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大丈夫や。そんなもんや。クソババアや。

初めまして。僧侶ですがクリニックに勤務して終末期のスピリチュアルペイン・苦悩に向き合う仕事をしています。逃避していた苦悩に患者と周りのひとびとが向き合い、統合性をより深く経験できるよう。

病気や障害を持った人の全人としての健康とは何か?「人間としての統合性(integrity)が脅かされたり、破壊されると苦悩が生じる。苦悩は脅威がなくなるか統合性が回復されるまで持続する。(Whole pserson care)」

認知症対応型共同生活介護で生活をされているおばあさんに月に二回、訪問診療を行なっていました。Dr.と一緒にお部屋に伺っての診察です。お部屋に入ると、いつも座っていて、「お変わりありませんか?」とDr.がたずねると、「はい。元気です。」「ご飯は食べれてますか?」「はい。なんでも食べています。」「困っていることはありませんか?」「はい。何もありません。」といつも即答されるおばあさんでした。

元気な頃は、いつも午前中に駅前の百貨店で珈琲を飲むのが日課だったそうで、一度、スタッフと一緒に久しぶりに行った時には、「あら、おばあさん。お久しぶりです。」といろんな人から声をかけられたそうです。

「そうなんですね。百貨店で午前中にコーヒーなんて、とてもいい時間ですねー」と血圧を測っている時にお話をすると、「そうや。いつも行ってたわ。でも、もうクソババアやからあかん。」とおばあさん。「そんなことありませんよ。クソババではありませんよ」と伝えても、「クソババはクソババアや。」と全く、心を開いてくれることはありませんでした。

あんなに強がっているけど、いつもテレビがある居間に出てこられるんですよ。とても寂しい人なんですとスタッフの人は気遣っていました。

月に二回の診察ではいつもそんなやりとり。でもそのうちに、転倒されたり、熱を出されたり、咳き込みがとまらなくなったり、どんどん状態が変化していきました。

「大丈夫ですか?」の質問に「大丈夫や。そんなもんや。クソババアや。」と返事は変わりません。自分でトイレに行けなくなり、訪問看護の看護師がお世話をするようになりました。看護師に対しても心を開くことはありませんでした。

ある日の定期診察で「調子はどうですか?」とDr.の質問に「はい。とても調子がいいです。💖私ほんとに幸せなんです。(チュ)」とクマのぬいぐるみにキスをするおばあさん。えぇええ!一体何が起こったんですか?クソババアは、どこにいってしまった?そんな満面の笑顔はみたことがない。思い起こせば、「大丈夫」といっていたおばあさんは顔いっぱいに苦痛がありました。身体の痛みの他に心の痛みがありました。それがクマの人形を抱くことで笑いに変わっていました。クマのぬいぐるみは看護師さんがプレゼントしたものでした。

「とっても素敵なクマさんですね。」と言うと「そうなの。(チュ)可愛いでしょ!(ぎゅーっ)」ともっと抱っこするおばあさん。なんて幸せそうなおばあさん。鉄の壁で閉ざしていた心がお人形さんで一瞬でとろけて苦痛が消える。

おばあさんにはお子さんがいませんでした。旦那さんには、結婚する時に前のお子さんがいて自分は子供を産まなかったとお話をされた時がありました。「大丈夫や。そんなもんや。クソババアやし」の中にある彼女の人生をクマさんが聞いてくれている。

人に言えないことは誰にでもある。自分でも見たくないこと、認めたくないこともたくさんある。そうやって生きている。「大丈夫や。そんなもんや。クソババアやし」この言葉にはそんな叫びがありました。そこから解放されたおばあさんのお顔は、シワがほどけて、ほんわかとした、あたたかな、やさしい笑顔でした。やさしいおばあさんだったんだろうな。

息をひきとられたときのお顔もそんな微笑みでした。

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