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無音のドライブ

癌を告知されてから、音楽を聞かなくなった。

聞きたくないわけではない。
いつもなら音楽を聞いていたような場面でも、気がついたら無音だったというのが正確な表現だろうか。

通勤中は車を運転しながら、最近流行しているJ-POPを聞くのが日々の習慣だった。
けれど、癌を告知されて以降、運転中は無音だった。
目的地近くになって、音楽を聴いていなかったことに気が付く。
流行りの音楽もわからなくなっていた。


音楽は人生を豊かにする。
メロディ、歌詞、リズム。
恋をしたときも、がむしゃらに部活に励んでいたときも、季節のうつりかわりも、これまでの人生は常に音楽と一緒だった。

NO MUSIC, NO LIFE. というタワレコの有名なキャッチフレーズくらい音楽を愛しているわけではないけれど、それでも人生から音楽は切り離せない。
あいみょんのマリーゴールドを聴くと、夫と付き合い始めたあの頃を鮮明に思い出すし、中学時代のいじめっ子が好きだったオレンジレンジの花を聴くと、苦い思い出が蘇る。


自分の生活の中に音楽が入り込める余裕がなかった。
感情も思考も忙しくて、音楽を聴いていなくても、常に心は騒々しかった。

自分の心の声に耳を傾けていたかった。
恐怖、悲観、不安、動揺、やるせなさ、諦め、疑問、希望。
いろんな感情がぐちゃぐちゃに絡み合っていて、それを解《ほど》くのに精一杯だった。
自分がどのように感じて、何に悲しんで悩んでいるのか、自分でもよくわかっていなかったから、一人の時間はそれに向き合う必要があった。

同じ癌患者でも音楽に救われている人もいるだろう。
私も、音楽を聞けば気が紛れたのかもしれない。
けれど、私に限って言えば、楽しい歌も自分の状況と乖離しすぎて腹立たしかったし、悲しいメロディに浸れるほど癌を受け入れているわけでもなかった。
失恋の歌に思いを馳せている時間もなかったし、歌の中の誰かの気持ちに共感したいとも思えなかった。
書いていて気がついたが、「聞きたくない」気持ちも多少はあったのかもしれない。特別避けていたわけではないのだけれど。

がんになるまでは知らなかったけれど、音楽が聴ける精神状態は幸せだったのだなと思う。
私もまた、歌の中の失恋した女の子の気持ちに寄り添える日が来るだろうか。
今は自分のことで精一杯だけれど、また音楽のある生活に戻れる日が来ることを信じている。

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