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東十条の鳥籠(前編)

「ただいま、王子〜東十条間の踏切で非常停止ボタンが押されたため、安全確認を行っており……」
 都内を北へとすすむその電車に乗っていた私は、目的地の手前、まさにその王子駅で足止めをくってしまった。

 今日は、とある楽器製作兼修理のエキスパートである友人のところに、うちのバンマスが楽器を預けに行くというので、それについていくことになっていた。
 13:00待ち合わせ。オンタイムに着く予定だった電車はホームから微動だにしない。
 バンマスはこの次の電車に乗っているそうだから、同じく足止めだろう。

『王子で電車止まっちゃってる』
『ごめん、止めたん俺やから大丈夫。笑』
『おまえか!!!! ……ってわけで、少し遅れます』
 いつものような軽口メッセージを交わしているうちに、思ったより早く電車は動き出したのでホッとする。
『バンマスは次のに乗ってるみたい。南口ね?』
『お巡りさんのコスプレしてるからよく探して』

 なんのこっちゃと思いながら東十条北口への階段を登っていき改札を出たところ、なにやらものものしい雰囲気が漂っている。5人ほどの警察官が一人の男の人を囲んでいる。マジか。
 ちょうどその人を連れていくところだったらしく、警官たちはすぐに駅構内からいなくなった。
 ふと見ると、改札からは死角になるような位置に、見覚えのあるアフロ君のニヤニヤが見えた。

「やーどうも、おつかれ」
「やぁやぁ。ほんまにお巡りさんの中、探してしもうたやんか」もちろん嘘である。
 ちなみに彼は関西弁なので、普段は標準語で喋る私も彼と会うとかなり関西弁が出てしまう。

 バンマスの到着を待って駅を出ると、さながら真夏のような日差しがアスファルトを照り返し、私は思わず日陰を探して歩きたくなった。
 男性二人は日焼けなど気にする様子もなく、どんどん進んでいく。日焼け止めは塗ってあるけど、どれほどあてになるものか。日傘を持ってくればよかった。

 東十条という駅は何度も通ったことがあったが、降りるのははじめてだった。東京でも住宅街、下町、いろんな呼び方があると思うが、私の知っているどのまちともちがう風情のある、不思議な風景がつづいている。立石の飲み屋街とも中野の立ち退き間近の線路沿いとも似つかない、初めての風景が広がっていた。
 ついつい引き込まれて、日差しのことも忘れて写真を撮ってしまう。

 なんだろう。ノンバーバルに訴えてくるこの、レトロという言葉にはみ出してなお溢れる感じ……。

 角を曲がると、さっき電車を降りた時には気づかなかったけれど、何本もの路線を抱えた広い広い線路にぶち当たる。

 上には新幹線が走っているそうだ。
「ここ、撮り鉄の絶好のスポットらしいで」
 アフロ君が言う。

 その線路沿いを歩きに歩いて(ずっと日陰で助かった)、大きな踏切にさしかかったとき、アフロ君がおもむろに、「さっきここで、大っきな荷物持ったおじいちゃんがおってな、」と話し始めた。
「カートの車輪が溝にハマっててさ。それを無理に渡ろうとして、転んで、荷物の下敷きになってもうて」
「え、それで電車止まったん。っていうかその場におったん?」
「思いっきり貨物列車の通る線路に横になってるから、これはアカンおじいちゃん真っ二つなってまう、と思って、非常ボタン押してん」
「え」
「その話ホントだったの?」
 私とバンマスが同時に声をあげた。
「俺、完全に冗談だと思ってたよ」
「私もですよ!」
「俺も初めて押したわ」
 そうでしょうなあ。
「非常停止ボタン押して、すぐここの下にある番号に連絡して、JRの人とやり取りして。
 ほんで『あかん、二人待たせてしまうやん』って急いでたら、ちょうど電車止まったってメッセ来て。あーそらそやな、止めたん俺やわって」
 アフロ君は他人事のようにけらけらと笑っている。

 10分ほど歩いただろうか。戸建てを借りているという工房は、思った以上に民家の中にあって、そして思った以上に民家だった。

 しかし、中に入ると印象は一変。

 謎の工具やら、謎の薬品やら、謎の暖房器具やらが溢れている!
 作業台もかっこいい。
 なにやら古民家カフェっぽくもあるし、レトロモダンな文具店ぽくもある。スピーカーが部屋の2隅にひとつずつ、まるで神棚のように設置されている。
「ねえねえ、このビンに入ってるのはなに?」
「これは、んーとねぇ……ギターパーツの、プラスチックのツマミとか、わかる? あれな、新品っぽいのが嫌やっていう人がいてるねん」
「あー。コナレ感ていうか、使い込んでる感じ出したい的な?」
「そうそう。そういうのを汚した感じにする注文とかがくるのん。わざと手垢みたいなん着けてくれ、言われたり」
「経年変化いうやつや」
「そう。それに使う液」
「こっちのは?」
 面白いものが多すぎる。仕事の邪魔と知りつつも、つい質問攻めにしてしまう。

 家屋自体はとてもレトロなのも楽しい。
「おばあちゃんちみたいやろ?」
 と、ガラス戸を指さすアフロ君。

 最初にも書いた通り、彼は自営で楽器製作と修理を請け負っているのだが、その屋号にちなんだインテリアがところどころに仕掛けてあるのもおしゃれな感じだ。

「これ、イキナリ変な共鳴してますねえ」
 バンマスのベースを受け取って音を出すなり、アフロ君が言った。
「これね、もうかなり古い楽器なんですよ。20年くらいかなあ。しかもね、プロトタイプなんだって。だから、あれがないんだよ。シリアル」
「あー、シリアルナンバーないんすか」

