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美術史第84章『南宋・元代美術-中国美術11-』

 靖康の変で金に皇帝が連れ去られ滅ぼされた宋だったが、王族である高宗が華南の杭州に首都を置いて宋を復興、これ以降の時代を南宋と呼び、宰相 秦檜によって金と和平が結ばれ平和が訪れた。

 南宋二代目の孝宗の時代には紙幣の引き締め、農村復興、そして華南の経済活性により大きな繁栄の時代が訪れ、ここでは北宋で築かれた宮廷の画院の画家がそのまま移った。

李唐「萬壑松風圖」
李唐「江山小景」
張擇端の「清明上河图」

 絵画では李唐が靖康の変で金に捉えられたが南宋に帰還し失われていた北宋時代の山水画を復活させ、画院の再建もおこなっており、また、コンパスや定規を使用した界画で知られる巨匠 張擇端は北宋から南宋にかけて活躍し続けた。

夏珪「溪山清远图」
馬遠「山徑春行圖」
馬遠「华灯侍宴图」
馬遠「寒江独钓图」

 他にも写実的に自然を描いた「院体画」においては北宋のダイナミックな作風とは違う画の一角に風景を描き多くを余白にした「辺角の景」と称される作風を持つ、特に山水画で著名な夏珪と山水画・人物画・花鳥画の全てのジャンルにおいて大きな名声を得た馬遠が活躍した。

李迪
李迪
梁楷「六祖斫竹图」
梁楷「泼墨仙人图」
梁楷「出山释迦图」

 他にも動きのある自然を描いた李迪、細密な院体画や減筆体と称される荒っぽい人物画を記した梁楷など多くの画家が独自の様式を模索したが、彫刻は以前に比べると衰退していった。

 また、南宋の時代には文人画や禅僧による淡墨表現による山水画もあり、そして、禅僧によって修行の合間に多くの絵画が描かれたものが多く現存しており、他に花鳥画に存在した黄氏体と徐氏体の流派は段々と融合して輪郭は鉤勒、色彩は没骨となったとされるが現存するものは少ない。

影青
天目
絵高麗

 そして陶芸では首都杭州の周辺に窯が多く作られ、江西省では「影青」という青白の磁器、福建省では「天目」という黒い釉薬の茶碗、河北省と河南省では掻き落としで文様を描いた「絵高麗」が作られた。

 大繁栄を遂げた南宋であるが光宗以降の12世紀後期には皇帝の権力が奪われて政争が起こるようになり、朱子学が迫害される、将軍が金を攻め込み失敗するなどして、物価高や圧政、軍事力が低下していくなど衰退が進んだ。

牧谿の「漁村夕照図」
牧谿の「煙寺晩鐘図」
李嵩の「骷髏幻戲圖」
劉松年「羅漢」
馬麟の「秉燭夜遊」
陳容

 一方、この頃の南宋の絵画では水墨の濃淡で人格表現を行うなど形式的なものが生まれ、有名な牧谿などの画家により水墨画が栄え、他にも同時期には李嵩、劉松年、馬麟、龍の描写で有名な陳容などが活躍した。

チンギス
モンゴル

 13世紀初期、モンゴル高原の遊牧国家達がチンギス・ハンという人物により統一され「モンゴル帝国」が誕生し勢力拡大を開始、南宋とモンゴルは協力して金を滅ぼし、その後もモンゴルはホラズム・シャー朝などを征服、チンギスの死後に皇帝となったオゴデイは首都カラコルム建設や議会の設立を行い、西にバトゥを派遣してキプチャク、ヴォルガ・ブルガール、ルーシ、ポーランド、ハンガリーを征服した。

クビライ

 また、和議を裏切った南宋への遠征も開始し、四代目のモンケは南宋を滅ぼそうとしたが急死、皇帝位をめぐる内戦を経て中国をモンケから任されていたクビライが皇帝になるが、反発が起き中東はイルハン国、中央アジアから東欧はキプチャク・ハン国、中央アジア東部はチャガタイ・ハン国として独立し、モンゴルは中国周辺の国となってしまい「元」に国名を改め、その数年後に崖山で南宋を滅亡させ中華統一を果たした。

 その後、元のテムルが分裂した諸国と和睦を結び直し緩やかな連合体を形成、これにより西洋と東洋を同じ連合体が支配している状態となりシルクロードの貿易が発展、新たに首都となっていた中国北部の大都(北京)は政治・経済の中心地として大繁栄した。

チベット仏教座主が作ったパスパ文字

 その一方で、元朝はこれまでの中華王朝の支配ではなくモンゴル式の支配を続け、上層部の宗教も国教だった儒教ではなくチベット仏教になったため、芸術は王族を中心とした仏教文化と、差別政策下に浮かれた中国人の文人、士大夫、商人を中心とした市民文化に分かれた。

妙応寺の白塔
七宝

 この仏教文化の著名なものとしては妙応寺の白塔などがあり、陶芸の分野では西洋から金属の素地にガラスの釉を貼り付ける「七宝」の技法が伝来した。

沈金
堆朱
趙孟頫の作品
銭選
高克恭

 漆器では漆の中に金箔を入れて模様を出す「沈金」や厚塗りの漆の面に彫刻を行う「堆朱」が誕生、絵画の分野では院体画が衰退し銭選や趙孟頫、高克恭に代表されるような五代十国時代や北宋の時代の復古主義的な文人による絵画が繁栄した。

黄公望の「天池石壁圖」
倪瓚の「水竹居圖」
呉鎮の「洞庭漁隠」
王蒙の「具區林屋圖」
顧安

 その後の14世紀初頭にテムルが死去すると内戦が発生し、一時は安定するが14世紀中頃には軍人によるクーデターが発生、このような時代の中、絵画では趙孟頫の影響を受けた「元末四大家」と称される黄公望、倪瓚、呉鎮、王蒙などそれぞれ独特な画風を確立した巨匠画家が活躍し山水画の様式が大きく発展していき、他にも竹に特化した顧安などもいた。

 しかし、元では財政を担う色目人、つまりヨーロッパや中東などの出身者による汚職や重税も行われ、全世界で起こった小氷期による飢饉やペストの大流行で次々と反乱が発生、その中から朱元璋が華南を統一し「明」を建国し、そのまま元をモンゴル平原に追いやって中華統一を行った。

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