「アスリートの人生は、現役時代がピーク」なんておかしいとぼくは思う
「引退後のキャリア」に不安を抱えるアスリートは多い。
どんなに活躍した選手でも、引退後に不安定な生活を送ることはある。オリンピックに出ても、そのあとの就職先は誰も保証してくれない。大会が終わったら、誰も覚えていてくれない。
だからスポーツ選手を目指したくても「その先の人生厳しくない?」と考えて、やめてしまう人も多い。
それってすごくもったいない。
アスリートは現役時代が人生のピークで、あとは落ちていくだけなのか?
そんなことは絶対にない。ぼくは「選手を引退したあとでも、いきいき働ける場所があるんだ」ってことを示していきたい。それが、選手の人生のためにも、スポーツ業界全体のためにも、すごく大切だと思うんだ。
ぼくの会社では、いま4人の元アスリートと、1人の現役アスリートが働いている。
今回は、彼らの話をしたいと思う。
スポーツひとすじの人生から、いきなりビジネスの世界に飛び込む。もちろん、簡単なことじゃない。みんなギャップに苦しむ。それでも、乗り越えることはできる。そして乗り越えた先には、めちゃくちゃおもしろい世界がある。
キャリアに漠然と不安を抱えている選手や、そんな選手の周りにいる人たちに、ぜひ知ってほしいんだ!
元なでしこリーグのサッカー選手
引退直後のアスリートを、初めて採用したのは、6年前。
なでしこリーグのサッカー選手だった、鳥谷部(とりやべ)というメンバーだ。
彼女は26歳でアスリートを引退した。
アスリートとしての日々は決して順風満帆ではなかった。最初のチームでは、ケガで思うように体が動かず、戦力外通告を受けた。移籍後も試合になかなか出られず、選手としての自信を失ってしまった。
その後、熊本の地域リーグに移ったものの、震災でチーム自体がなくなってしまった。選手としてトップにはなれないと思い知り、引退を決断した。
そのあと、キャリアコンサルタントを介して、うちの会社に興味を持ってくれたんだ。
営業先で寝てしまう
当時うちの会社は、創業8年目。鳥谷部は6人目のメンバーだった。
ぼく自身も、元バスケ選手だ。セカンドキャリアにはかなり苦労した。だからこそ「いつかは自分と同じような、引退直後のアスリートを受け入れたい」と思っていた。
そんなときに鳥谷部に会った。面談で「まだ仕事のことは何もわからないけど、とにかく頑張りたいんです!」と、ちょっとウルウルしながら言っているのを見て「素直そうだし、この子なら伸びるんじゃないか」と思って採用を決めた。
でも、実際に働き始めたら、ぜんぜん素直ではなかったんだ。笑
仕事のことで先輩から指導されたら「なんでそんなこと言うんですか!」と怒ってしまう。「自分の意見はこうだから、絶対こうだ」と、意固地になっている感じだった。
お客さんとの打ち合わせで、寝てしまうこともあった。
もちろん社会人としてあり得ないことだ。ただ、不真面目だったわけではない。ずっとスポーツの世界しか知らなかった彼女にとって、先輩がお客さんに話しているWEBマーケやコンサルの話は、もはや違う国の言葉みたいなものだった。
何がわからないのかと聞かれても、それすらわからない。そんな状態だったんだ。
周りのメンバーは、彼女に真摯に向き合っていた。それは本人もわかっていたけど、なかなか受け入れられなくて、ずっと自分の殻に閉じこもっていた。
だから最初の2年ぐらいは、ぜんぜん成長できなかった。
本人も、すごく苦しそうだった。プライドがへし折られて、毎日のように会社で泣いていたのを覚えてる。
「無断欠勤」事件
そんなとき、鳥谷部がとつぜん無断欠勤をした。
会社にも来ないし、ぜんぜん連絡もつかなくて、社内がちょっとした騒ぎになった。男性メンバーが押しかけたら怖いだろうからと、ぼくの秘書さんが鳥谷部の家まで行って、様子を見てくることになった。
みんなで心配しながらしばらく待っていた。そしたら「生きてました!」って秘書さんから連絡が来て、とりあえずは「よかった」って安心して。
