いい文章を書き続けたいあなたへ
「いい文章って、どんな文章?」
って聞かれたら、なんて答えます?
こんな感じでさ、いろんな答えがあると思う。
もう今は「1人1ブログ」の時代って言われてて。
この時代を生きるみんなが、文章を書いて発信してる。
だから、「いい文章を書けるようになりたい」って思う人、多いと思うんだ。
私もかつて、そうだった。
文章が好きだった。
読むのも書くのも大好きだった。
あんまり勉強は好きじゃなかったけど、文章だけは書くのが好き。
……な、ハズだった。
「反応がない文章は、0点だよ」
大学に入るとさ、講義でたくさんレポートを書くじゃない?
で、書くのは嫌いじゃなかったから、結構ポンポンと提出してたんだけど。
ある日、ゼミの教授にこう言われたの。
って。
本当に意味がわからなかった。
文章なんて、「私が書きたいこと」を、ただ思うがままに「書いて」終わりなんじゃないの?
私にとって、文章を書くことはある意味「排泄」みたいなもんだった。
頭の中にあることを、文字にして終わり。
日本語さえ合っていればオッケー、って思ってた。
でも、その大学の先生はとてもおだやかな声で、こう言った。
うん、それはそうですね。
うん。わかります。
こ、こみゅ……?はい??
……。
このセリフで私、ノックアウトされた。
神保町で3軒居酒屋ハシゴして、しこたま飲んで家帰ってそのままメイクも落とさず寝ちゃって、翌日起き上がったときのあの頭痛レベルですごい衝撃だった。
だからか。
だから、先生は最初に「反応がない文章は0点」って言ったのか。
だってさ、コミュニケーションって相手と私で行うじゃない?
私ばっかしゃべって終わり、じゃあコミュニケーションが破綻しちゃってる。
だから、
反応がない文章は、だめなんだ。
その後も講義があって夕方まで大学にいたんだけど、大学が終わって自分のアパートに帰る時の足取りは重たかった。
途中でファミマ寄っておにぎり2つ買ってかじりながら帰った。
家について、自分が今まで書いた文章を見返して愕然とした。
なんていうのかな。なんかこう……。
全部壁に向かってしゃべってる感じ。
ザ・読み手不在の文章。読み手がいないから、
そういう、読み手のために頭を使った痕跡が、一切ない。
猛省した。
猛省した私が次に考えたことは、
どうすれば反応がもらえるのか?
ってことだった。
これの答えを出すのに結構時間がかかったけど、いろんな苦労をしたからこそ、今の私は即答できる。
誰に書くのかをちゃんと決めること。
これ、私がすごく大切にしていること。
誰に書くかが決まらないと、「何をどう書くか」が決まらないから。
たとえば今、まさにあなたが読んでくれているこのnote。
これは、「いい文章を書き続けたい」と思っている人に向けて書いている。そうすると、
と考えて書くことができる。
これ、最初は結構難しい。
誰に書くのかをちゃんと決めても、なかなかうまく文章が書けない。
そこで、私が使っているすごくいいコツがある。それは、
たった一人に向けて、文章を書く
っていうこと。
ラブレターを書くような感じ。
以前、宇多田ヒカルさんが
って言ってて、「歌も文章と同じなんだなぁ」と思ったの。
「他でもない、あなたに向けて書いた」っていう文章はすごく伝わる力が強いから。
私は、行きつけの居酒屋でおいしいビールを飲みながら、隣に座ってる古い友人に話しかけるような気持ちで、いつもエッセイを書いてる。
だから、今このnoteを読んでくれてる人の中には、「しゃべりかけられてるような感覚になるな」って思った人もいるかも。
もしそう思っていてくれたのなら、とってもうれしい。
で、この「誰に向けて書くのか」を死ぬほど意識して書いた文章を、何度も何度も書くことで、グングン文章はうまくなっていく(と、思う)。
文章上達は、どこまでいっても数稽古。
数をこなすことで、質が上がっていく。
だから、文章を書くことよりも
書き「続ける」ことがとても大切
だと思うんだ。
じゃあどうすれば、続けることができるのか?
