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ロングヘアとゴラムとモンチッチ

「綺麗な髪の毛ね。 」
はじめて訪れた美容院でそう言われて、涙が止まらなかった。

抗がん剤の副作用で脱毛し始め、髪の毛が部屋中に落ちるようになった。
抗がん剤でも1割の人は脱毛しないという。
「もしかしたらその1割に入れるかもしれない」という私の淡い期待は、抜け落ちる髪の毛と一緒にこぼれ落ちていった。

よく髪を褒められた。
自慢のロングヘアだった。
子どもが産まれてドライヤーで乾かす時間を面倒に思っても、それでも切らなかった。
脱毛したときに掃除が簡単なように、抗がん剤の前に20cmばっさり切った。
それでも、床に散乱した髪の毛を無心で拾い続けることに、心が耐えられなかった。

脱毛が激しかったので、いつもの美容院には行けず、通院先の病院の中にある美容院を訪れた。
「(ショートの中でも)どんなふうにしたい?」と聞かれ、答えられずにいた私に年配の美容師が続けた。
「どんな髪型にしたいもなにもないわよね、切りたくて切るんじゃないんだから。」
涙が溢れて止まらなかった。

ベリーショートにしてもらおうと思ったが、さらさらな髪の毛であるが故にボリュームが出ず、雑誌に載っているようなベリーショートにはならないと言われた。
とりあえず掃除が簡単になるよう(+自分の心のダメージも少なくなるように)短くしてもらったのだが、櫛を通せばいくらでも抜ける髪の毛に、美容師も手に負えない様子だった。
「素敵に仕上げてもらう」という状態とは程遠かった。

ウキウキした気持ちになれる美容院で、こんな悲しい思いをすることがあるなんて知らなかった。

次、元の長さまで伸びるまで、元気でいられるだろうか。
伸び切る前に再発すれば、また脱毛する。
この長さでいられるのは、もう最後なのかもしれない。
そんなことばかり頭に浮かんで、涙が止まらなかった。

「髪の毛はまた生えてくるから」と励まされたが、髪の毛がなくなる期間があることが悲しいのだ。
もちろん生えてくることで未来の希望にはなりうるが、現在の悲しみや心の痛みは救われない。
髪の毛は、自分を女の子でいさせてくれるものだった。


脱毛が一気に進んで落武者からゴラムになった。

脱毛して、目を背けたくなるような痛々しい姿。
普段生活する分には自分の姿は自分の目には入らないから、ときどき鏡にうつる自分を見てぎょっとした。

ネットで検索し脱毛した人の写真を見ては、「これくらい抜けてしまったらもう刈り上げよう」と思っていたが、実際に自分がその状態になっても刈り上げる気にはならなかった。

残っている髪の毛は、全体で50本ほどだったと思う。
ほとんど地肌だった。
50本の髪の毛があるが故に、痛々しさが際立っていたし、むしろ坊主にしたほうが美しくいられたのだと思う。

けれど、どうしても切れなかった。
できるだけ残ってほしいと願い続けた余韻なのか、耐えて残ってくれた髪の毛に愛着があったのか、自分でも理由はよくわからない。
もしかすると、希望を自分の手で切ってしまうことが嫌だったのかもしれない。


抗がん剤の5クールがはじまる頃、ひよこみたいなふわふわの毛が生えてきた。
1ヶ月後、坊主くらいになって、2ヶ月後にはだいぶ黒々した。
3ヶ月後には、春高バレーに出てくるスポーツ少女くらいの髪の毛になった。

生え初めてから4ヶ月後、美容院へ行った。
この頃にはウィッグなしで帽子のみで外出できるようになっていた。
前髪や頭頂部はまだまだだったが、後頭部の髪がだいぶ伸びて、帽子をかぶってもアンバランスさが目立つようになったので整えてもらう目的で予約した。
もともと通っていた美容院で、私が癌になったことも話していた。

久しぶりの美容院を楽しみにしていた。
美容院へ行けるくらい髪が伸びた自分が嬉しかった。
けれど、美容院の鏡にうつる自分がモンチッチのようで、そのちんちくりんさがオシャレな美容院に似つかわしくなくて、恥ずかしかった。

まだ頭頂部が短いから、普通のショートカットになるのもあと1年以上かかる。
確実に伸びてはいるのに、変わり映えしない、もっさりとした自分をまだ好きにはなれない。

また、「綺麗な髪だね」と言われる日は来るだろうか。
「モンチッチみたいな時期もあったんだよ」と笑って返せる自分でいたい。


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