見出し画像

【エッセイ】好きなことを否定されると自分まで否定された気分になる理由の考察

テーマ「好きなことを否定されると、どうして自分まで否定された気分になるのか?」

冷静でいられたら、自分の好きな何かを否定された時ではなくて、自分自身や自分の感性を否定された時に怒るべきだというのは頭では分かる。でも現実は、直接言われなくても自分が好きなことを否定されるとなぜだか自分まで否定された気分になる。これはどうしてだろう?

自分の見解=自分の考えが足りていないから

自分はこう分析した。本来、好きなものは自分に付属しているわけではないのに、まるで体の一部のように自分の感性と深く結びついている。だから「理由はないけど好き」ではどことなく温度差があるというか距離感があるというか、単純に考えが足りていないからなのだと思った。

例えるなら「好きな料理が好きである理由を説明してみなさい」というようなどこまでも掘り下げられる問いかけに「美味しいから」とメールの返信一行レベルで済ませている感じに似ている。第一感は難しいけれども、自分の言葉でより具体的に表現しようと思考することが大事だ。

じっと考えていると、次第に自分の感性というものが言葉となって吐き出される。いくら表現レベルが拙くても、考えた言葉は誰も盗ることができないオリジナルのものだ。これは今後の自分の指針にも、精神的な支えにもなったりする。また、感性が違う他人と比較して一喜一憂することが余り意味のない行為だということもいずれ知る。

これを積み重ねていけば、どこの誰とも知らない人から否定されても、反論するための弾をたくさん持っていることが心の余裕を与えてくれる。討論する価値のない相手に対しては「あっ、そう」と軽く受け流す余裕も見せることができるだろう。

ただし、間違っても自分の正しさをアピールするために相手を根拠もなしに否定してはいけない。立場を入れ替えてみればその理由が分かる。根拠のない否定を自分がされた時、脊髄反射的な売り言葉に買い言葉をすると、その後は気分の悪い時間が延々と続くからだ。これを避けたいがために ”考える” ことはとても大事だと自分は思う。

【閑話】久々に「君の名は。」のスパークルを聴いた

「君の名は。」は公開されてからすぐに映画館に見にいった。そういえば、一度だけ地上波でも放送されたと思う。以前のNOTEの中で絵が綺麗すぎて中身に集中できないから苦手だと言っているタイプの作品に「君の名は。」が入っていたりする。

特に、曲が世界観に合っている印象が強かった。スパークルは本編ともあいまって物語性があって良いなと本家を良く聴いていた。この歌詞は理性的というか男性的なロジックがほんのりと漂っていて、それを説明臭さではなくて雑味と感じられればスッと受け入れられると思う。

勝手なイメージだけれども、一曲を通して、神社⛩の長い階段の一番上の段に腰かけて呟くように歌い出すところから始まって、最後は夜明けの空に眼下の万緑、湖がフルセットで見えて来る感じがして心地がイイ。カバーを聴いてみたけれど、本家と同様の空間的な広さが素直に頭の中に入ってきてこちらも素晴らしいなぁと思った。

「ためになるわ」と感じて頂ければサポートを頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。