【子宮頸がんの記録#22】ラストケモから4ヶ月
悪い知らせはいつも、夫がいない日に限ってだった。
流産をしたとき夫は韓国にいたし、子宮外妊娠が発覚して緊急手術が必要と言われたときは九州にいた。
がんと告知された日は、仕事で北海道へ行かねばならず、悲しみと不安で押しつぶされそうな私を置いていった。
遊んでいたわけではなく全て仕事だったのだから仕方のないことなんだけれど、「肝心な日にはいつもいない夫」として私の認識が定着しつつあった。
まあ、肝心な日と言わず、ほぼ家にはいないのだけれど。
今回の受診日、夫はヨーロッパにいた。
その事実だけで、また嫌な知らせを受け取る気がして憂鬱だった。
受診日を変更してもらおうか、とも思ったくらいだ。
因果関係がないことは自分でもわかっている。
それでも人間の思考はそう簡単に割り切れないものだ。
2ヶ月前の受診日よりも気持ちは落ち着いている、と頭では思っていたが、心はそうではなかったらしい。
前日から食欲がなくなり当日は吐き気も追加された。
忙しくしていたから気が紛れていたけれど、病院に来ると嫌でも自分が病人だということを思い出す。
心臓が口から飛び出そうになるこの待ち時間を、あと何回繰り返せばいいのだろうか。
呼ばれて診察室に入る。
「今回も特に問題なかったよ」という先生の言葉を聞くと肩から力が抜ける。
夫がいない日でも、大丈夫だったね。
これで、また2ヶ月間は元気なままでいられる。
生きていられることを、何気ない毎日が送れることを、噛み締めて過ごそう。
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