りさ

31歳で子宮頸がんを告知。手術、抗がん剤治療を経て経過観察中。眉毛も睫毛も髪の毛もなくなってお腹には大きな傷。それでも明るく前を向いていたい。

りさ

31歳で子宮頸がんを告知。手術、抗がん剤治療を経て経過観察中。眉毛も睫毛も髪の毛もなくなってお腹には大きな傷。それでも明るく前を向いていたい。

マガジン

  • 子宮頸がんの記録

    子宮頸がんと診断されるまでの経過や治療についてのまとめです。

  • おすくりポテル

    日頃(主にがんになってから)の思いを文章にしてみました。自分の頭の整理も兼ねて。自分の生きた証として文章を残したい。

最近の記事

【子宮頸がんの記録#24】復職

復職した。 休職から11ヶ月のことだった。 当初想定していたよりも、長い休職期間だった。 復職してすぐ、自分にとって、仕事がいかに大切なものだったかを思い出した。 どうせ自分なんていても足を引っ張るだけ、と思っていた。 でも、できることはたくさんあった。 発表原稿の誤字脱字を見つけるのが意外に得意で、指摘すると感謝された。 コミニュケーションをコミュニケーションですよ、と訂正する程度のことだ。 私でもできる雑用はどんどん引き受けたし、任せてもらえることが嬉しかった。

    • タイムマシンで抱きしめて

      私の人生に「がん」という言葉がつきまとうようになって1年が経った。 「これからがんと告知されて、子宮と卵巣を失い、化学療法で髪の毛を失い、リンパ浮腫と再発に怯えながら生活する日が来る」と、1年前の自分に言っても信じてもらえないと思う。 自覚症状が全くなかったのだから。 もしもタイムマシンで1年前に戻れるのなら、不安と恐怖と悲しみで1日中泣いていた私に会いに行きたい。 「治療は辛いけれど、1年後には復職してまた普通の生活を送っているよ」と伝えられたら、当時の私はどれほど救わ

      • 【子宮頸がんの記録#23】脱ウィッグ

        ラストケモから5ヶ月。 髪がだいぶ伸びてきた。 襟足は血流がよいので伸びるのが早い。もう5cm以上ある。 でも頭頂部はまだ4cmくらい。 私の髪の毛は硬くコシがあるから、頭頂部の短い髪の毛は浮く。おとなしくしおれていればそれなりの髪型になりそうなものなのに、浮くから下から持ち上がるように頭頂部付近の髪の毛が5cmくらいの厚みで浮いている。 キャップをかぶっても格好つかなくなってきた。 とんでもない髪型である。 治療終了後4ヶ月の定期通院で問題がなかったから、美容院へ行った

        • 【子宮頸がんの記録#22】ラストケモから4ヶ月

          悪い知らせはいつも、夫がいない日に限ってだった。 流産をしたとき夫は韓国にいたし、子宮外妊娠が発覚して緊急手術が必要と言われたときは九州にいた。 がんと告知された日は、仕事で北海道へ行かねばならず、悲しみと不安で押しつぶされそうな私を置いていった。 遊んでいたわけではなく全て仕事だったのだから仕方のないことなんだけれど、「肝心な日にはいつもいない夫」として私の認識が定着しつつあった。 まあ、肝心な日と言わず、ほぼ家にはいないのだけれど。 今回の受診日、夫はヨーロッパにい

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        記事

          ネガティブは心を守るため

          抗がん剤の3,4クール目が辛かった話を書いたが、5,6クール目あたりになると今度は再発の恐怖が襲った。 再発するかもしれない。 再発したら、また髪が抜ける。 再発したら、また辛い治療が待っている。 再発したら、きっと子どもが大人になるのを見ることは厳しい。 再発のことを考えると憂鬱になる。 できたら考えたくはない。でも、考えてしまう理由がある。 覚悟しておきたいのだ。 再発するかもしれないと自分に言い聞かせ、再発したときのことを考えて行動する。 予防線を張ることで、再

          ネガティブは心を守るため

          私の話は私からしたいの

          今期の朝ドラがおもしろい。 日本初の弁護士を描いた「虎に翼」は、伊藤沙莉が主演を務める。 素直で、思ったことはストレートに言う主人公の寅子のまっすぐな喜怒哀楽が気持ちいい。 同じ法科女学部に通うよねさんは、いつも冷たく周りとも距離を置いている。 彼女は今でいうキャバクラのような場所でボーイをしているのだが、そのお店に寅子たちが行く機会があり、そのときにマスターから「聞く? 彼女が何で弁護士を目指したか」と寅子たちが尋ねられる。 「よねさんの話を、よねさんがいないところで、

          私の話は私からしたいの

          癌患者にかけるべき言葉、絶対に言ってはいけない言葉

          嬉しかった言葉は、周りの人が癌になってどう声をかけていいかわからない人の参考になるように、 嫌だった言葉は言わないように+私の浄化のために。 癌になってから言われて嬉しかった言葉と嫌だった言葉を列挙します!!! 嬉しかった言葉 ・謝らないで 癌になって、自分のせいじゃないのに家族にも職場にも謝ってばかりで辛かったときに職場の同僚に言われました。「申し訳ないと思うけれど、自分も一番の被害者。休みたいわけじゃないのに」という気持ちで、謝るたびに心が擦り切れていったのでかなり

          癌患者にかけるべき言葉、絶対に言ってはいけない言葉

          無音のドライブ

          癌を告知されてから、音楽を聞かなくなった。 聞きたくないわけではない。 いつもなら音楽を聞いていたような場面でも、気がついたら無音だったというのが正確な表現だろうか。 通勤中は車を運転しながら、最近流行しているJ-POPを聞くのが日々の習慣だった。 けれど、癌を告知されて以降、運転中は無音だった。 目的地近くになって、音楽を聴いていなかったことに気が付く。 流行りの音楽もわからなくなっていた。 音楽は人生を豊かにする。 メロディ、歌詞、リズム。 恋をしたときも、がむしゃ

