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いい文章を書き続けたいあなたへ


「いい文章って、どんな文章?」


って聞かれたら、なんて答えます?

「日本語の間違いがない文章」
「読みやすい文章」
「最後まで読んでもらえる文章」

こんな感じでさ、いろんな答えがあると思う。



もう今は「1人1ブログ」の時代って言われてて。

この時代を生きるみんなが、文章を書いて発信してる。
だから、「いい文章を書けるようになりたい」って思う人、多いと思うんだ。

私もかつて、そうだった。



文章が好きだった。
読むのも書くのも大好きだった。
あんまり勉強は好きじゃなかったけど、文章だけは書くのが好き。

……な、ハズだった。



「反応がない文章は、0点だよ」

大学に入るとさ、講義でたくさんレポートを書くじゃない?
で、書くのは嫌いじゃなかったから、結構ポンポンと提出してたんだけど。
ある日、ゼミの教授にこう言われたの。

「どれだけ上手な日本語だったとしても、
 反応がない文章は、0点なんだよ」

って。

本当に意味がわからなかった。





文章なんて、「私が書きたいこと」を、ただ思うがままに「書いて」終わりなんじゃないの?

私にとって、文章を書くことはある意味「排泄」みたいなもんだった。
頭の中にあることを、文字にして終わり。
日本語さえ合っていればオッケー、って思ってた。



でも、その大学の先生はとてもおだやかな声で、こう言った。

あのね、文章を書いたということは、つまりその文章を読む人がいるってことじゃない?
そしてその読み手は、たいていはキミ以外の、「他者」だよね。
日記とかは別だけどさ。

うん、それはそうですね。

だから、レポートだろうが論文だろうがエッセイだろうが小説だろうがブログだろうが企業ページに載せるリリースだろうが、すべての文章は書き手がいて、読み手がいるんだよ。
伝えたいことがあって、それを文字にする。
そしてその伝えたいことを、聞いてくれる人がいる。

うん。わかります。

だからこれは、「コミュニケーション」なんだよね。

こ、こみゅ……?はい??

コミュニケーション。
今、ボクとキミがやっているコミュニケーションとなんらかわらない。
今はボクとキミは声でやってるけど、これがただ文字になっただけ。

……。

だから、文章を書くということは
「読み手と書き手のコミュニケーション」なんだよ。

このセリフで私、ノックアウトされた。




神保町で3軒居酒屋ハシゴして、しこたま飲んで家帰ってそのままメイクも落とさず寝ちゃって、翌日起き上がったときのあの頭痛レベルですごい衝撃だった。

だからか。
だから、先生は最初に「反応がない文章は0点」って言ったのか。

だってさ、コミュニケーションって相手と私で行うじゃない?
私ばっかしゃべって終わり、じゃあコミュニケーションが破綻しちゃってる。



だから、

反応がない文章は、だめなんだ。


その後も講義があって夕方まで大学にいたんだけど、大学が終わって自分のアパートに帰る時の足取りは重たかった。
途中でファミマ寄っておにぎり2つ買ってかじりながら帰った。

家について、自分が今まで書いた文章を見返して愕然とした。

なんていうのかな。なんかこう……。

全部壁に向かってしゃべってる感じ。





ザ・読み手不在の文章。読み手がいないから、

「こういう順番で書いたほうがわかりやすいかな」とか
「この表現よりこっちの言葉のほうがいいよね」とか
「なるべく読み手の負担を減らせるよう、文章は簡潔にしよう」とか

そういう、読み手のために頭を使った痕跡が、一切ない。

猛省した。



猛省した私が次に考えたことは、

どうすれば反応がもらえるのか?


ってことだった。



これの答えを出すのに結構時間がかかったけど、いろんな苦労をしたからこそ、今の私は即答できる。

誰に書くのかをちゃんと決めること。


これ、私がすごく大切にしていること。
誰に書くかが決まらないと、「何をどう書くか」が決まらないから。



たとえば今、まさにあなたが読んでくれているこのnote。

これは、「いい文章を書き続けたい」と思っている人に向けて書いている。そうすると、

「きっとこういうことで悩んでるだろうな」
「じゃあその悩みを楽しく解決できるようにしよう」
「こういう流れでこういう表現で書いてみよう」

と考えて書くことができる。



これ、最初は結構難しい。
誰に書くのかをちゃんと決めても、なかなかうまく文章が書けない。
そこで、私が使っているすごくいいコツがある。それは、

たった一人に向けて、文章を書く


っていうこと。
ラブレターを書くような感じ。



以前、宇多田ヒカルさんが

「時代や社会に向かって歌ったことはない。
 つねに部屋でひとりヘッドホンをつけてる【誰か】に向けて歌っている」

って言ってて、「歌も文章と同じなんだなぁ」と思ったの。

「他でもない、あなたに向けて書いた」っていう文章はすごく伝わる力が強いから。



私は、行きつけの居酒屋でおいしいビールを飲みながら、隣に座ってる古い友人に話しかけるような気持ちで、いつもエッセイを書いてる。
だから、今このnoteを読んでくれてる人の中には、「しゃべりかけられてるような感覚になるな」って思った人もいるかも。
もしそう思っていてくれたのなら、とってもうれしい。



で、この「誰に向けて書くのか」を死ぬほど意識して書いた文章を、何度も何度も書くことで、グングン文章はうまくなっていく(と、思う)。

文章上達は、どこまでいっても数稽古。
数をこなすことで、質が上がっていく。



だから、文章を書くことよりも

書き「続ける」ことがとても大切


だと思うんだ。



じゃあどうすれば、続けることができるのか?

