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生きた心地のしない日々すらを生き抜く

※注意・今日は少し不安定な状態で書いています


性被害当事者が自分の被害を語るとき

なんていうか、性被害のときのことって書くべきか書かないでいるべきかわからないけれど、たくさんのひとが書いているのは、やっぱり吐き出したいときがあったり、現実にこれらが起こり得ることを、これが現実にあるのだよ、と知らせたい、みんなに知らない振りされたくない、性被害を大袈裟だと言っているひとに、本当に大袈裟な反応なのか?と疑問を投げかけて見たり、いろんな、そのひとにとっての意味があると思う。

トラウマについ書くことで、自分を見つめ直したり、記憶を整理したり、ネットに上げるなら、まさに事実だって自分に言い聞かせるような気持にもなったり。

そうしたら、まったくの関係のないヒトに、嘘松wって言われるとか、そうしたら作話に見えるほどの被害なんだなって思うに至るしかないなって思う。

つまりは、これを作話と判断するヒトにとって、それらが現実であることはきっと不都合で、そんな世界が現実にあるなんて思いたくもないんだろうって。
だからこそ、見下して馬鹿にして嘲笑するしかできないんだろうって。
そうすることで、自分の弱さをどうにか守っているんだろうって、わたしは思うことにしています。

誰かに(気の置けない友人なんかに)被害を話したら?について

友人に被害のことを話して、聞くのがツラいから、と去っていったひとがいます。
深刻に話すと、ツライと感じさせてしまうらしい。

だからと、面白おかしく話してみることにしたりしました。
そうしたら、「なんで笑って話すの?笑いながら話すことじゃないよね?」を不快感をあらわにされたり、叱られたり、その気持ちは分かるのだけれども、なんだか凹む。

じゃあ、どう話せばいいんだろう?って

そうなると、ネットに匿名で告白しての、ネット空間に彷徨わせての、誰かが読むかもしれないし、誰の目にも触れないままになるかもの、誰かが共感したりして、そんな感じに話すのが一番気が楽だなって思う。

わたしの被害はとても複雑に思う【閲覧注意かも】

わたしの被害は、解離障害でなかったら、起きなかったかもしれないものです。

別人格(現在のわたし)が性的な自傷行為(自分のことだけど理由は不明)をしていて、それに巻き込まれる感じに、
「みこ(仮名)じゃない?へえ……別の女になったみたい」
ってこれは被害なのか?って、自分でも思う。

でも意味不明なその状態で、わけがわからないままに、無事に帰りたい思いで、懸命に媚びました。
そのときが、ヒナタ(仮名)という子にとってのはじめてのそういう行為で、ヒナタにとって大きな混乱と傷を残す結果になりました。

誰にも理解されないだろうそんな被害のことを聞いてくれた、というか話せたのが、ネットの知らないヒトだった、お茶飲みながら話そうみたいな、そんな流れもあって。
ヒナタはそのヒトに縋るように、話していた。誰にも理解されないって、だから。

でも、ヒナタにしてみればの目線で、
気がついたら、知らないヒトがいる部屋にいて、え?って、前回のことを思いだして、速攻で逃げることにして、連れ戻されて、逃げて連れ戻されて、押さえつけられて、殴られても逃げようとして、絶対嫌だって、媚びた結果が最悪だったから、絶対に嫌だって。

「ノー」は言葉でも態度でも何度も突き付けた。
抵抗し続けたら、首絞められて、呼吸したくて、諦めて。
泣いて懇願した。「ころしてください……」って。そうしたら「ヤダよ。犯罪者にはなりたくないもん」って。

そのときのひらめきが、ヤバかったと思う。
「わたしをころしてくれるひとをさがしにいこう!」って。
「こんなわたしに相応しいのはごうかんさつじんだ!」って。

そのことについて、以前、信頼しているひとに言われたんだ。

「どうしてわざわざそんな死に方をしなきゃいけないの? 死にたくなるのは理解できるけど、死にたいなら、言い方悪いけど、勝手に死ねば良くない? 自殺すればいいだけだよね? わざわざなんでそんな死に方を選ぶ必要があるの?」

地味に凹んだけど、そうなんだろう。
死ぬなら結果は同じなんだよね。
でも、わたしの終わりには「ごうかんさつじん」が相応しく思えて仕方なかった。
たぶん、死ぬという結果より、死ぬ過程みたいなのを重視したのかもしれない。