「ハイポジの音が、ちょっと重い気がするんですよ。もうちょっと軽く、バツンと鳴らしたいんですよね」
「はーはー、なるほど」
 バンマスがアンプに繋いで軽くスラップしてみせる。なるほど、バツンというより、ボウンと鳴っている。バンドで歌っていてわかるほどではないけれど、こうして聴くとたしかに、抜けが気になる。
「これ、バラしてみちゃって大丈夫です?」
「もちろん、もちろん。お願いします」

「……これが、そこの設定思想なのかわからんですけど、すこーし起こした設計になってて、こう、順反りに近いような状態で弦高が高くなってるんすよね」
「はー、そうなんですね」
「おそらくはオールドフェンダーに近づけようっていう意図なのか、ただ僕の意見では、フェンダージャパンは……」
 ベースのことが分からない私にはもはや宇宙語に聞こえるような会話を繰り広げるのをただぼおっと眺める。知らないだけに、知らない言葉を拾って想像をひろげるのも楽しい。

 ギターもベースも弾けないが、分解されて構造を見るのはわくわくした。

「ここのバネが実は足りてなくて。それで共鳴してビリビリいいよるんですよ。
 で、この紙みたいなの噛ませて、それで角度を調整してたみたいっすね。こういうやり方は初めて見たけど」
「へえェ、こんな薄いので!」
「これ、木のほうにも跡がついてるってことは、年月経つうちに食いこんで……?」
「せやね、調整甘くなってる可能性はあるね」
 わからないなりに、あてずっぽうで質問してみたけど、あながち当て外れでもないらしく、うれしくなる。

「ちょうどしばらくバンドの予定がないからさ、この機会に預けてしまおうと思って」
 バンマスがこぼす。うちのバンドの活動についてはアフロ君も知っているのだが、最近、メンバーの一人が活動休止の申し出をしてきたことは、彼はまだ知らない。
 一瞬の微妙な空気を察知してか、おもむろに私の方をくるっと向いて、肩をポンと叩きながら、ものすごい笑顔でアフロ君が言う。
「なに、きみクビになるかもしれへんの?」
「なんでよ!」
 もちろん、最もありえないところを狙ってボケをかますのも、そのうえで深く詮索しないのも、彼の気遣いであることはわかっている。

「Sさん(アフロ君)のベース、弾かせてもらっていい?」
 唐突に、バンマスが言いだした。
 そう、実はアフロ君もベース弾きなのである。
 ……というか、彼は実はすごい人物で、有名バンドのベース・テクニシャン(ステージ上で楽器のメンテやセッティングをして演者に渡す、あの役の人)として全国ツアーについて回ったりしたことがあるほど。
 独立してからもその筋ではなかなかの売れっ子らしく、音楽雑誌にもたびたび登場していたり、寄稿していたりする。

 それだけでも凄いのに、とにかくネタに困らない日々を送っている。今日の非常停止ボタンエピソードもそうだが、とにかく彼の身の回りにはトンデモエピソードが絶えない。しかも、完全に巻き込まれ型のやつである。
 そんなわけで、彼としてもネタの吐き出し口として私を面白がって(面白がらせて?)いるらしい。
 ネタはともかく、それだけ楽器のことを熟知しているわけなので、本人の「大したことないねんけどな」という談とは裏腹に演奏技術もなかなかのもの。ついでに音楽理論にも明るいので、そのあたりでも話が合う。ついでに趣味のカメラにも付き合う。そしてライブ写真を撮影に来てくれたりもする。
 私とアフロ君はそういう友人なのだ。

「いっすよ」
 そう言って渡された楽器は、私の大好きなグリーン系、そこに重ねて赤茶系のカラーリング。ストラップもそれに合わせた配色になっている。正直、見た目だけで「ください」と言ってしまいそうなくらい好みの子だった。

「これ、めちゃくちゃかっこいいね」
「せやろ。これ、Mっていう会社の社長がヤフオクかなんかで落とした、フェンダージャパンのベースに、M社の部品設置したりなんだりして、お前にやるいうて、くれたやつやねん」

 M社、という名前に、どこか聞き覚えがあった。えーと……、あ!
「M社て、Kさんの!」
 アフロ君は、一瞬、脳内を検索するのに時間を要したようだった。そりゃそうだ、Kさんとアフロ君はかなり密な関係で仕事をしていたので、共通の知り合いなど腐るほどいる。その中に私がいたことを2秒ほどかけて探し当てたようだった。
 ついでに、私とKさんとの間のエピソードも一緒に思い出したらしい。意味ありげな視線を返してくる。
「そうそう、そのKさんとこ」
 くすぐったいような、気まずいようなで思わず笑いが吹き出してしまう。
「わー久しぶりに聞いた、Kさん。そうかあ」
 バンマスはすっかりそのベースに夢中で、
「これアンプ繋いでいいです? さすがに、いいね。いい音する。これめっちゃいい」
 と、「いい」をひたすら連呼している。

 グリーンと赤茶のコントラストを眺めながら、一瞬にしていろんな記憶がめぐった。Kさん主催の忘年会で演奏したことや、当時いたバンドのこと。今はすべて縁がなくなった人たちでもあるので、思い出すこと自体が本当に久しぶりだった。ふふ、と、さっきとはちがう笑みがこぼれる。
「Kさん、懐かしいなあ。お元気なんやろか」
 そう言った瞬間、アフロ君の表情がまた一瞬フリーズするのが見えた。目をすこし見開いて、こちらをまっすぐ、まじまじと見た。そして、あぁそうか、知らへんのやな、という柔らかな表情で、告げた。
「Kさん、亡くなってもうたよ」
「え」

 遠くで列車がごうと唸り、踏切がかんかんと鳴いた。

(つづく)



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