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#解離性障害
トラウマ疾患による社会的損失~狂った幸福に帰りたい衝動と闘う日々に~
あの頃のような無鉄砲さが欲しい。
簡単に死を選ぼうとできた。
自殺企図できた。
自傷できた。
物を壊せた。
絶望は身近にあった。
今は、大切なものがありすぎて、できない。
容易に絶望できない。
諦めが悪くなった。
おかげで泣き喚いている。
発狂しそうになりながら衝動を抑える毎日。
死にたくないじゃない、死ねない。
大切なものがあるなんて、どんなにも幸福だろうに。
だけれども、無ければこんなに
「想う、考える、生きる」いまのわたしの答えとしてある戯言
わたしの感情と思考と感性を、
見つめ寄り添い生きられるのは、
わたししかいない、でしょ?
唐突ですが、
わたしがいま「生きている理由」のようなものを書きだそうかな、と。
こんな感じの思考をして生きているのですという表明?というか。
なんとなーく、書きたい気分なので。
たとえば、
他人に察してもらうこと、
誰かに自己を共感されることに、期待することをやめた。
あまりに的外れな言葉を渡されることに
みどりちゃんは狂った幸福の中で生きている
「トラウマ」から自己を守るため、歪んだ認識には、知識と正常な判断をする脳すらも抗えない※注意・詳細ではないのですが、性被害時のことを書いています【閲覧注意】
偽りでしかないのに、怖いことから守られているという安心感でいっぱいだった。
酷いことを、痛いことを、怖いことを、苦しいことを、たくさんされても、それをされているみどりは「良い子」なのだからと、安心しかなかった。
大好きななおじさんに「良い子
生きた心地のしない日々すらを生き抜く
※注意・今日は少し不安定な状態で書いています
性被害当事者が自分の被害を語るときなんていうか、性被害のときのことって書くべきか書かないでいるべきかわからないけれど、たくさんのひとが書いているのは、やっぱり吐き出したいときがあったり、現実にこれらが起こり得ることを、これが現実にあるのだよ、と知らせたい、みんなに知らない振りされたくない、性被害を大袈裟だと言っているひとに、本当に大袈裟な反応なのか?