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人との距離が分からない。けれど孤独は嫌だ

最近、人との距離の測り方の分からなさが加速している。

去年の冬に起きたとある事件でそれが発症したと思っていたけれど、
思い返せば、小学生の時からそうだった。

友達が誰もいないクラスになった小学6年生の時。
一番意地悪な子がいなさそうなグループに入れてもらった。

確かに、意地悪はされなかった。

でも、いつも”お情け”で入れてもらっているような気がして、仲間に数えられていないと感じていた。
それと同時に、「この子達は6年生の間だけの友達だ」という冷たいことも考えていた。

私の冷たい気持ちが先で、それを皆が読み取っていたから、永遠にお情けのままだったのか。
それとも、向こうのお情けが先で、私に冷たい気持ちが芽生えたのか。

後者だと当時は思っていたけれど、もしかしたら自分を正当化するために思い込んでいたのかもしれない。

ーー

中学1年生の時、縁がないと思っていたイケイケな人たちに遊びに誘われた。

みんな可愛くて、キラキラしているように見えて、なんで自分が遊びに誘われるのかが分からなかった。アウェイな気しかしなかった。

でも、自分が思っている以上に、自分は人に必要されているのかもしれないとか、憧れているキラキラの人に近いのかもしれないとか、自惚れ始めた。

でも、そんな自惚れはすぐに終わった。

ある日、彼女たち数人とメロンパン作りをすることになった。しかし、予定の日当日、私は家の都合で出かけなくてはならず、いけなくなってしまった。

そんな私に彼女たちは、「あなたの分は取っておくから、取りにきてね!3時ごろに焼き上がるから」と言ってくれた。

アウェイだとか感じていたけれど、こんなに大事にされているんだと実感できる言葉だった。本当に嬉しかった。

「友達がメロンパン作ってくれて取りに行くから、早く帰って!」と父を急かした私。出先から家に帰るや否や、「今から行くね!」とLINEを入れて、友達の家に向かった。

その日は雨だった。レインコートを着てメロンパンのためだけに自転車を漕いだ。

友達の家に着いて、「着いたよ」のLINEをしようと思ったら、その友達からLINEが入っていた。

「ごめん、来ないと思って食べちゃった」

期待をした自分が馬鹿だったなぁ、と虚しい気分にはなったけれど、泣きはしなかった。ずっとアウェイだと思っていたのが、事実だと分かっただけだからかもしれない。

でも、可哀想な人にも、恥ずかしい人にもなりたくなかった。
ちょっとした強がりで、「まだ家出てないから大丈夫!」と返事をした。

本当はもう家の前にいるけれど。メロンパンのために親に車とばしてもらったけれど。家に向かってまた自転車をこいだ。

”悲しい気持ち”と”雨”なんて、小説みたいだなと考えていた。だから、これが雨の日だったことを鮮明に覚えている。


ーー

高校は県内の一番の進学校に進学した。

やはり、中学の時に比べたら全体的に大人しかった。

私はこれまで、対人関係に苦労して、それほど派手に生活してきたつもりはないのに、なぜか顔は生まれつき派手だった。顔が濃いとか、そういうことではない。すっぴんでも”チャラそう”と思われた。

当然、おとなしい学校の普通の子達は私を避ける。怖いから。

自分が入れそうな場所は、クラスで一番うるさい所しかなかった。

でも、私にはそこがうるさすぎた。ノリについていけなかった。テンションを高く見せるのも疲れた。

そこで、入学からしばらく経った後、塾で出会った同じクラスの優しそうな子に、同じグループに入れてもらえないか頼んだ。

こうして私は晴れてうるさいグループを抜けることができた。このうるさいグループはその後、グループ内の一人の女の子をハブりだしたから早めに抜けておいてよかった。

新しいグループは私を入れて3人。テンションも同じくらいで、居心地はよかった。けれど、それ以上の関係にはならなかった。クラスが終わってからは、3人とも互いに連絡を取らなかった。

居心地がいいということは、そのまま友情にはならないのかもしれないと思った。


ーー

大学1年生の時、新歓で隣になった美人な女の子と仲良くなった。

空きコマを一緒に過ごしたり、学食を一緒に食べたり。

でも、その子に対しても、「何でこの子は私と一緒にいるんだろう」と思っていた。合わないというより、自分がこの子みたいに美人でキラキラしている子と一緒にいるのが不思議だった。

ある日、学食を一緒に食べる人がいなかった私はその子に「一緒にお昼食べてもいい?」とLINEをした。

「いいけど、他の子もいるよ」と言われ「大丈夫!」と返事する私。

今思えば、他の子もいる=来るなって意味だったのかもしれない。

食堂に着いて「どこにおる?」と私がLINEをしても既読はつかなかった。

昼休みが終わっても、春学期が終わっても、そのLINEに既読が付くことは無かった。

ーーー

大学1年の冬の時、高校の同期で私と同じく京都にいる子や、近くの大阪にいる子で「あなたは友達の友達で、いい子って聞くから遊んでみたい!」と私に言ってくれる人が何人かいた。

でも、たまに2回目も遊ぶことはあっても、大抵が1回限りで終わった。

私が「別に次会うのはどっちでもいいや」と思っているのと同様の気持ちを向こうも持っていたのかもしれない。もしくは、私のこの冷たい気持ちが向こうに伝わっていたのかもしれない。

特に、大学1年の冬になるまで、私は自分のメンヘラな部分を誰にでも見せていた。
彼氏が大好きすぎて、友達といる時も彼氏に関する悩みばかり話したりしていた。
そんな私の地雷要素に、まともな人は気づいて去っていったのかもしれない。

ーー

ここ最近、バイト先のおばさんとの距離感が分からない。

大抵その方と二人きりだから、何も話さないのは感じ悪いなぁとは思う。でも、何を話していいのかも分からないし、話したいこともない。

機嫌を損ねないようにひたすら気を遣う。

考え疲れるから、結局私は彼女に近づくこともなく、自分の持ち場の仕事だけをする。最低限、仕事だけできればいいかなと思って。

でも、つい先日、そのおばさんが私に「おはよう」と自分から言ってくれた。
いつもは、私からしか言わないし、機嫌が悪い日には無視すらされるのに。

何が起きたんだと驚いていると、おばさんはどんどん私に話しかけてくれる。

嬉しいけれど、正直困った。彼女にどこまで掘り下げて聞いていいのかも分からないし、私は話したいことがないのに。でも、私が思っていたより、彼女は怖い人ではないし、いい人かもしれない、そう思った。

でも、次バイトにいった日、彼女は私に話しかけることは無かった。

今まで、私が「お疲れ様です」と言って先に上がるとき、「お疲れ〜」と返してくれていたけれど、その日は「お疲れ様です」だった。彼女に敬語を使われたのは初めてだった。

ーーーー

人との距離が分からなかった経験は、ここに書き切れないほどいっぱいある。


誰か、心の底から”友達”と思える人が欲しい。心を許して、自然と話したいことが出てくるような人が、アウェイを感じない人が欲しい。

けれど、人に何を話すか考えるのは本当に疲れるし、どこまで深堀していいのか気もつかう。その程度の関係の人に対して、何か聞きたいことが湧いてくるほどの興味を持っていないのかもしれない。

人はそんな私を見抜き、近寄らず、近づいても去っていくのかもしれない。

孤独は嫌なのに、人に関わろうとしない自分がいる、人と関わって疲れる自分がいる。




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