この問いの解答としてはいろんな意見があると思うんだけど、私はこう思ってる。
反応があると、続けられる
って。
こういう経験って、すごくうれしい。
時々バケモノみたいなうまさの感想を送ってくれる人もいて、うれしさよりも驚きが上回ることもあるけど。
でもやっぱり、こういうのってうれしいよね。
読んでくれる人がいるから、「書くこと」ができる。
反応してくれる人がいるから、「書き続けること」ができる。
確かに書くのは私なんだけど、そういう人たちがいるからこそ、書いて「続ける」ことができる。だから、
って思ってた。
そしたらさ、これね、noteの偉い人が同じこと言っててビックリした。
こないだね、note株式会社の公式ライブ配信があったのね。で、私これを見てたのよ。なんでかっていうと、
って書いてあったから。
これすっごく気にならない?
「どうすれば、執筆を続けられるのか」
って物書きならみんなすごく興味を持つと思う。
私は今まで、表現者として何度も何度も筆を折りかけた。
表現者であり続けることは、諦観・絶望・銷魂とのたゆまぬ戦いだった。
だから、書くことだけじゃなく、書き「続ける」ことがどれだけ尊いことか、すごくよく知ってるんだ。
だからこそ、私、noteの「ミッション」が大好き。
noteのミッション、なんだか知ってる?
「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」。
これすごくない?
始める、で終わるんじゃなくて「続けられるようにする」ってところ。
続けることをとても大切にしている、素敵なミッションだと思う。
で、この配信で驚愕の一言が出た。
その一言が、これ。
「好意を表現する人も、全員クリエイター」
って言った。マジで言った。
noteのCEOの方が、確かにこう言った。
頸椎が疲労骨折するレベルでうなずきまくった。まさに、その通り。
読んでくれる人がいるから、「書く」ことができる。
好きと言ってくれる人がいるから、「書き続ける」ことができる。
だとしたら、そうやって文章を読んで好きと言ってくれる人は、作品を一緒につくりあげた大切な人だ。
じゃあ好きって言ってもらうためにはどうすればいいのか
こっちから好きって言えばいいんだ
どこまで行っても、人間関係はしょせん鏡だ
鏡は先に笑わない
このことは物書きとして絶対に忘れたくない。
だから私は、「好き」と言ってくれた人には「ありがとう」と伝え続けようと思う。
その「好き」が、書き続けることの原動力になるから。
私が誰かの文章を「好きだなぁ」と思ったら素直に伝えようと思う。
その「好き」が、書き続けることの原動力になるから。
(了)
あとがき
電車に乗ってるとき、私はよく他人がスマホいじってる姿を見てるんだけど、つくづく
って思う。
電車の中でスマホいじってる人って、すごいスピードでスクロールするでしょ。
私もそう。さ~っと流して、「おっ」と思ったらちょっとだけじっくり読んで、またさ~っと流す。
だから、Webで文章を書くときは「じっくり読まれる」前提で書くよりも、「流し読みされる」前提で書いたほうがいいと思うんだよね。
なので、私はふだん「流し読み」でも内容が頭に入るように文章を書いてる。
ちょっとこのnote、上に戻って流し読みしてほしい。
太文字のところだけ読めば、概要をつかめるようになってるんだけど、どうかな。
もちろんnoteのこのデザインに助けられてる部分もあると思うよ。
noteって、私たち編集者の間では「読むInstagram」なんて言われるほど、UI UXがスゴイから。
でもそれを差し引いても、わりかし概要は入ってくると思う。
た、多分!
このnoteの本編では触れなかったけどさ。
こうした、「流し読み」を前提とした文章設計っていうのも、ちゃんと大事にしていきたいなって改めて思ったよ。
でも、たまにでいいから一言一句読んでみて!(笑)
魂を込めることに成功した言霊だけを、書くようにしてるから!
それじゃ、またね!
華より
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