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【エッセイ】 「食の好みが合わない」のではなくて、自分と相手の"意見"が合わない。

 知り合いとの会話で話題に上がった「食が合わない」から別れるカップルや夫婦について、自分なりの考えを書き留めようと思う。

基本的には「各家庭環境で色々な食べ方がある」だろうし「自分で見つけた美味しい食べ方を好んでやっている」などそういうのを僕は理解しているつもりだ。特にこの意識が強まったのはこれから記述する実体験があってからになる。

本題に関係ないから飛ばしてもいいよって話。

 数年前、とある友人の家で夕飯をご馳走になった事がある。そこで出た夕飯はカレーで、友人の母親は「お肉ゴロゴロにするね」と言ってくれた。心の中でサムズアップを決めつつ夕飯を楽しみにしていると、なんとも家庭的な台詞が聞こえてきた。

「ご飯できたわよー」

当時、僕は実家から抜けていた事もあり、そういう言葉は身に染みた。実家って本当にいいなぁ〜と羨ましがりつつ「はーい!ママ!」とギャグを言って、友人より我先にテーブルへと足を運んだ。
友人の父親、友人、そして僕の前に美味しそうなカレーが並んでいく。最後に母親が自分の分をよそり、椅子に座ったのでお腹を空かせていた僕は「いただきます!」と声を大にして食べ始めた。
一口目を口に頬張った瞬間、友人の母親にこんなことを言われた。


「牛乳いる?」


僕はカレーを食べる時のお供は牛乳だったので、二つ返事で牛乳を貰うことにした。紙パックの牛乳が冷蔵庫から出され、僕の前に置かれる。


「あっ、すいませんコップいただけますか?」


カレー皿の隣にコップが置いてあったが、既に麦茶が入っている。今思い返してみれば麦茶を飲み干したあとに牛乳を入れてしまえば良かったとも思うが、その時はそんな事が頭の中に入っていなかった。そしてコップ下さいに対しての返事はこうだった。


「え?コップ使うの?」


「・・・ん?これ直飲みですか?」
(さすがに2リットルも飲めない・・・。)


「あぁ、普通に飲むのか」


何を言ってるんだろうと思っていると、友人がおもむろに僕の前に置かれた紙パックの牛乳を手に取り、カレーにかけ始めた。

カレーに牛乳をかける・・・だと・・・!?
カレー鍋にハチミツとかチョコを入れて混ぜるのとはワケが違うぜ・・・!?

この瞬間の僕の瞼の開き具合はギネスに載るレベルだったと思う。カレーを食べながら牛乳を飲む事はあっても、カレーに牛乳を掛けるのは初めて見たからだ。
食べたら「美味しいor美味しくない」は一旦置いといて、見た目が美味しくなさそうだと思った。所々が白いカレーのルーをぐちゃぐちゃと混ぜ始める友人。

白いのが許されるのは米の部分だけやろ・・・!!
せめて混ぜる行為はカレー鍋の中で完結させてくれ・・・!!

この家庭ではこの食べ方が当たり前のようだったが、僕は初めて見たので衝撃を受けた。
親の育った地域の食べ方なのかどうかはわからないが、後にネットで調べると、そういう食べ方をしている人は多くいるみたいだったので変な食べ方ではないのだろう。

これをキッカケに色々な食べ方があるんだなと学んだ。

本題

 前置きが長くなってしまったけど、ここから本題です。

実際にそんな理由で別れたカップルや夫婦を僕の身の回りで見た事ないので、ファンタジーの話だと思っているのだが「作っても嫌いだからと食べてくれない」「いつも同じ味付けの料理が出てくる」「食が合わないから別れた」という記事やSNS投稿を目にした事が何度かある。

・魚を食べない
・肉しか食べない
・好き嫌いが多すぎる
・何にでも醤油やソースをかける
・甘いものを食べてると文句を言われる

「食」が関わって恋愛事情がもつれるなんて僕からしたら考えられない話である。

 僕は甘いものを苦手としているが、もし恋人が甘いものを好んでいるのであれば美味しいと感じながら一緒に食べられる。僕の中で苦手というのは主に"好んで食べない"だけで、嫌いなわけではないし、美味しくないと思っているわけでもない。もちろん本当に嫌いなものくらいあるが、必ず初めに伝えるようにしている。
かと言って全く食べれない事はないのだが、出来るだけ全力で避けたい。そんな気持ちにさせてくれるのは「シナモン」です。(って僕の好き嫌いはどうでも良い。)


・ベジタリアンやビーガンとして育った人。
・アレルギー持ちなどで食べれない人。

こういう理由であれば文句の一つもない。

 そもそも「食が合わない」というよりは「意見が合わない」に近いのではなかろうか。
そりゃ意見の合わない人同士が、同じ屋根の下に暮らしたら破滅ルート一直線だと思う。誰かと一緒に生活するというのは、互いに小さな我慢の積み重ねが必要不可欠になるし、互いに感謝しつつ、尊重し合う部分も必要不可欠になると思うんだ。

「私はピーマン(=料理や食材)が好きだから一緒に食べてよ」というのは、
"自分の意見はこうだから貴方もそうしなさい"と押し付けているように感じるし、
「俺はピーマン(=料理や食材)が嫌いだから1人で食べてよ」というのは、
"意見が合わないから初めから貴方と話をする気はありません"と拒否しているように思える。

そう考えると少しばかし寂しい気持ちになる。

まぁでも好き嫌いが多すぎる人は僕の中では論外だ。好きなものだけ食べて幸せな気持ちのまま不健康になってくださいとしか言えない。

僕は作る側に居た人間なので、作る側の味方になりますけどね。

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こちらは、ふわり飯です。

作ってもらう側の人間って、当たり前になると感謝しなくなるんだ。感謝しなくなった相手には態度を変えて良いと思うんだ。
ただ態度を変える前に、自分は相手に感謝しているのか一度だけ考えてほしい。感謝も尊敬もするところがないのであれば、態度変えちまっても良いと思うんだ。

その結果が招くであろうその先のことは己でどうにかしてくださいね。


大事なのは互いに尊敬の気持ち。感謝の気持ちだと僕は思う。そこに食は大きく関係していないはずだ。


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