか、そのときのメンバー構成にフィットする形を常に見い出し続ける必要があるんだなと、今回の話し合いの過程でよくわかりましたね。

石垣:ハンディから出ることを選んだスタッフの人もいましたね。今までは、メンバーのチームに所属して働くスタッフは自動的にハンディに入ることが暗黙の了解になっていましたが、今回は、スタッフにも会費の支払いを負担してもらって、加入するのか否かを個人の判断に委ねることにしました。その上で、加入しないことを選択したスタッフがいたことはいかがでしょう?

裕一:僕のチームからもハンディから出たスタッフがいましたが、変わらず僕のチームの仕事をしています。彼との関わり方は今まで通りで何も変わったところはありません。中田製作所の家づくりは、ハンディと同じやり方でやっているので、変わらずハンディのやり方でできますしね。今はハンディの活動ではないところに時間を費やしたいという彼の希望は理解できますし、尊重してあげたいと思っています。

石垣:自分で進みたい道、やりたいことを選べてチームメンバーとの関係も壊れないでいる。その柔軟さがすごくいいですね。

ハンディ流 コミュニケーションの仕組みづくり

坂田:今、10年前よりもはるかにたくさんのプロジェクトが、同時に動いていますよね。同じプロジェクトを担当すると一気に距離が縮まったり、相手の考えが言わなくてもわかるようになったり。現場ごとに、初期の4人で活動していた頃のようなことが起きているように感じてて。

裕一:目の前に同じ目標があると結束が固まるよね。

荒木と須藤がチームとなって活動する、子どもとつくるプロジェクト「kopro」 2022年、長野県のキャンプ場で、子ども主体で森の秘密基地をつくるプログラムを開催。
DIY賃貸プロジェクト。空き家や空室を住まい手がDIYできる仕様にリノベーションをすることで、新たな付加価値をつけることができる。賃貸でも自分好みにカスタマイズできるため、暮らしの楽しみ方も広がる。

坂田:違うチームやプロジェクトのメンバー同士の繋がりをどうやったら作れるのかというところが課題ですね。

石垣:月に1度のオンラインミーティングでは進捗の共有であったり相談事であったり、そういう場はありますけど、それぞれの現場が離れているので希薄に感じるところもありますよね。若手メンバーへのインタビューのときも、みんなが何をしていて何を考えているのかが見えないことに対する不安の声もありました。

裕一:僕はハンディは学校みたいなところだと思っていて。例えば、大学では建築学科に入っても、構造を学びたい人もいれば、都市計画をやりたい人もいたりでバラバラです。ゼミに入ってそこで仲間をつくる人もいたり、興味もやり方も違っていて、自分で自分の道を選択していける。なので、ハンディも一つの場所に全員を集めて何かやらなきゃいけないっていう団体ではないと思っているんですよね。だけど、全体としてはハンディという所属の場があって。

石垣:なるほど。

裕一:ハンディではすでにDIY賃貸とか、シーサイドリビング(海の家)、子どもと一緒につくるkoproなど、各々がやりたいことをプロジェクト単位にして動いていますよね。

逗子海岸で毎年つくる海の家「シーサイドリビング」お店の運営も中田製作所が中心となって行っている。

石垣:そうですね。最近では、PRとか組織運営に関しても「未来会議」という名前に変えて、代表と広報が話し合う会議ではなくて、誰でも参加できるプロジェクトに変えて再スタートしました。

裕一:個々が複数のプロジェクトに参加をすることで、チームを横断するようになると横の繋がりも生まれていくと思っていて。自分は何を今一番やりたいのかを考えて、プロジェクトを立ち上げて、賛同者を募って。一緒に共同でやる中で結束を強くしていく方法は今のハンディにフィットしたコミュニケーションの取り方だと思います。

中田裕一

石垣:オーナーさんにインタビューをしていても感じましたが、一緒に何かをつくることって、コミュニケーションを取るための手段の一つですよね。現場で、ああでもないこうでもないって話しあうきっかけを生むための、あくまでも手段であって。それをメンバー同士でも活発にやっていくということですね。

裕一:そのためには、僕もスタッフには、中田製作所の仕事以外の隙間時間をつくってあげないと(笑) ハンディのことを考えたり、ハンディメンバーと一緒に活動をする時間を。他のチームに応援に行くこともすごく勉強になるし、コミュニケーションも盛んに取ってほしい。

坂田:言ったね。今の録音しておかないと(笑)

石垣:でもチームリーダーとしては難しいところもありますよね。引き渡しには間に合わせなきゃいけないし。

裕一: 確かにそういうのはあるかもしれないけど、他の世界を見て学んで、スタッフの子たちがさらに成長してくれることってめちゃくちゃいいことじゃないですか。いろんなところでいろんなことを吸収することって大事なので、僕らの仕事だけで収まって欲しくないっていうのもあるので。建築以外のことでもいいし、映画を見に行ったり音楽を聞いたりとか、いろんな感性を学んでほしい。
そうすれば、中田製作所自体も大きく成長できる。チーム全体の可能性を広げていく意味でも良いと思っています。

石垣:そうですね。そんな若手に期待することはありますか?

裕一:ハンディに来た仕事でもそうでない仕事でも、なるべくハンディ流のやり方を伝えていってほしいかな。
今までDIYをやったことがなかったオーナーさんや、一緒に現場でつくることを希望していなかったオーナーさんでも、ちょっとやってみたらすごくハマる人もいるので。少しでもそういったアプローチをオーナーさんに対してやっていってほしいですね。ハンディと一緒に家をつくった経験が、その人の暮らしを良い方向に変えたり、つくる人も住む人も、家に対して柔軟な考え方になっていったら。きっと建築業界全体が良くなっていくはずだから。

断熱材を一緒に入れる様子。2022年、中田製作所では、高気密高断熱の機能性が高い新築住宅もオーナーさんと一緒に完成させた。住み心地や環境問題にも関心を持ってもらうための活動にも幅も広げている。

坂田:そうだね。きっと僕たちが最初にやり始めた頃にはできなかったことも、今仲間の人数が増えていることもあってできるようになっているだろうから。人数が増えると、いろんな考えや意見が生まれて。その分問題も起きるだろうけれど、横の繋がりを大事にしながら、どんな風に組織が成長していくのかすごく興味があります。

石垣:想像以上の世界が待っているかもしれないですね。

坂田:想像を超えてほしいです。ハンディが存続し続けながらどう変化していけるのかを傍で見ていられるのは楽しみで。若い子たちが楽しそうにやってるのを遠目から見ながら、ああいいな、羨ましいなって(笑)

裕一:あの頃の自分たちを重ね合わせたりなんかして。また飲みにいったこいつら、いいなって(笑)。60歳くらいになってまた現場に戻ったりして…。

坂田:ちょっと混ぜてよって。やっぱこういうときが一番楽しいんだよって。

なおと:いやいや…。ベテランの人たちにはぜひ、僕たちの先を進み続けてほしいです(笑)それぞれのフェーズの人たちが刺激しあいながら成長していける組織になるように。僕も組織運営についてどんどん意見を言って、良い仕組みづくりを考えていきたいと思います。


「個人のためのチーム」であり続けるために。
HandiHouse projectは、毎年活動方針を全員で話し合っていきます。コミュニケーションの仕組みも、その時々のメンバーの状況に合わせて一番フィットする方法を探りながら。変化に対して柔軟に、新しいことや面白いことに挑戦していこうと思います!

取材・文 石垣藍子

※HandiHouse project公式サイトはこちら
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