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【めりけんじゃっぷ】第7話 激甘レモネードと塊の叫び

←第1話「別れの儀式と菓子箱の匂い」
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感動の別れの10分後に、緊張のご対面。
心が多忙で、脳がバグっている。
まだまだ未熟な17歳の僕がここで体得したのは「気を取り直す」というスキルだった。

今までの「牛と緑の大合唱」から一変、閑静な住宅街が視界を埋める。ほとんどの家の前には整った芝があり、自由奔放に育った草っぱらとは違い、
さながら植物界の優等生といったところか。

思いの外、質素なチャイムのボタンを押すと、奥でドタバタ走る音と子供の声。扉が開くと夫婦の姿。

「Hi ! nice to meet you NOB」と笑顔で右手を差し出すスーザン。片手をポッケにいれたまま「Welcome」と右手を差し出すジョージ。
その後ろに立つ姉のキャリーと
その体の後ろから顔だけ出している弟のカレン。

彼らがこれから生活を共にする新しい家族だ。

強烈に甘いレモネードにたじろぎながら、夫婦とコーディネーターとの会話を聞く。主にメアリーの車内で確認した内容だ。

長時間にわたる綿密な打ち合わせは、
数か月のみの「肩慣らし期間のゲスト」ではなく、ガチの学生生活が始まる事を再認識させた。

会話の理解度は25%といったところ。
単純な日常会話とは違う「打ち合わせレベル」の知らない言い回しや単語がどんどん飛び交う。

僕に気を利かせる必要がないスピードの英会話を聞き取るという事が満足に出来ず、苦し紛れに度々レモネードに手を出したのだが、
結局、半分程残してしまい、その後僕の前にその飲み物が現れる事は一度もなかった。


ようやく「リスニングテスト」のような時間が終わり、部屋へ案内されるのだが、4人家族だと思っていたこの家には、
さらに5人、いや5匹の家族がいる事を知った。

部屋に入ると何をどう考えてもペットショップの匂い。
日本で飼っていたからすぐに分かったが、僕の部屋には猫が存在するようだ。
驚いたのは彼らの存在そのものではなく、カーペット全面にちりばめられた香ばしい異臭を放つ茶色い塊、そう、アレだ。

さらに驚いたのは先ほどの笑顔とは程遠い無表情なスーザンの言葉。

「If you need clean up your room, you can use that」
(部屋の掃除をするなら、あれ使って)

と指さしたのは部屋の隅に置かれた掃除機。猫を飼うという事をそれなりに経験している僕は、
「いやいや、コレを掃除機で吸う訳ないやん」
と小声の日本語でつぶやいた。

元々は母猫一匹で、自由に外を行き来していたものの、いつの間にかお腹が大きくなりこの部屋のクローゼットで4匹の子猫を産んだという。
はっきり言って放置していた事は床や洗われていないミルク皿を見れば理解できる。

そしてさらに驚いたのはこの夫婦が来たばかりの僕と、猫と、子供たちを置いて「買い物」に出掛けてしまった事だった。

(ほぅ、なるほど。やってくれるねぇ。)

言っておくが、これはこの家に来た初日の、まだ数時間しか経っていない出来事であり、
自分の荷物を整えることではなく、この5匹の生活環境を整える事から始める僕の脳裏にメアリーの顔が浮かんだのは言うまでもない。


バックヤードで見つけた、おそらく子供達のモノであろう小さなプラスチックのスコップを手に、部屋の「塊」をすくいあげ、
キッチンにあった紙袋に入れる。

ひとまず袋をバックヤードに置き「見慣れない人間」に鋭い視線を送る母猫を「チュッチュッチュッ」と小刻みな音であやしながら、
部屋の入り口でこちらを見ている姉弟に「雑巾はどこか?」と聞きたいのだがとっさに言葉が出ず、床を拭くジェスチャーをする。

通じたのか、バスルームの方へ行って戻ってきたキャリーの手には、よくわからない棒に引っ掛けられ見事によごれたボロボロのタオル。

日本で鍛え上げた「品のない舌打ち」をしながら、一体何を拭いてそんな姿になったのかわからない布切れを手に、
バックヤードにあった蛇口を捻る。

汚れが目立つ所を入念に布で叩きながら、
「猫用のトイレをどうするか案」を絞り出す。
ご想像通り、そんな洒落たケースも専用の砂もありゃしない。

バックヤードに立つ存在価値の分からない2つのドラム缶に挟まっている、なかなか頑丈そうな段ボールを見つけ、
何も入っていない黒いクチャクチャのビニール袋の砂を払い落とし、それを段ボールに被せ、残り香のするスコップで隅っこの土を掘る。

先程片づけた「塊」を袋から少し取り出し、土に混ぜる。
飼い主ならわかると思うが、
猫に「これが君のトイレだ」と分からせる為だ。

奇跡的かつ野性的な感覚で最初のミッションをクリアした僕は、ポケットのラクダが見事に折れ曲がっている事に気付く。

(マジかよ…)


突然現れた見知らぬ日本人、
いや猫には人種なんてわからないだろうが、兎に角、自分のテリトリー内に謎のケースを出現させた僕を警戒しながら、
ほのかに香る自分の匂いがする土を品定めする母猫。

どうにか難題を解決し、小さなランプ台とベッドしかない簡素な部屋に荷物を広げながら、
「無念の死を遂げたラクダ」に火を付けるタイミングを模索した。


第8話「解けた誤解と自転車の行方」

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