音楽史5『前期ルネサンス音楽』
中世西洋音楽の次の時代、15世紀から16世紀頃のヨーロッパの音楽の事をルネサンス音楽という。
ルネサンスとは、よくある説明をそのままするとキリスト教によって破壊された古代ギリシアや古代ローマの芸術的な文化を復興させようとイタリアのフィレンツェという小国家から起こり各地に伝播していった14世紀から16世紀頃の運動で、このルネサンス運動によって絵画や彫刻、建築、哲学、科学、文学、そして音楽も大きな進歩を遂げていくこととなり、この運動でキリスト教の神や教会が中心だった中世の思想、世界観は人間を中心とした思想となり、近代社会への礎が作られていったとされている。
ルネサンスが起こった理由としてはカトリック教会を信じるフランスやイギリス、ドイツなどが連合した十字軍の中東征服などによってローマ、ギリシアの他、ペルシアやインドの影響を受けた優れた科学力を持っていたイスラム勢力や、ビザンツのギリシア文化との交流が起こった事がある。
他にもヨーロッパの支配下の十字軍が中東の一部を支配した事で、イタリア半島の町が交易で栄え莫大な富を蓄えて事実上独立している状態になったためキリスト教からすると厄介な古代文化復活を唱える芸術家達を保護できた事、ローマ教皇が分裂してカトリックの影響力が下がっていた事、イスラム教王朝のオスマン(トルコ)帝国がビザンツ(ギリシア)帝国を滅ぼしたことでビザンツのギリシア人の学者が多くイタリアに避難してギリシア文化が伝わった事なども要因として考えられる。
ただし、ルネサンス音楽は他のルネサンス芸術と違って古代ローマや古代ギリシアの文化とは何の関係もなく、ルネサンスが起こった時代に同時進行で独自に発展した音楽であり、そもそも古代の音楽の記録が無いためルネサンスも何もないのである。
(↑ダンスタブル作)
ルネサンス音楽はヨーロッパ北西の辺境国イングランド王国(イギリス)出身の作曲家ジョン・ダンスタブルが当時はフランスの大貴族でもあったイングランド王とフランス王の勢力が争った百年戦争の後にフランスに滞在して、イングランド音楽独自の3度、6度を用いたフォーブルドンというハーモニー技法をヨーロッパ大陸に伝えた。
(↑デュファイの代表作アヴェ・レジーナ・チェロールム)
そのダンスタブルに影響を受けた作曲家が現在のフランス東部とオランダ、ドイツ西部にまたがる芸術を保護した強力なブルゴーニュ公国で活動し「ブルゴーニュ楽派」が誕生、そこで著名なギヨーム・デュファイが活躍し、ダンスタブルが伝えたイギリスの協和音程の技法、フランスのイソリズムを含むポリフォニーを持つこの高度なリズム技法を持つアルス・ノーヴァ、詩と旋律のレベルが高いイタリアのトレチェント音楽を融合させ、これによりルネサンス音楽が確立されその時代が開始したとされる。
他にもブルゴーニュ楽派には当時最も優れた旋律を作る作曲家とされたジル・バンショワ、アントワーヌ・ビュノワ、デュファイの弟子ヨハネス・ティンクトーリスなどがおり、ルネサンスを発展させていった。
(↑ビュノワのシャンソン集)
また、この時代にはミサ曲やモテットといった宗教的な音楽やバラード、ヴィルレー・ロンドーなど中世西洋音楽のジャンルの形式で一番上の音を声、真ん中と一番下を楽器で演奏する「シャンソン」という吟遊詩人的な世俗の歌曲音楽が発達し、アントワーヌ・ビュノワは多くのシャンソンのジャンルで特に著名である。
そして、15世紀後半になると現在のオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部を支配し商業の中心、そして別シリーズで書いた美術の中心地として栄えたフランドルの作曲家達による「フランドル楽派」がブルゴーニュ学派を引き継いで栄えることとなり、特に音楽家の出稼ぎからヨーロッパ全体に広まっていって大きな影響力を持つようになった。
このフランドル学派はジョスカン・デ・プレにより確立されたそれぞれの声部が互いに旋律を模倣する「通模倣様式」と、ブルゴーニュの3音から一音増えた4音を合わせたポリフォニーなどの特徴があり、主にミサ曲、モテット、シャンソンが作られており、特にジョスカン・デ・プレはミサ曲、モテット、シャンソンの全てのジャンルを極めてそれぞれで多数の楽曲を作曲した。
他にもジョスカンの師匠で強い影響を与えたヨハネス・オケゲムは有名で、同時期には統一感を好むジョスカン達とは逆に奇抜な対位法を使用して名声を得たヤーコプ・オブレヒト、イタリアに移住してフランドル楽派の様式を定着させた重要人物であるアドリアン・ヴィラールト、メディチ家や神聖ローマ皇帝の下で活動したハインリヒ・イザーク、作曲様式の広さをもつピエール・ド・ラ=リューとハインリヒ・イザーク、オケゲムなどから強い影響を受けているアレクサンダー・アグリコラなどがいる。