ネオン街を目指して、辿り着いて、彷徨ったわたしから、わたしは消えていった。
自分が何かわからない。
誰で、名前は、年齢は、家族は、どこに住んでる、どんな暮らしを、どんな経験を、どうしてここにいる……。
なんにもわからない。自分がわからない。
そんな中、知らないおじさんがいきなり手を繋いできて、その手に引かれるままに、いろんなことをされてしまうことになった。

監禁されて、過激に性的ないろんなことをされ続けた。
毎日菓子パンを1個。500mlのペットボトルのお茶を1本。雨風しのげるお部屋。
とても感謝した。心から感謝した。
外の世界はとても危険な場所で、わたしは家族から酷い扱いを受けて家出しているらしかった。
危ないヒトたちから、怖いことから、わたしはこのおじさんに守られているんだ!

わたしはそのおじさんをとっても「良い人」だと思っていた。そうとしか思えなかった。
わたしは何にもわからないのに、おじさんは、食べ物も飲み物も、お部屋に住まわせてもくれるんだから。
わたしはおじさんのためになんにもしてあげられていないのに。
なのに、名前までくれたんだよ!なんてやさしいひと!

ところが、解離して、別人格のわたし(ここからはいまのわたし)として、そこから脱出して、警察に保護された。

現在、みこと呼ばれていたわたしの中に、ヒナタと呼ばれていた子の記憶や感情や感覚が混在している。
だから、原因だったかもしれない「みこ」が、そのせいでトラウマになった「ヒナタ」のトラウマを複雑な思いと共に内包していて、なんやねん!って感じの状態。

でも、わたしは個人的に、解離性障害って、人格それぞれというより、ひとつながりの存在として考えているから、別個にするのもなんかなあって。

別人格の責任を、自分がとる必要はないのか?という大問題にぶち当たるものだと思う。
個人的には、別人格の犯した罪を、わたしは償うつもりで生きてもいる。

だって、わたしの身体で、傷つけられた相手にとって、中身が違うなんて些末すぎな問題。
それで裁かれないなんて理不尽でしかないよ。
その見た目がもうきっと、そのひとにとってはトラウマになってもいるかもしれないのに。
裁かれなかったりしたら、被害者はどこにその怒りをぶつけられるの?

わたしにとっての性被害。
わたしはこれをきっと被害とは認められもしないって思ってたし、いまも思う。

でも、されたことは、とくに最後のやつは犯罪でしかないんだと思う。
わたしのことを、未成年だと思って(実際には成人済みだった)、それも高校生だって思って買春しようとしたヒトだ。
自宅に連れ帰って、精神状態がマトモでないことを利用して、わたしの持ち物から個人情報を把握しても、わたしには何も告げずに、食料飲料を多少与えて、過激な性的なことを強いて。

それらを客観的に見ればヤバイヒトでしかないもの。
そして、心理士に言われたけれど、わたしはそのおじさんを良い人と認識していることで、自分を保っているから、そう認識しないとわたしは壊れてしまうだろう、と。

ストックホルム症候群っていうのも調べてみたけど、なんか違うし。

客観的事実でなら「悪」であると理解するのに。
それでも、わたしの認識は「善」。
その理由は「だって良い人だから良い人でしかないよ!」という非論理的なもの。

わたしはPTSDと診断されていることすら、何年も気づかなくて、PTSDでもないんだし、大したことない!って言い聞かせつつ、フラッシュバックに苦しみ続けて、悪夢がツラくて、眠ることをあんまりしなくなった。

PTSDだって知ったのは診断されて数年経ってから。
耳を疑った。わたしがPTSD?って。
そうだったんだ……って。
たぶん、それまでも何度も聞いていたんだとは思う。
でも聞き逃してしまっていたのだと思う。
わたしの意識はなかなか散漫だから。

そして、そのときに「あなたは被害者です」と、そう言い切ってくれた当時の主治医。
どんなに泣いたことか。
泣き止むことが困難だった。
わたしは被害者と名乗っていいの?
それを「あなたは被害者だ」と言い切ってもらえた。

