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途中下車の彼女と味噌煮込みうどん

その日、私と彼女は名古屋駅で味噌煮込みうどんを食べていた。

つい30分前にはじめましての挨拶を交わしたばかりだった。
話ははずむのか、どんな人なのか。
楽しみな気持ちと、少しの不安な気持ちを抱えて銀時計の前で待っていた。

彼女と知り合ったのはSNSでだった。
癌種は違ったが、同じ時期に手術と抗がん剤治療を受けていたからなんとなく親近感を覚えた。
彼女が頑張っていることが、支えだった。辛いのは自分だけじゃないと思えた。

「同じくらいの年齢でも、ひとくくりにできないから。私の言ったことで地雷を踏んじゃうかもしれなくて。もしそうだったらごめんなさい」
会ってまもなく、彼女は言った。
それは私が癌になってから、痛感していることだった。AYA世代と一括りにされがちだが、その中でも性別、年齢、婚姻状態、子どもの有無など状況はさまざまで、悩みは多岐にわたる。会うのが楽しみではあったが、私の何気ない一言で相手を傷つける可能性もあって、私はそれを危惧していた。

彼女が発したその言葉が、思慮深く、気遣いのできる彼女の性格を表していた。

お互いに癌患者と会うのははじめてだった。体調のこと、仕事のこと、日々の過ごし方など、話題は尽きなかった。

「話したいことはたくさんあるのだけれど、一旦食べましょうか」
丁寧に断りをいれてから味噌煮込みうどんを食べ始めた彼女が、食べ物にも、私にも真摯で、それがとてもおかしくて心地よくて、私は彼女が大好きになった。

彼女は関東に住んでいる。
「がんの人と話したい。関東方面で会ってくれる人いないかな。」
SNSの彼女の投稿に、年齢が近いがん患者と話したいと思っていた私はいいねボタンを押した。私は関東に住んでいないので、「彼女が誰かと会えるといいな」「同じ気持ちだよ」という気持ちで押した。数日後、彼女からDMが届いた。
住まいが関東でないことを伝えて謝ると、彼女は1ヶ月後に関西へ行く用事があるからそのついでに会えないかと提案してくれた。
その集合場所が名古屋駅だった。

味噌煮込みうどんを食べるときに、彼女はかぶっていた深めのバケットハットを取った。彼女は坊主だった。
彼女は静かに言葉を紡いだ。先々月にタイに旅行に行ったこと。ウィッグをつけずに歩いたけれど誰も彼女のことを気にしていなかったこと。自分が思うよりも他人は自分に興味がないこと。なにか思われたとして、見ず知らずの他人にどう思われてもどうでもいいこと。それからウィッグをかぶるのをやめたこと。
強くて、繊細で、彼女は綺麗だった。その髪型も、不本意ではあるだろうけれど、彼女にとても似合っていた。そして、彼女が言うように、じろじろと見る人は誰もいなかった。
彼女のように生きたいと思った。


実際にがんになった人と話すことでしか、得られないものがある。
脱毛の辛さも、抗がん剤の苦しみも、再発の不安も、がんになった悲しみも、生きる喜びも。
これからどうなるのか、どうしたいのか、どうすべきなのか。一体いつまで自分は生きていられるのか。

「怖くて、次の受診日までの予定しかいれられない」
彼女がそう話すように、私たちは2ヶ月ごとにライフチケットをもらっているようなものだ。私も次の受診日以降に予定をいれるときは、「再発したら行けなくなるな」という思いが常に頭をよぎる。
ずっと癌が付き纏うこの感覚は、突然未来を奪われた私たちにしかわからない。


私と彼女のこれからが、できるだけ長く続くことを願う。
今はとてつもなく遠い未来のように思える5年後の自分と彼女が、毎日を脅かされることなく、笑って過ごしているといいなと思う。

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