でもそのとき、メンバーの中には「さすがにもうこれはない、クビでしょ」「まだ10人いないぐらいの規模で、本当に1人1人が数字を上げないと会社つぶれちゃうじゃん。そういう状況で無断欠勤とか、ありえないでしょ」って声もあった。
彼女の成長を心から応援して、接してきたからこその反応だった。
みんなで彼女のことを考えてサポートしているのに、無断欠勤するなんて誠実じゃない。そう感じたんだと思う。
アスリートが社会に出て、ぶつかる壁
営業中に寝るとか、無断欠勤するなんて「ありえない」って思う人も多いと思う。
でも鳥谷部がぶつかった壁は、アスリートにとって、決して珍しいものではない。ぼくも、引退したばかりの頃はそんな感じだった。
アスリートには、見方によってはちょっと「意固地」なところがある。
プロスポーツは、つねに競争の世界。試合相手に勝たなきゃいけないのはもちろんだけど、チーム内にも「レギュラー争い」がある。
チームメイトは味方でもあるけど、同時にライバルでもあるんだ。
だから仲間とはいえ、契約や選手生活のことが絡んでくると、どうしても心の底からは頼れなくなってしまう。「信じられるのは自分だけ」「自分が絶対正しい」というマインドになりやすい。
正直、ぼくも現役時代、心の奥底では、他の選手のことが好きではなかった。「こいつらが試合に出てるから、俺が出られないんだ」と思ってしまうこともあった。
そういう「やるか、やられるか」みたいな世界にいると、いざふつうの会社に入ったときも、つい身構えてしまうんだ。自分のことを思って厳しく接してくれた人にも「この人、自分を蹴落とそうしてるのかな?」って疑っちゃう。
鳥谷部は特に、選手時代も思うように結果が出ず、傷ついていたから、余計に不安だったんだろう。
でも、会社はスポーツチームとは違う。会社のメンバーは運命共同体であり、心の底からの「チーム」だ。だから、弱い部分を隠さずに、ちゃんと頼ったほうが、仕事はうまく回るようになる。
仲間のことを、本気で信じて、頼れるかどうか。
それは、社会に出た元アスリートが直面する、いちばん最初の壁だと思う。
信頼して待つ
じゃあ鳥谷部はどうやって、その壁を乗り越えていったのか?
当時、ぼくが鳥谷部に対してしたことは、とてもシンプルだった。
ただ、信じて待つ。それだけをし続けた。
彼女を否定するようなことは絶対に言わなかった。失敗しても「これができてないよ」じゃなくて「これはできるようになってるよね」という言葉をかけた。
メンバーにも「鳥谷部は大丈夫だから。いつか絶対、結果が出るから」と言いつづけた。
無断欠勤したときも、責めたりはしなかった。会社に出てきたときに「大丈夫?」「連絡がないと、事故とかにあったのかもって心配になるから、休むとき連絡はしてね」とだけ言った。
あとから本人に聞いた話だけど、そのとき彼女は「ああ、でっけえな」「愛されてるんだな」と強く感じたらしい。
この場所では、弱さを見せても見限られたりしない。そう思えたことで、心が安定したんだそうだ。
周りを頼れるようになったら、うまくいきはじめた
それ以来、鳥谷部はだんだんと周りを信じて、頼るようになっていった。
SNSで同年代のセカンドキャリア組とつながって、話をしたことも大きかったらしい。自分の状況を客観的に見られるようになった。「もしかしたら、自分はすごく恵まれた環境にいるのかもしれない」って気づくことができたそうだ。
周りからのアドバイスも、素直に聞き入れられるようになった。
すると、鳥谷部に対する周りのメンバーの目も変わっていった。彼女が頼れるようになったことで、みんなも彼女を信頼できるようになった。
みんなとの関係性もよくなって、これまで拒んでいたアドバイスをどんどん吸収できたから、すごいスピードで成長していけたんだ。
言葉に「説得力」が生まれた
そこからはいろんなことがうまく回り始めるようになった。
