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美術史第47章『メソポタミア美術-後編-』


ラガシュのグデア王の像
ウル・ナンム王の像

  紀元前21世紀、ウル第三王朝が崩壊するとウル第三王朝時代に北方から傭兵などとしてメソポタミアに入ってきていたアムルという民族がイシン、ラルサ、マリ、バビロンなど多数の都市国家を建国してメソポタミア文明一帯の覇権を握り、彼らがイシン王国とラルサ王国を軸に並立して争う「イシン・ラルサ時代」が開始した。

イシン・ラルサ期からバビロン初期の「バーニーの浮彫」
ラルサの祈り人
ハンムラビ法典の裏側
カッシート時代のクドゥル(行政的な文書)

 紀元前19世紀には「バビロン第一王朝」が世界史上でも非常に有名な「ハンムラビ王」によりメソポタミアが統一され、美術的な観点ではそこで作られた「ハンムラビ法典」が刻まれた石碑のレリーフなどは非常に高度で、それらからバビロン第一王朝が前代からの美術を受け継いでいることもわかるが、その後のカッシート朝バビロニアの時代には美術はやや少なく、品質も下がっていった。

アッシリアのライオンの像
アッシリアの王のレリーフ

 バビロンの支配を受けた北部メソポタミアのアッカド人の国「アッシリア」ではバビロンなどの強い影響の中で独自の美術が形成されることとなり、紀元前13世紀頃、中アッシリア時代にヒッタイトやバビロニアに征服を開始すると躍動感のある表現を重視した丸彫彫刻や浮彫彫刻が数多く制作されるようになった。

アッシリアの戦う王アッシュルナツィルパルのレリーフ

 これはフェニキアやギリシアにも影響を与えたと思われ、新アッシリア時代になりメソポタミアやエジプト、エラムなどをアッシリアが征服すると、シュメールやバビロンの影響は強いものの、歴代王の権力の誇示や勇猛な武断を好む様式が影響して独自の様式が形成されていったと言える。

ニムルドのラマスス神
銘文とレリーフ

 建築分野では宮殿建築が石材や彩釉を施した煉瓦と日干し煉瓦を併用した素材で造られていたため復元可能なほど遺構が残っている場合が多く特に知られており、宮殿の門や城壁にはインパクトの強い人の頭で翼のあるものなど霊獣の丸彫りやレリーフが施され、宮殿の内部には王の戦勝、狩猟、饗宴の光景を記録する連続的なレリーフが銘文とともに飾られ物語になっていた。

黒色オベリスク
アッシリアのモナ・リザ

 特にアッシュルナツィルパル2世が首都に指定したニムルドで造影したレリーフ群が知られ、このニムルドは長く大都市として繁栄したため他にもシャルマネセル3世により作られた多くの場面がレリーフで刻まれた石柱「黒色オベリスク」や象牙で作られた婦人の頭像「アッシリアのモナ・リザ」などの精巧な象牙細工がが発掘されている。

ニネヴェの復元像

 「ニムルド」の後に新アッシリア帝国の首都となった「ニネヴェ」は当時はかなり発展、しかし、その後、アッシリアを滅ぼしたメディアとバビロニアによって徹底的に破壊されたため廃墟となっていた。

白色オベリスク
アッシュッルバニパルの獅子狩り

 しかし、現在では宮廷付属の図書館からは数万に渡る楔形文字の粘土板をはじめ、優れた美術品が発掘されており、「白色オベリスク」や宮殿の壁面に彫られた「アッシュッルバニパルの獅子狩り」や象牙細工の「黒人を食い殺す雌ライオン」などはニネヴェから発見された。

バビロン

 アッシリアの時代に北方から新たにやってきたアラム民族のナボポラッサル王率いるバビロンは「新アッシリア帝国」から独立した現イランの「メディア帝国」の援助を受けてアッシリアを滅ぼし、先述の通り首都ニネヴェを破壊、「新バビロニア帝国」としてメソポタミアを統一し、二代目の王ネブカドネザル2世は都市整備を行うとともに宮殿や神殿を盛んに造営し、首都バビロンは大繁栄を遂げた。

ベルリンのイシュタル門の復元
イシュタル門にある文章
行列道路のライオン

 新バビロニアの美術の中心をなすのは建築と装飾でアッシリアが用いた色つきの釉薬をかけて光沢と色彩を出した彩釉煉瓦を盛んに用いたため壁面装飾が極めて多彩となっており、20世紀初期の発掘調査によりこの彩釉煉瓦を用いたドイツで復元されたものが有名な「イシュタル門」やライオンが描かれた壁が知られる「行列道路」などの彩釉煉瓦によって動物など優雅な模様が施された建築物が発見された。

エ・テメン・アン・キ
エサギラ
空中庭園

 その他にもこの発掘ではマルドゥク神を祀る「エサギラ」と近くに建てられたバベルの塔のモデルとなったともされる高さ言われる巨大ジッグラト「エ・テメン・アン・キ」などが発見されたものの、バビロン宮殿にあったとされる「バビロンの空中庭園」などの実在は確認できなかった。

 その後、東方のイランで誕生したアケメネス朝ペルシア帝国がメディアやバビロニアを併合してオリエント世界を統一するとメソポタミア、エジプト、ウラルトゥなどの美術を統合した様なアケメネス朝の美術の時代となっていくこととなった。

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