忘れやすい、のではなくて記憶に期待しすぎてる
こんばんは。今日はなかなかに疲れている夜です。
私はもともと、記憶力が低いと思っていました。
暗記が苦手、という訳でもありません。
数年前の、とても楽しかったはずの出来事でさえ全然思い出すことができないのです。
団長をやらせてもらった体育大会、色々あった宿泊学習、初めて友達と行った旅行までも。
当時さいっこうに楽しくて、忘れまいと目に焼き付けたはずの光景が、思い出せない。
それの大半は、脳のどこか片隅に追いやられてしまったか、あるいは私という存在の外側に放出されてしまったか。
大切な思い出を忘れてしまっていることに気づいて、その度落ち込んでいました。
しかしながら最近、どうやらそれは忘れているというわけでは無い、ということに気が付きました。
どういうことかと言うと、
私は、「記憶」というものに期待しすぎている。
どんなに楽しい光景も、目に焼き付けたところでテープに残るなんてことは無い。第一、「目に焼きつける」という言葉自体が隠喩表現にほかならないのだから。
記憶には限界がある。忘却は時に不可抗力であると思う。
思う、そう思うのだが、やはり忘却への抵抗を続けてしまう。
楽しい瞬間を噛みしめる。目で見て、耳で聞いて、手で触れて。忘れないようにと何度も願う。
あとは、写真や動画をたくさん撮る。これらは最も鮮明に記憶する手段である。ひとつ惜しいのは、それらは、その瞬間に感じた気持ちを記録できないというところだ。
いつまでも忘れないでいたいこの瞬間を大事に。
今日の一曲
落日/東京事変
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