入社3年目に、彼女は「新潟アルビレックスBB」という、新潟のバスケチームに、広報役としてたったひとりで出向することになった。
「会社としては行ってほしいけど、不安だろうから鳥谷部の意思を尊重するよ」と伝えたら「やりたいです」と言ってくれて。
仕事も見違えるくらいできるようになった。
入ったばかりのころは、営業に行ってもオドオドしていて、何も言えなかった。
でも現場での仕事を経験してからは、堂々と「自分の言葉」で提案ができるようになった。ちゃんとお客さんの課題を整理して、それに合わせた施策を提案できるようになったんだ。
人から聞いた話や、世間の「定説」じゃなくて、自分で思考した厚みのある言葉。だからすごく説得力があって、お客さんにも信頼してもらえたんだ。
講演会に登壇するまでに
彼女はいま、うちの会社にとってなくてはならない存在だ。
さらに最近は、彼女個人に講演会の依頼がくるまでになった。
先日は、サッカーのなでしこリーグの「FC今治レディース」というチームの選手の前で、セカンドキャリアについて講演をした。
講演の中で、彼女はこんなことを言っていた。
「選手時代よりも、今のほうが楽しいんです」
ぼくはこの言葉を聞いて、本当にうれしかったんだ。
元アスリートの中には、選手時代が人生のピークで、その後のキャリアには満足できない人も、やっぱり多い。
でも、いまの鳥谷部はそうじゃない。自分で納得できるキャリアを歩んでいる。現役アスリートに希望を与える存在になっている。それってすごく幸せなことだと思う。
そういう人を、ぼくはもっと増やしていきたい。
そのためには「セカンドキャリア支援」のあり方を、根本から考えなきゃいけないと思ってるんだ。
セカンドキャリアの選択肢は狭い
元アスリートが納得のいくキャリアを歩みづらいのには、いくつか理由がある。
まず、引退していきなり一般企業に就職するのは、かなりハードルが高い。
これは、ぼくが人材会社にいた頃に痛感したことでもある。
バスケ選手を引退後、ぼくは人材会社に就職した。自分自身、転職にはかなり苦労したから、同じような元アスリートのセカンドキャリア支援がしたかったんだ。
でも、結局うまくいかなかった。
ずっとスポーツに打ち込んできた元プロアスリートは、ビジネスパーソンとしてはスキルも経験もない。企業にとっては「マネジメントコストがかかる人材」。だからどうしても雇ってもらいにくい。入社後のミスマッチもとても多い。
厳しい現実だけど、企業側の事情もわかるから、しょうがなかった。
すると、必然的にキャリアの選択肢も限られてくる。
スポーツチームのコーチになったり、教員になって部活の顧問として、スポーツに携わる道もある。でもそういうキャリアを選べる人は、ほんの一握り。
多くの元アスリートは、体を使う仕事や事務職に就く。営業職も圧倒的に多い。雇用契約も正社員は難しく、アルバイトになることも少なくない。
体力仕事や事務職も、もちろん価値ある仕事だ。でも、元アスリート全員が、その仕事に就きたいって思うわけじゃない。
「こういうふうに働きたい」と思っても、それが叶わないことが多いのは、やっぱり問題だと思うんだ。
成果が出るまでに時間がかかる
なんとか就職先が決まっても、成果を出すまでには時間がかかる。
選手時代から気持ちを切り替えて、すぐに次の仕事に打ち込める人は多くない。
とくにスポーツで思うような活躍ができずに引退する選手は、やっぱり深く傷ついているし、スポーツの世界に未練もある。
だから「よし、次の仕事を頑張ろう」って、すぐには思えなかったりする。
しかも選手時代は、とにかく「いいプレーをする」ことだけに集中する。選手はそれが仕事だから、もちろんそれでいいし、そうできるように周りが環境を整えてくれる。
でも、一般企業に就職したら、1つの仕事だけにフォーカスするのは難しい。
営業に行ったり、日程調整をしたり、上司に報告をしたり。選手時代にはやってこなかったような仕事を、いくつも同時にやらなきゃいけない。