          無音のドライブ

          「ごめんね」と「ありがとう」が心を削る

          親のしつけの影響だろうか。 私は「ごめんね」と「ありがとう」をよく言うようにしている。 コミュニケーションを円滑にする、魔法の言葉だと思う。 癌による苦痛には、身体的苦痛、精神的苦痛、社会的苦痛、そしてスピリチュアルペインがある。 もちろん身体的にも精神的にもかなり辛かったが、私にとってはスピリチュアルペインが一番苦しかった。 「家族や職場の人に迷惑をかけている」 「自分は何もできなくて無価値だと思う」 生きる意味、というほどたいそうなものでなくてもいいのだけれど、誰か

          「ごめんね」と「ありがとう」が心を削る

          雨、蕾に想う

          癌になる前からよくしてくれていた先輩から、連絡がきた。 「ちょっと実験してみない?小さな論文を投稿しよう」 実は3年前から別のプロジェクトに誘ってもらっていて、育児が一段落した1年前にイエスの返事をした。癌が発覚したのはその直後だった。 根気強く勧誘し続け、私のキャリアを気にかけてくれた彼の好意を、また無碍にしてしまった。 仕方のないことなのだけれど、申し訳なさはいつまでも拭えなかった。 仕事が好きだった。 バリバリ働く自分が好きだったしそれなりにプライドもあった。 そ

          雨、蕾に想う

          津波アラートで思う、あの日と今日

          動悸がした。 運転中に、突然ワンセグの音声がはじまって、私は驚いた。 何も操作していないのに。 「津波が来ます。高台に避難してください」 津波?地震は来ていないけれど…と聞き耳を立てていると、どうやら沖縄の話らしい。 地震や津波警報が発表されると、自動でワンセグに切り替わるようになっているようだった。 「津波!避難!」 「つなみ!にげて!」 「EVACUATE!」 黒い背景に黄色の文字で危険を伝えるテロップが忙しなく切り替わる。 胸がザワザワした、あの日を思い出した。

          津波アラートで思う、あの日と今日

          ロングヘアとゴラムとモンチッチ

          「綺麗な髪の毛ね。 」 はじめて訪れた美容院でそう言われて、涙が止まらなかった。 抗がん剤の副作用で脱毛し始め、髪の毛が部屋中に落ちるようになった。 抗がん剤でも1割の人は脱毛しないという。 「もしかしたらその1割に入れるかもしれない」という私の淡い期待は、抜け落ちる髪の毛と一緒にこぼれ落ちていった。 よく髪を褒められた。 自慢のロングヘアだった。 子どもが産まれてドライヤーで乾かす時間を面倒に思っても、それでも切らなかった。 脱毛したときに掃除が簡単なように、抗がん剤の

          ロングヘアとゴラムとモンチッチ

          人生の寄り道

          復職を決めた。 治療直後は、「働きたくない」と後ろむきだった気持ちが、やっと前を向いた。 12月に治療が終わり、1月から復職しようと思っていたが、1月になっても2月になっても、心は重いままだった。 「私のペースで」と、上司が私の意思と気持ちをなにより尊重してくれたことがありがたかった。 プレッシャーをかけたくなるような状況だったかもしれないが、一度もそれを感じなかった。 私は自分の意思で戻りたいと思ったし、それは私にとってとても大事なことだった。 いつからだろうか、しいたけ

          人生の寄り道

          途中下車の彼女と味噌煮込みうどん

          その日、私と彼女は名古屋駅で味噌煮込みうどんを食べていた。 つい30分前にはじめましての挨拶を交わしたばかりだった。 話ははずむのか、どんな人なのか。 楽しみな気持ちと、少しの不安な気持ちを抱えて銀時計の前で待っていた。 彼女と知り合ったのはSNSでだった。 癌種は違ったが、同じ時期に手術と抗がん剤治療を受けていたからなんとなく親近感を覚えた。 彼女が頑張っていることが、支えだった。辛いのは自分だけじゃないと思えた。 「同じくらいの年齢でも、ひとくくりにできないから。私

          途中下車の彼女と味噌煮込みうどん

          友人選考試験

          友達に癌のことを話すときはいつもドキドキする。 自分が傷つくかもしれない不安と、友人が一人減るかもしれない不安と。 癌はそれまでの人間関係を変える。 前よりも仲良くなる人もいれば、距離を置きたくなる人もいる。 癌をカミングアウトするときは「友人選考試験」のようだと思う。 昔からデリカシーのない人だった。 あまりよく物事を考えずに、思ったことを口にしてしまうタイプ。 時間にもルーズだったが、彼女独特のぽわ〜っとした雰囲気といじられキャラな性格で、それを周囲に許されていた。

          友人選考試験

          誰かが祈ってくれるということ

          前回の続きの話。 癌封じ寺に一緒に行ってくれた友人が、突然家を訪ねてきた。 少し照れくさそうに「ちょっと近くまで来たから、これ」と、紙袋を渡された。 中に入っていたのは、癌封じ寺のお札とお守りだった。 彼女は「近くまで行く用事があったから」と言っていたが、きっと片道1時間かかるそのお寺まで、これをわざわざ買いに行ってくれたのだと思う。 彼女の家から私の家は、反対方向に1時間。 ざっと3時間以上はかかる計算になる。 「私が渡したかったから」と告げて、すぐに帰っていった。

          誰かが祈ってくれるということ