見出し画像

テンショクの背中/連載エッセイ vol.99

※初出:知事認可・岩手県カイロプラクティック協同組合発行、「姿勢ッコくらぶ通信 vol.101(2017年・第4号)」掲載(原文ママ)。

『転職』という言葉を聞いて、親愛なる読者の皆様はどのような印象を持たれるであろうか? 
従来の日本的な『職業観』からすると、恐らくネガティヴなイメージの方が強いかとは思う。

以前、この連載エッセイでも触れた、『転石苔むさず』という言葉。

これは元々、英語の諺、『a rolling stone gathers no moss』が明治期に翻訳されたもので、転がる石には苔が生えない事から、世の中に合わせ行動を軽々しく変える人は結局成功しないとの戒めの様に使われてきた。

そしてそこから転じて、安易な転職行動を諌める際に、よく用いられる言葉でもあった。
まさに『石の上にも三年』である。

しかしこの諺は、2通りの解釈ができる言葉としても知られる。

日本での従来の解釈は、『英国式』とされ、一方、『米国式』の解釈では、転がる石には苔がつかない事から、いつまでも新鮮で柔軟で変化に富んだ状態で世の中に対応できる…と好意的に捉えられる。
こちらは日本古来の諺で言うところの『流れる水は腐らず』であろうか。

要は、『物事』や『状況』には『プラス』や『マイナス』といったような『絶対的な評価』は存在せず、それを捉える側が『自分はどう在ろうとするか』が大切という事なのであろうが、この解釈に違いに、両国民性が反映されているようで興味深い。

そして経済面において、主に米国が主導する『グローバリズム』の進展によって、日本の『終身雇用制主義』が音を立てて崩れ、いまや『転職』は珍しくない行動様式となったのはご存知の通りである。

その是非についての議論は、ここでは置いておくとして、斯く言うワタクシも『転職経験者』である。

小学校に入学以来、私の将来の夢は『学校の先生』であった。

小学生の頃は『小学校の先生』、中学生の頃は『中学校の先生』、高校生の頃は『高校の先生』と心移りしながらも、結局、大学進学時には『中学校社会科の教諭』という線で落ち着き、地元国立大学の専門養成課程へ無事に入学した。

大学時代は、まさに『将来の肥やし』にするべく、県教委や企業などと組んで、子ども達と行動を共にする、様々な企画や研修に参画させて頂いた。
その頃、大学の長期休暇といえば、1週間以上、子ども達と寝食を共にする企画に『学生リーダー』として参加するのが常であった。

自分はこうして、『生涯一教師』の道を貫いていくであろう事に、微塵の疑いも持っていなかった。

しかし、大学4年の春に、今の仕事と出会うと、私の幼少時から計算され尽くした人生に変化が生じた。

何の保証もないが、東北ではまだ誰も携わっていないこの仕事に、人生を賭けてみたい……そんな衝動に駆られた前のめりな私の思惑は、家族の大反対という『壁』にあっさりと跳ね除けられた。

この仕事をしていく為には、当然、研修費用が相当額必要となり、当時の脛齧りな自分には、その支払い能力がなかったからである。

そこで私は方向転換した。

まずは社会人として自立しよう。
そして幼少時からの夢であった『教員』を全力で勤めてみて、それでも今の仕事に対する情熱を捨てられないのであれば、正直にそれに従おう……と。

幸いな事に、当時『超難関』とまで言われた教員採用試験をなんとか通過し、配属されたのが花巻にある中規模中学校。
独り暮らしを始め、私生活は切り詰めに切り詰めたものであったが、生徒と同僚と地域に恵まれた私の教員生活は、脚色なしに良い思い出ばかりである。

就任1年目にして、学校を代表した研究授業発表に選出されたり(自分の個人的趣味である『民族音楽』を生徒に聴いて貰い、そこから世界各地の文化や生活、民族などを類推するという、なかなかブッ飛んだ内容ではあったが!!)、当時『バスケットボール最激戦地域』とされた花巻において、毎年1回戦敗退であった部活を、17年振りに県大会へ導いたり、学年を問わず、生徒達から真剣な相談を持ちかけられたりと……我ながら、非常に充実した日々であった。

幼少時からなりたかった教員像が、そこには確かにあったと言える。

そして日々成長する子ども達に向き合う立場にあったからこそ、自分の気持ちに嘘をつきたくはなかった。
やはり、今の仕事に対する思いを捨て去る事は出来なかったのである。

そして私は『転職』という選択をする事となる。

ただ、教員という仕事が嫌いで辞めた訳では、もちろんなかった。
現に、未だ年に数回は教職に復帰するという夢を見てしまい、子ども達の声に囲まれながら目覚める朝もある。

また当時は、『教員という仕事は社会的に認知されているので、自分が辞めても、すぐに優秀な人材が供給されるだろう。
しかしこの仕事は、今自分がやらなければ、東北の地に根付かせる事はできない。』などと理屈をこねて、自分の我侭を正当化していたが、現在、人様を指導育成する立場になって、当時周囲にかけた迷惑の大きさを身に沁みて痛感している。
本当に申し訳ない。

ただ、だからこそこの仕事で成功しなければならないと自分を鼓舞してきたし、いつか恩返しをしなければと固く誓って今日まで歩いてきた。

そして今回、その取っ掛かりの機会を頂戴する事となった。

私が講師を務める企画としては、初めて県教委の後援がついた講演会が、件の花巻において開催。
しかもテーマは『子どもの姿勢と発育』。

万感の思いを懐に忍ばせつつ、いつもながらの早軽口で、あっと言う間の70分間であったが、ご来場頂いた方々はどのような印象を持たれたであろうか?

もちろん、これで『恩返し』が果たせたとは、到底考えていない。
ただ、教員を辞めて18年、やっと『スタート地点』に立てた事が嬉しいのである。

離任式のあの日、私が生徒達に語った言葉が今でも自分の『行動指針』となっている。

『オトナがコドモにできる最高の教育は、自分の背中を見せる事だと思います。だから僕は、自分の納得できる人生を歩きます。どこかの街で見かけたら、声を掛けてください。皆さんが声を掛けたくなるようなオトナであるべく、僕も頑張ります。』

まだまだ、すべては『これから』だ。


☆筆者のプロフィールは、コチラ!!

☆連載エッセイの
 「まとめページ(マガジン)」は、コチラ!!

※「姿勢調整の技術や理論を学んでみたい」
  もしくは
 「姿勢の講演を依頼したい」という方は
  コチラまで
  お気軽にお問合せください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?