それに慣れるのは、やっぱりすごく時間がかかる。頑張りきれずに辞めちゃって、職を転々としてしまう人も多いんだ。
「仕事を紹介する」だけじゃうまくいかない
アスリートがぶつかるこういう壁って、ふつうの会社ではなかなか理解されない。
人生をかけて取り組んだものを、突然失って、まったくのゼロから再スタートする。その気持ちは、そうなった経験がある人にしかわからない。
結局、本人も会社もお互いに傷ついたまま、転職していくことになる。
だからこそ、ただ単に「次の就職先を紹介する」だけでは、アスリートのキャリア支援はうまくいかない。
未経験からまったく別の職種にキャリアチェンジする人は、職業訓練学校に通うことが多い。アスリートが社会に出るのは、それと同じだと思う。
つまり、就職する前に「スキルを身につける期間」が絶対に必要なんだ。
「脱皮期間」をぼくらが引き受けたい
ぼくが思うセカンドキャリアの支援の理想形は「うちで雇って、うちで育てる」こと。
よくある「セカンドキャリア支援」は、実際のところ「支援」じゃなくて「斡旋」であることが多い。人と企業をつなぐマッチング。すでにスキルがある人の中途採用ならそれでもいいけど、元アスリートはそれじゃうまくいかない。
ただ横に移動させるだけじゃなく、ちゃんと開発して、階段を登らせてあげたい。
だから、まずはうちで育てる。WEBマーケやPR、営業のスキルを身につけて、うちの社内やお客さん先のクラブで働いてもらう。そうやって一度じっくりキャリアを構築したうえで、外の世界に輩出していく。
そこまでやってこそ「キャリア支援」と呼べるんじゃないだろうか。
ただ、これをスポーツとなんの関係もない会社でやるのは、酷だと思う。育てるのには時間がかかるし、売上に直結するわけじゃない。だったら体育会系の新卒を採用したほうがコスパがいい。
そういう意味では、ぼくがやらなきゃいけないことだと思ってる。
アスリートが社会に出る時の、痛みをともなう「脱皮期間」。それを経験する場所として、うちの会社はとても稀有な環境だと思うんだ。
営業のリーダー格は元バスケ選手
うちの社内には、鳥谷部以外にもビジネスの第一線で活躍している、元アスリートのメンバーがいる。
営業のリーダー格として活躍している森田というメンバーは、元バスケ選手だ。
彼はぼくの2歳下で、同時期にバスケの海外リーグに挑戦した仲だ。ぼくは結局、海外のチームとは契約できなかった。でも彼は契約が決まって、アメリカで選手としてプレーした。それぐらいレベルが高い選手だった。
引退したあとは、スポーツ業界向けの人材育成スクールで働いていた。でも、その運営会社が買収されたタイミングで、スクールがなくなってしまった。「スポーツ事業は儲からないから」と。
それで、うちで働くことになったんだ。
ところが最初の2〜3年は、期待したような成果はあげられなかった。
当時のぼくらは「売上基盤ができるまで、ウェブ事業で稼ぐ。それまではスポーツビジネスには手を出さない」って決めていた。だから森田がやることになったのも、まったく未経験のウェブ事業の営業だった。
周りのメンバーも「いつ結果が出るんですか?」という感じだった。本人もすごく苦しかったと思う。
スポーツ事業に専念した途端、結果が出始めた
転機がきたのは2016年。
ぼくらは念願のスポーツビジネス事業をはじめた。森田もウェブの営業からは手を引いて、スポーツ事業の営業に専念することになった。
すると、一気に成果がでるようになったんだ。
やっぱり彼は、スポーツのことには人一倍熱心だ。うちで働きながら、ストリートバスケの大会『ALLDAY』や『SOMECITY』ってイベントへの出場も続けていた。いろんなスポーツの試合を観ていて、ぼくよりよっぽどスポーツにも詳しい。
熱量と知識があるから、提案にもちゃんと血が通う。
彼の営業スタイルはひとことで言うと「愛」。クラブのことを第一に考えて、真摯に向き合う。たまに目標数字そっちのけで、お客さんに寄り添いすぎた提案をしてしまうぐらい(笑)。