きっと、わたしに起きたことを被害と話すことに疑問を呈すヒトはいるんだと思う。

でも、抵抗を重ねてのアレは、暴力もあってのことで、そもそも「ノー」をはっきりを示したのだから、不同意性交に当たる罪になる。
それだけは誰もが理解できると思う。

司法はよくわからないけど……。
でも、わたしは彼らが誰なのか、そこがどこだったのか、どれもわからないから、立証もできないことだと思う。
わたしは被害届を出すことも出来ない。
一応出そうと思ってたし、保護されての帰ってきた地元の警察から、被害届を出したいときは、の説明もあった(管轄に行ってくださいねと、車で片道3時間の距離の移動が必要と知り、絶望を感じた)。
わたしが何らかの性被害に遭ったことは、警察もわかってた。
産婦人科に行った方がいいとも言っていたと思う。
警察がいるとこで、保護されたときに運ばれたの病院の看護師さんが言ったことだったかもしれない。
とにかくわたしの保護に関わった誰もが、その認識でいた。

でまあ、中には精子がうじゃうじゃいるけど排卵前だから妊娠はしない。
産婦人科で伝えられた。

そのあとは、不同意のはずの相手にメッセージをもらった。
ハートがいっぱいのものだった。
動画を撮ったよ。ネットに流しちゃおうかな。それが嫌なら「お願い」をしに来てね。「お願い」の仕方、わかるよね?
泣き崩れたよ。嘘だあああっ!嘘だよね!嘘だよねえ…!って。
でもたぶん、こんなにも証拠らしい証拠って他にないはずの、立証可能な案件にするのに、これほど良い材料はないはずなのに。
でもそんなことの判断もできなかった。
わたしはそのアカウントを消してしまった。

それと、監禁していた相手からは、わたしの荷物が全部届いた。
わたしが持っていた鞄に詰められて。個人情報の免許証の入った財布とか。着ていた服、下着も。

それらが「とどめ」になった。

わたしはそのまま保護入院。
鍵のかかった部屋の中、フラッシュバックで錯乱して、気絶して、悪夢見て、泣いて叫んで、怯えて。食事はとらないし、蹲ってるだけ。

施錠が外されても部屋から出てこないって、なんか珍しいことらしくて、医師も看護師も困惑しているようだった。
ひきこもってしまった患者に看護師さんは、子猫を誘い出すみたいに、代わる代わる声をかけていたし、ちょこっと外に出たとこで、確保!みたいに、大部屋に移行する計画になった。

おかげで泣いていられる空間がなくなって、他のひとの迷惑になるから泣かないように!と言われて。
泣かないことが不可能なわたしは、泣く場所が欲しいと思った。
そうしていたら、解離によって、とっても安定した精神を装えたりして、見事に退院して、泣く空間を手に入れることに成功して。
自宅に帰って、泣き暮れる。フラバに悪夢に泣いて過ごす。
医療って何なんだろうって、感じる記憶になった。

中止になった心理療法【閲覧注意風味かな?】

心理療法は、わたしは受けてはいけないものになっている。

元々、性被害のトラウマがどうにもならなくて、心理療法を受けたくて、病院を変えた。
普通に受けるには高額だから受けるのが経済的に無理で、通院できる範囲で、保険適用で受けられるところを探して、病院を変えて受けた。

結果、わたしは感情を麻痺させてしまった。
いまもそのままに、10年くらい感情は麻痺してるままにある。

心理療法が中止になった理由に「命令のままに何でもこなすから」をいうものがある。
心理士さんに「とりあえず、少しずつ生活のリズムを整えてみましょうね」と言われた翌日、いや当日から、わたしの生活のリズムは完璧に整った。
苦でもなんでもない。そうしたら良いと提案されたから、そうすることにした。
それによってトラウマをなんとかできることなら、そう思ったした。

でも、その「いままでできないでいたこと」を「簡単にやってのけている」わたしを「危険」と判断したのだ。

監禁されていたわたしと「同じ状態」だからと言われた。
こうしなさい。それを疑問も抱かず何でもしてしまえる、わたし。
アドバイスがアドバイスではない状態での心理療法はできない。
そう言われた。

