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友人選考試験

友達に癌のことを話すときはいつもドキドキする。
自分が傷つくかもしれない不安と、友人が一人減るかもしれない不安と。

癌はそれまでの人間関係を変える。
前よりも仲良くなる人もいれば、距離を置きたくなる人もいる。
癌をカミングアウトするときは「友人選考試験」のようだと思う。


昔からデリカシーのない人だった。
あまりよく物事を考えずに、思ったことを口にしてしまうタイプ。
時間にもルーズだったが、彼女独特のぽわ〜っとした雰囲気といじられキャラな性格で、それを周囲に許されていた。

彼女といると、穏やかでいられた。
一緒に海外旅行にも行くような仲だった。

そんな彼女に、3年ぶりに会った。

癌で休職していることを伝えた。
「大変だったね」と労いの言葉をかけてはくれたのだが、ここからが良くなかった。
「Ⅰb1か…そっか…」と言葉をなくした。
彼女は産婦人科医で、私のステージや追加治療からだいたいの予後が予測できてしまう。
再発率が決して低くないステージであることは私も理解しているが、専門医に残念そうに言われるとかなり堪えた。

今は治療が終わって前を向いていただけに、ショックだった。

医師として、ではなく、友人としてそこにいてほしかった。

「不安だから、検査を頻繁にしてほしい気持ちになる」とこぼしたときも、「検査結果で微妙な結果が出る時もあって、私はそういうときわざと”泳がせる”こともある」と言った。
開いた口が塞がらなかった。患者をなんだと思っているのか。
「わからないから時間をあけてまた検査をする」とか「経過をみていく」とか、もっと適切な言い方があっただろうに、子宮頸がん患者である私を目の前にしてその言葉が出たのがショックだった。
私も医療従事者だから、スタッフと話すような感じで言ったのだと思う。けれど、その一言はあまりにも冷淡だった。


さらに、一番私を傷つけたのは、帰り際の一言だった。
脱毛して今はウィッグであることを打ち明けると、「今日はじめて会った時にウィッグかなって思ったんだよね!」と彼女は言った。

ウィッグをつけた自分のことが、嫌いだった。
今まで会った人には、「全然わからないね」と言われたことしかなくて、だから少しずつウィッグをかぶっている自分を受け入れることができた。
そうか。あれは、みんなの優しさだったのか。ウィッグをつけていることをわかっていたけれど、悲しませないためにそう言ってくれていたのか。

せっかく外に出かけられるような気持ちに最近なってきたのに、その何気ない一言でウィッグを被るのも、外に出かけるのも、人に会うのも嫌になった。
彼女が帰った後、わんわん泣いた。

たとえ、ウィッグかなと思ったとして、それを私に伝えて何になるのだろう。
言われて私がどんな気持ちになるか考えたら、その一言は出ないと思う。
言っていいこととダメなことの判別もつかない彼女に心底呆れた。

もう10年の付き合いだ。悪気はなかったのはわかっている。
傷ついたと言えば、ごめんねと反省もしてくれるのだろうけれど、果たしてそういう問題なのだろうか。
言われた事実は取り消せない。
今後も自分が傷つく可能性があるのに、彼女の人間性を磨くために付き合うメンタリティは残念ながら持ち合わせていない。

嫌な予感はしていた。
言おうかどうかもギリギリまで迷っていた。
今まで打ち明けてきた友人には一度も嫌な思いをさせられたことがなかったから、油断していた。
そもそも、「この人なら大丈夫」という人にしか打ち明けてこなかったじゃないか。

残念ながら、友人選考試験に不合格です。
自分の心を守るためだから、ごめんね。

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