でもだからこそ、クラブからの信頼も厚い。
彼はとってきた案件を、どんどん大きく育ててくれる。彼が本気でスポーツを愛してるから、信頼してもらえて、いろんな案件を任せてもらえるんだ。
いまや、うちにとって欠かせない存在になっている。
そしてぼく個人にとっては、友人としても欠かせない存在であり続けてくれてる。
スポーツ業界で、ビジネスパーソンとして活躍する
やっぱり、元アスリートがいちばん輝けるのは「スポーツ業界」なんじゃないかと思う。
純粋に「スポーツが好き」と言い切れる現役アスリートは、少ないかもしれない。現役のうちは、好きよりも「食っていかなきゃ」という切実な感覚が強いから。
でも、いざ引退してスポーツを離れるとき、彼らは強烈な虚しさに襲われる。「自分はスポーツが好きだったんだ」と気づく。これまでの半生の、ほぼすべてのリソースを費やしてきたのだから、当然かもしれない。
ふつうの就活や転職活動で、ひとつの業界にそこまで強い熱をもっている人って、なかなかいない。
だからやっぱり、スポーツに関しては人一倍がんばれるし、結果も出る。鳥谷部も森田も、スポーツクラブ向けの提案をやりはじめてから、すごく生き生きしはじめた。
「スポーツに関わる仕事」の選択肢は、コーチやトレーナー、部活の顧問だけじゃない。
スポーツ業界で「ビジネスパーソン」として活躍するという選択肢。ぼくはこれを、もっと広めていきたいんだ。
採用担当は現役のフットサル選手
最近入社した、採用担当の平井というメンバーがいる。
彼は現役のフットサル選手だ。
平日はうちで働いて、土日は選手として試合に出ている。いわゆる「デュアルキャリア」と呼ばれる形だ。
平井はもともと「スポーツ×Web3」の会社で働いていた。でも、その会社の財政状況が悪く、給料も未払いになることが多かったらしい。それで、うちに応募してくれた。
彼は採用職は未経験。なのに採用担当の枠に応募してきたから、正直、最初は採るつもりじゃなかった。
だけど面接をした担当者が「彼ほど熱意があって真摯な人だったら、未経験でも育てられます」というので会ってみたら、本当にいいやつだった。「彼ならやってくれるだろうな」って直感的に思えて、採用を決めた。
選手として感じた課題を、ビジネスで解決する
彼がスポーツビジネスをやろうと思ったのは、選手をするなかで「もっとフットサルの試合にお客さんを入れたい」と思ったから。
ビジネスマンとして、フットサルの試合を「商品」として売れるようにしたい。そういう思いを面接でも語ってくれた。
その思いは、うちのミッションである「日本のスポーツ全会場を満員にする」とも一致してる。
内発的な動機が、会社のミッションと重なってる人材は、やっぱり強い。彼が採用担当をしていることは、候補者にとっても魅力的に映ると思う。
実際、彼が入社してまだ2ヶ月ぐらいだけど、すでに新卒で2人の内定を出している。インターンも2人採用してくれた。これからの成長がすごく楽しみだ。
元アスリートの強み
元アスリートは、決してビジネススキルがあるわけじゃない。成果が出るまでに時間がかかることもある。でも、選手としての未練やプライドをかなぐり捨てて「やっぱりこれだ!」と腹をくくったときの「爆発力」は凄まじい。
これはアスリートの大きな強みだと思う。
それに、アスリートはスポーツを通して何度も「失敗」を経験している。
だから、ある意味「失敗慣れ」してるんだ。少しくらいの失敗ではへこたれないし、なにより堂々と失敗できる。これも実はすごいことだと思う。
特に最近は「失敗が怖くて、挑戦できない」という人も多い。でもやっぱり成長するためには、どんどんトライして、たくさん失敗するのがすごく大切だから。
セカンドキャリアの最初の壁は、たしかに高い。
でもそこを乗り越えれば、ビジネスの世界でも大活躍できるポテンシャルが、元アスリートにはあると思うんだ。