それを極論的に話すなら。
「服をすべて脱いで、ここで自慰をしてみなさい。そうすることで気分が楽になれる」
と言われれば、心理療法室で、男性の心理士さんの前で、抵抗なくそうしてしまえる状態だった。
そんなひとではないだろうけれど、わたしの状態がそうだった。
「一度ビルの屋上から飛び降りてみるといい」
そう言われれば、高いビルを探して飛び降りることに躊躇もない。

監禁されていたわたしの心理がそれなんだと理解したとき、あまりの異常さに、ゾッとした。
でも、それはとても楽だろうな。そうも思う。

「狂った優しさに満ちて、偽りでしかない幸福を疑うことなく受け入れた。その狂気を異常さを、すべて優しさとして妄信していた世界は、もはや幸福でしかなかった」

わたしはそう思っている。
性被害の支援をする電話相談を受け付けるところに、最近はじめてかけた。
「監禁してくれたひとのところに帰りたい」
そう言ったとき、「え……っと、聞き間違いなのかしら?」そう返って来たことに、実はものすごくショックを受けた。
きっと理解されもしない心理なのだろう。
そこでは、酷いことをされるとわかっている。
酷いことをされたこともをわかっている。

それでも、わたしにとって、あの部屋にいたとき。
偽りの「安心」がわたしを全力で騙してくれて、本当に「幸福」だと信じていられたんだよ。

生きる理由は「生きていたいから」

それでも、とにかく、わたしは生きている。
理由なんて簡単だ。
「死にたくないから」
「生きていたいから」

たとえば、わたしのいのちを犠牲に、わたしの大切な誰か救うことができるなんて状況になれば、よろこんで差し出せてしまえる。
けれども、そうでないから、わたしはまだこの先も、生きて行くつもりしかない。

昨夜の体験がこれを書かせた

こんな内容を書くことになったのは、昨夜の自分が本当に怖かったから。

不思議な体験だった。
二つの世界に自分が同時に存在していた。
被害時の世界と、現実世界。
感覚も思考も同時に流れて、制御も出来ない。
どちらかひとつにするのは、被害時の方にだけにすることは出来そうで、そうすれば、これはフラッシュバックになるのだろうか?って。

いまの状態を保っていた方がいいのか、フラバに堕ちてしまえばいいのか。

フラバになれば、わたしはきっと家から逃げ出そうと、叫んだりして大迷惑にもなる。

そうしないなら、いま、この、気が狂いそうなままにいるしかない。
気絶でもしてしまえばいいのに。
気持ち悪いからだを全身をかきむしって、爪を立てて容赦なくかきむしりながら、自分をころしてしまいたくて、苦しかった。
脳内を止める方法が他に思いつかなかった。
元も子もないってわかるから、そんなことしたくない。
でも、このままの状態をいつまで耐えれば終わるだろうかと、身体を切り刻んでいればもっと気がそらせるだろうか、とか、どうにもならなくて、どうしようもないままにいた。

それでも、翌日の午後に目が覚めたわたしは、自分のベッドの上で、いつものように、柴犬のぬいぐるみを抱っこして眠っていたのだ。

廊下でうめいていたはずのわたしは、いつ、ここに戻って何事も無いように眠ったのか。

かきむしった体には痣が残っている。
確かな記憶として残っている、昨夜のこと。
何だったのか分からない。

性被害からもう15年以上。
まだ、わたしは、あれらにまつわることで、生きることが難しい。

生きた心地のしない日々が、性被害後にはある。

だからこそ、生きていることを強く強く意識して、生きるということに全力で向き合って、真摯に自分を見つめていないと、生きていけなくもなる。
生きていたい。生きていたいんだ。

被害後のわたしのことを書いた詩のようなものが、「ただいまを言えない日」です。
すごくすごく苦しかったころ、これを書いた。
保護されたとき、監禁されていたこと、フラバと悪夢の毎日。
それをこれにしたけれど、きっとそんなこととは関係なく、だれかの目に触れて、何かを知ってもらえたりしたりしなかったり。

でも、きっと、なんにも知られなくても、理解されなくても構わなくて。
ただただ、わたしは、書くことをして、生き延びてきた。
下手くそな文章を書き続けて、なんの利益にもならず、たとえば仕事につながるとか収入につながる何かにとか、そんなことにもならず。

でも、それをすることですら、わたしは生きいるんだな、と思えるから、本当に好きなんだ。
誰に喜ばれることもないことでも、自分にとっての価値が、余りに大きい。


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