この問いの解答としてはいろんな意見があると思うんだけど、私はこう思ってる。

反応があると、続けられる


って。

Twitterでつぶやいたことに感想をもらえた。
ブログで書いた記事がリツイートされた。
noteで書いた記事が「スキ」された。

こういう経験って、すごくうれしい。



時々バケモノみたいなうまさの感想を送ってくれる人もいて、うれしさよりも驚きが上回ることもあるけど。
でもやっぱり、こういうのってうれしいよね。

読んでくれる人がいるから、「書くこと」ができる。

反応してくれる人がいるから、「書き続けること」ができる。




確かに書くのは私なんだけど、そういう人たちがいるからこそ、書いて「続ける」ことができる。だから、

直接執筆にかかわってなくても、読んで反応を返してくれた人は、作品を一緒につくりあげてくれた大切な人だ。

って思ってた。



そしたらさ、これね、noteの偉い人が同じこと言っててビックリした。


こないだね、note株式会社の公式ライブ配信があったのね。で、私これを見てたのよ。なんでかっていうと、

このライブ配信では、クリエイターが創作を「続けられる」ための取り組みを解説します。

って書いてあったから。




これすっごく気にならない?

「どうすれば、執筆を続けられるのか」


って物書きならみんなすごく興味を持つと思う。



私は今まで、表現者として何度も何度も筆を折りかけた。

表現者であり続けることは、諦観・絶望・銷魂とのたゆまぬ戦いだった。

だから、書くことだけじゃなく、書き「続ける」ことがどれだけ尊いことか、すごくよく知ってるんだ。



だからこそ、私、noteの「ミッション」が大好き。

noteのミッション、なんだか知ってる?

「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」。



これすごくない?
始める、で終わるんじゃなくて「続けられるようにする」ってところ。
続けることをとても大切にしている、素敵なミッションだと思う。


で、この配信で驚愕の一言が出た。


その一言が、これ。

「創作する人はもちろんつくる人なんですけど、好意を表現する、スキを押すだけの人も、これはやっぱり、全員我々クリエイターなんじゃないかなと思っている」

(原文ママ)

「好意を表現する人も、全員クリエイター」


って言った。マジで言った。

noteのCEOの方が、確かにこう言った。

あまりに驚愕すぎてその瞬間のキャプチャとった


頸椎が疲労骨折するレベルでうなずきまくった。まさに、その通り。



読んでくれる人がいるから、「書く」ことができる。

好きと言ってくれる人がいるから、「書き続ける」ことができる。

だとしたら、そうやって文章を読んで好きと言ってくれる人は、作品を一緒につくりあげた大切な人だ。



じゃあ好きって言ってもらうためにはどうすればいいのか

こっちから好きって言えばいいんだ

どこまで行っても、人間関係はしょせん鏡だ

鏡は先に笑わない



「好き」を伝える人も、ただそれだけで、クリエイターだ。

このことは物書きとして絶対に忘れたくない。


だから私は、「好き」と言ってくれた人には「ありがとう」と伝え続けようと思う。
その「好き」が、書き続けることの原動力になるから。


私が誰かの文章を「好きだなぁ」と思ったら素直に伝えようと思う。
その「好き」が、書き続けることの原動力になるから。




(了)






あとがき



電車に乗ってるとき、私はよく他人がスマホいじってる姿を見てるんだけど、つくづく

「Webの文章は、読むものではなく"見る"ものだなぁ」

って思う。

電車の中でスマホいじってる人って、すごいスピードでスクロールするでしょ。

私もそう。さ~っと流して、「おっ」と思ったらちょっとだけじっくり読んで、またさ~っと流す。

だから、Webで文章を書くときは「じっくり読まれる」前提で書くよりも、「流し読みされる」前提で書いたほうがいいと思うんだよね。



なので、私はふだん「流し読み」でも内容が頭に入るように文章を書いてる。


ちょっとこのnote、上に戻って流し読みしてほしい。


太文字のところだけ読めば、概要をつかめるようになってるんだけど、どうかな。



もちろんnoteのこのデザインに助けられてる部分もあると思うよ。
noteって、私たち編集者の間では「読むInstagram」なんて言われるほど、UI UXがスゴイから。

でもそれを差し引いても、わりかし概要は入ってくると思う。
た、多分!


このnoteの本編では触れなかったけどさ。
こうした、「流し読み」を前提とした文章設計っていうのも、ちゃんと大事にしていきたいなって改めて思ったよ。


でも、たまにでいいから一言一句読んでみて!(笑)

魂を込めることに成功した言霊だけを、書くようにしてるから!


それじゃ、またね!


華より




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