選手としては勝てなかったけど
選手としてスポットライトを浴びられるアスリートは、正直多くない。
日本代表になったりオリンピックに出られるのは、本当にひと握り。引退後に講演をするような、タレント業のできるアスリートなんて、ごくごく一部だ。
その裏でたくさんのアスリートが、人知れず夢破れて、忘れられていく。
でも、それこそ鳥谷部は「現役時代の成果」じゃなくて「セカンドキャリア」で成功して、講演の依頼がくるまでになった。
もうひとり、元サッカー選手の根来というメンバーも活躍している。彼は現役時代、J3よりもっと下位の地域リーグでプレーしていた。Jリーガーになりたかったけど、なれなくて、けっきょく26歳で引退した。
でもうちで働きはじめてからは、すごいスピードで成長してる。
実は、最初は雇う余裕がなくて、インターンとして入ってもらっていた。そしたら本当に貪欲に取り組んでくれるし、寝る間を惜しんで働いちゃうしで、あっという間にメンバーたちから大絶賛されるようになった。
「絶対ネゴちゃんと一緒に働きたいです!!」と、全会一致で入社が決まったんだ。
いま彼は、プロ野球球団のSNSをひとりで運用できるまでに成長してる。
実は、うちの大学生インターンで、J2の大宮アルディージャと契約が決まった子がいる。みんな「めっちゃすごい!!おめでとう!!」って感じだったんだけど、ぼくはあとでこっそり根来にメッセした。
「本当におめでとうって思えてるの?」って。
そしたら「いや、正直めちゃくちゃ悔しいっす」と返ってきた。「うん、そうだよね。わかるよ」って。
ぼくが同じ立場でも絶対に悔しい。自分は手が届かなかったJリーグで、キラキラ活躍する他の選手のことなんて、悔しくて見てられない。
だからこそ引退後のキャリアで見返すしかないんだ。
そのときも「いつかおまえが、大宮アルディージャの担当になるしかないな」って話をした。
いいセカンドキャリアを歩めば、現役時代の悔しさを昇華できるときは必ずくる。
ぼくらは、そんな元アスリートが「第二の勝負」をできる会社でありたいって、強く思ってるんだ。
セカンドキャリア支援は、ぼくにとっての個人的なライフワークでもある。
でも、それだけじゃない。業界にとっても、未来を大きく左右する課題だ。
いいセカンドキャリアを歩むアスリートが増えて、彼らの功績がどんどん広まっていく。そうすれば、スポーツ選手を目指す人はきっと増える。
競技人口が増えれば、競争が生まれて競技の質も上がる。
各競技の日本代表が強くなれば、国をあげて応援するようになるだろう。野球のWBCや、サッカーワールドカップ、いま開催中のバスケW杯、これから始まるラグビーワールドカップみたいに。
そうすれば、スポーツの興行収入も大きくなる。選手の年収も上がる。なにより、スタッフの給料も上げられる。
スポーツの仕事が名実ともに「ドリームジョブ」になるはずだ。
そんな未来が見たいから、ぼくはこれからもアスリートを雇用していく。
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今回の記事で紹介したメンバーのTwitterアカウント。全員おもしろいメンバーたちだから、よかったらフォローしてほしい!
元なでしこ選手、鳥谷部梢のアカウント
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元バスケ選手、森田真光のアカウント
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現役フットサル選手、平井雅大(通称らいー)のアカウント
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元サッカー選手、根来悠太のアカウント
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