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普通は偏見の固まり

「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションに過ぎない(アインシュタイン)」

世の中で度々使われる言葉

「普通」「常識」

これらに絶対的な基準はなく
とても主観的なものである

アインシュタインは
18歳までに身につけた偏見のコレクション
と表現したが

その年齢は個人差があるとしても

価値観が形成される若い時に
見たもの、聞いたものによって
その人の普通、常識は決定する

ということはまさにその通りである

私自身、大学に入り
たくさんの人間との出逢いの中で

自分にとっての普通は
誰かにとっては異常なことで

誰かの普通は
自分にとっての異常であることに気づいた

例えば韓国から来た留学生は
兵役を終え日本にやってきたと言っていた

日本で生活していた
私の中の普通には
兵役があることが信じられなかった

でも、それは韓国の中では
誰もが経験する普通のことであるのだ

普通とは何か?

それは今まで自分が経験してきた
偏見のコレクションでしかないのである

だから
自分にとっての普通が
普遍的、絶対的であると勘違いしてはいけない

そして自分の普通が
より、多角的なものにするために
たくさんのことを経験すべきである


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