やすお

東京の大学に通っています。 毎日投稿 2021年1月22日〜2022年4月5日(44…

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東京の大学に通っています。 毎日投稿 2021年1月22日〜2022年4月5日(440日)していました。 今後は、不定期で考えたことを発散する場として記事投稿していきたいと思います。 気に入ってくださったらフォロー、スキ、よろしくお願い致します。

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告白 ~逃げ続けた22年~

「怖い。」 これが私を動かしてきた全てだと思う。 小学生の頃からサッカーはそこそこ上手かった。勉強もできる方だった。 なぜなら普通の人より努力していたからだ。 毎日朝から晩まで、それは何かに追われるように必死に頑張っていた。 結果、周りからはそこそこ評価されていた。 どこにいっても「デキるやつ」として見てもらっていた。 それが嬉しかった。というより安堵感を感じていた。 誰かに必要とされること、見てもらうことで私はここにいてもいいんだという居場所を実感していた。

    • 勉強はおもしろい!!

      私は勉強が好きだ!! 「うわー変態だ。」 そう思われたそこのあなた。私が変態であることを否定はしませんが、 ”勉強好き=変態”のロジックは間違っていると私は思っています。 気づいていないだけで、勉強があなたの人生を豊かにしているからです。 そんなわけないと思われる方も、ぜひ騙されたと思って最後まで読んでから判断して頂きたいです。 とは言いつつ、かくいう私も 「なんで勉強なんてやらされているんだろう。」 「勉強なんて退屈だし、つまんない。」 と考え、かつては勉強が嫌

      • 心地のよい不快感

        私は、今年の2月から8月まで、半年間アフリカ11カ国を旅していました。 その詳細は以下のURLのブログに記録しているので、気になる方はぜひご覧ください。 「“旅“って何が良いの?」 「そもそも旅行と旅って違うの?」 「日本で良いじゃん、居心地良いし!地元卍!!」 そう思われる方は少なくないと思います。 よって今回は、私が思う旅に出る意義や旅の面白さについて、「心地のよい不快感」というテーマで紹介します。 たった一度、半年間アフリカを旅しただけの旅人初心者ですが、温かい目

        • 「理解」と「納得」の関係性

          「理解しました!」 私たちは物心ついた時から幾度となくこの言葉を使ってきた。 しかし、私はカントの「超越論的知覚」やプラトンの「イデア論」と出逢い、この言葉を容易には使えなくなってしまった。 彼らの考え方を平たく説明すると、現実を正しく認知できている人間はいないというものである。(自己解釈) もう少し詳しく説明すると、私たちが見ている「現実」とは、五感という曖昧な器官によって認識したデータを、脳によって恣意的に加工したものに過ぎないということだ。 私はこの考え方に大方賛

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          功利主義の罠

          「なぜ人を殺してはいけないのか?」 「なぜ人は生きるのか?」 このような"答えのない"問いに対して、様々な学問から多くの人が挑んできた。 今、この文を読んでいるあなたも、上記のいずれか、もしくは両方の問いについて一度は考えたことはあるのではないだろうか。かくいう私も高校生頃からずっと考えてきた。 しかし、新しい価値観に出会うたびに答えは変わり、よくわからなくなってしまった。 そんな時に出会ったのが、クロード・レヴィ=ストロースである。彼の価値観に出会い私なりの結論が出た

          功利主義の罠

          視点をスライドする

          日本ではやたらと職人が好まれる。 ここでいう職人とは一つのことを、極める人間のことである。それはスペシャリストとも表現され、しばしばゼネラリストと対比されることが多い。 私はゼネラリスト(寄り)の人間になりたい。しかしこれを言うと、周りからは「本当にそれで良いの?」とほぼ確実に反発される。職人を否定するわけでは全くないが、なぜゼネラリストを下に見られがちなのか(※私の肌感覚)、私には理解できない。 正確には覚えていないが、何年も解決されなかった生物学の問題を、何の前提知

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          空白を覗く

          「芸術」って何だろう。 ヨーゼフ・ボイスは「すべての人間は芸術家である」と述べた。つまり彼曰く、私たち人間はただ生きているだけで"何か"を創造しているらしい。 全く理解できないわけではない。 確かに、私たちはただ生きているだけでも、人や動物、その他あらゆるモノと関係性を構築し、社会を彫刻している。つまり全ての人間は何かとの関係性とそこから生まれるストーリーを有している。それはまさしく社会を創造する者であり、芸術家とも表現できるのかもしれない。 ただ、ヨーゼフ・ボイスが

          空白を覗く

          毎日投稿を終わりにします。

          毎日記事を書き続けて440日。 今日で毎日投稿を終わりにします。 ありがとうございました。 今後は仲間と一緒に、こちらのアカウントで大学スポーツを支えるさまざまな人たちにスポットライトを当てた記事を書く予定です。 ぜひご期待ください!

