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113. リーダーとボスの違いは何かと問われれば、リーダーの仕事は開かれているが、ボスの仕事は隠されている。リーダーは導くが、ボスは強いる〜セオドア・ルーズベルト〜

みなさんこんにちは。

今回は、アメリカの第26代大統領のセオドア・ルーズベルト氏の格言です。

ルーズベルト大統領は日露戦争で日本とロシアの調停を務め、停戦からポーツマス条約での和平交渉に尽力しました。

これにより、ルーズベルト大統領はノーベル平和賞を受賞しています。


セオドア・ルーズベルトとは

ルーズベルトさんは、1858年アメリカ・ニューヨークの裕福な家庭に生まれました。

博物学好きで喘息持ちだった彼は、自宅で学習し、自然に関心を持つようになりました。


ルーズベルトさんは、幼少期はとても平凡で、かなり病弱でかなり臆病な小さい少年だったと話します。

取り止めのない読書と博物学が好きで、どんなスポーツにも優れなかったと言います。

喘息のために学校には行けず、リーダーシップは低かったそうですが、一緒にいた父母のおかげで想像的な気質はあったそうです。

ただそれ以上の才能は始めはなく、父の勧めで運動を始めた頃から変わったと言います。


大学はハーバードに行き、海軍に興味を持ちました。

ハーバード卒業後、1年で最年少議員としてニューヨーク州下院に選任されます。

1882年に「The Naval War of 1812」を出版し、歴史家としても名を馳せました。

ルーズベルト氏が海軍次官として海軍省を運営していた時に米西戦争が起こり、議員を辞め、陸軍の士官としてキューバで戦いました。

戦後にニューヨークに戻り、知事選に出馬し、その2年後、副大統領に選出されました。

1901年、ウィリアム・マッキンリー大統領が暗殺され、42歳で大統領に就任しました。


就任後、
鉄道を支配していたモルガンを規制し、独禁法の制定や、
アウトドアスポーツ愛好家及び自然主義者として自然保護活動を支援したり、
日露戦争の仲介をし、ノーベル平和賞を初のアメリカ人として受賞しました。


リーダーとボスの違いは何かと問われれば、リーダーの仕事は開かれているが、ボスの仕事は隠されている。リーダーは導くが、ボスは強いる

ルーズベルトさんは、幼少期はかなり病弱で臆病な性格だったと言います。

読書が好きで、博物学が好きなためにコレクションを作るのが好きな、それ以外のことに関しては、普通の能力さえあまりなかったそうです。

そんなルーズベルトさんの体質を克服するために父はボクシングを勧め、それから運動を好むようになったそうです。


それからハーバード在学中に、アメリカ海軍の戦争においての役割を研究し、海軍に興味を持ちました。

海軍になってからは士官として、周りをまとめる力やリーダーシップが求められます。

戦後には、国をまとめる大統領にも比較的若い年齢で就任し、そのような中で、リーダーとボスの違いを考えたのでしょう。


戦争も味わってきた中で、何かを強いるのではなく、道を示し導くことが仕事と言っているのが印象的です。

これから国としてどうあるべきかや、どうしていくかを考え、それを強要するという方法ではなく、このようにすればより良くなるという道を指し示すのが、リーダーとしての仕事だと言います。


僕もボーイスカウトの時に、小さいグループで班長やリーダーを務めていましたが、強要すると意外とみんな着いてきませんでした。

ただ、より良くするために、どうしていけばいいのではないか、他にみんなでできることを一緒に考えて実行していこう、という趣旨にすると、それぞれのやる気が変わってきました。

自分ごとで考えるようになることが、一番その人の本気度を上げることなんだと感じたことがあります。


国という大きな組織をまとめる中で、時代にあったリーダー感を持ち合わせていたからこそ、多くの人に支持されていたのだと思います。


最後に

今回は、アメリカの第26代大統領のセオドア・ルーズベルト氏の格言を紹介してきました。

海軍や大統領も経験していますが、それ以前に自身が病弱だったり、臆病で読書や博物学が好きな自然主義者としての考えもあったからこそ、
ボスではなく、リーダーとしての在り方になったのだと思います。


現代のリーダーとして、決断をすると共に、道を指し示していくリーダーが、周りの多くの人も巻き込んでいくような人になるんだと思います。

僕も周りと協力しながら何かを作り上げていくようなリーダーになっていこうと思います。


それではまたどこかで。

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