          毎日投稿を終わりにします。

          そこに向かう意志

          そうだな…わたしは『結果』だけを求めてはいない 『結果』だけを求めていると 人は近道をしたがるものだ… 近道した時、真実を見失うかもしれない  やる気も次第に失せていく 大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている 向かおうとする意志さえあれば、 たとえ今回は犯人が逃げたとしても、 いつかはたどり着くだろう? 向かっているわけだからな…違うかい? この言葉はジョジョ5部の 名もなき先輩警官の言葉である 要は 結果を求めることではなく そこに向かおうとする

          そこに向かう意志

          100年壁が壊されなかったからといって 今日壊されない保証なんてどこにもないのに…

          今日、電力が足りなくなるかもしれない と東京電力が警報を出した 私たちの生活の全ては電気で成り立っている スマホがなければ パソコンがなければ テレビがなければ 何も身動きがとれなくなるだろう 昨日まで、 電力が逼迫するかもしれないなんて 想像したこともなかった 当たり前のように使い続け 明日も明後日も明明後日も 永遠にその当たり前は続くと思っていた もちろん今回 実際に逼迫するかどうかはわからないが このような機会に私たちは その時が来たら どう対応しどう生

          100年壁が壊されなかったからといって 今日壊されない保証なんてどこにもないのに…

          世の中に「純正」は存在しない

          世の中に「純正」なものはない 全ては複雑に絡み合っている 例えば 純正なアイヌ民族 純正なアメリカ人 純正な黒人 純正なイスラム文化 純正なイタリアン料理  など それらは存在しない 私たちはグローバルな世の中に生きており 全く他の人や文化から影響を受けずに 発展してきたものはない だから、全ての人間は 「彼ら」ではなく「私たち」であるのだ 一つの地球人として お互いに影響し合っている存在である したがって アイヌだから、アメリカ人だから、黒人だから と言った

          世の中に「純正」は存在しない

          実力のない人間がやるべきこと

          自分に実力がないと 失敗を繰り返し自信が持てず より一層実力を発揮できなくなってしまう その負の連鎖から抜け出さなければ 決して結果を残すこと、成長することはできない 私はサッカーという世界で闘ってきて 何度もこの負の連鎖の経験をした ミスをする度に後ろ向きになり 上手くいかなくなる 周りからは自信を持てと言われたが 自分の実力がないのは明らかで 自信なんて持てるわけないだろうとずっと思っていた しかし、実力がないことを 自分で自覚できたならやるべきことは 単純であ

          実力のない人間がやるべきこと

          知識は使うためにある

          私たち日本人は中学から高校まで 6年間毎日のように英語の勉強をしている しかし、その英語の授業だけで 英語が話せるようになった人がどれだけいるだろう 少なく見積もって1年間で100時間の授業を受けており 6年間で600時間、英語の勉強をしている そんなにも時間を費やして 英語が使えるようにならないというのは 何かが間違っているとしか思えない それは英語に限った話ではなく 数学や社会、理科、国語などにも同じことが言える 義務教育だけでも 膨大な時間の授業を受け 膨大な

          知識は使うためにある

          普通は偏見の固まり

          「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションに過ぎない(アインシュタイン)」 世の中で度々使われる言葉 「普通」「常識」 これらに絶対的な基準はなく とても主観的なものである アインシュタインは 18歳までに身につけた偏見のコレクション と表現したが その年齢は個人差があるとしても 価値観が形成される若い時に 見たもの、聞いたものによって その人の普通、常識は決定する ということはまさにその通りである 私自身、大学に入り たくさんの人間との出逢いの中で

          普通は偏見の固まり

          死ぬ覚悟がないなら生きるしかない

          死にたい 生きる目的がわからない そのような言葉を言う人はよくいる 私はそのような人にはこう言うべきだと思う 「じゃあ、今すぐ全裸になって死ねよ。」 もちろん、悩んでいる人に対しての 言い方は考えなければならない でも、大抵の人は死ぬ覚悟などないし いざ死を目の前にしたら恐れ死ぬことはできないはずだ なぜなら、生に対しての未練があるからだ まだまだやり残したこと やりたいことがあるはずだからだ また、死ねば恥じらいもないし 失うものは何一つない だからもし

          死ぬ覚悟がないなら生きるしかない

          大切なのは「過程」

          もし、どこでもドアができたら もし、過去も未来も行き来できるタイムマシンができたら 人生はとても退屈なものになると思う なぜなら 人生を豊かにしているのは "道のり"だからだ どこでもドアができたら 一瞬で目的地に辿り着く 電車も車も、飛行機も必要なくなり 移動時間という一見憂鬱なものがなくなる しかし、 移動中に不意に出会うもの 移動中の会話、移動中の景色など それら目的ではないが その道のりにある刺激を享受できなくなる また、タイムマシンができ 自分の未来や

          大切なのは「過程」