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心地のよい不快感

私は、今年の2月から8月まで、半年間アフリカ11カ国を旅していました。
その詳細は以下のURLのブログに記録しているので、気になる方はぜひご覧ください。

「“旅“って何が良いの?」
「そもそも旅行と旅って違うの?」
「日本で良いじゃん、居心地良いし!地元卍!!」

そう思われる方は少なくないと思います。

よって今回は、私が思う旅に出る意義や旅の面白さについて、「心地のよい不快感」というテーマで紹介します。
たった一度、半年間アフリカを旅しただけの旅人初心者ですが、温かい目で読んで頂けると幸いです。


はじめに、私は“旅“を「現地の生活を体験すること」と定義しています。
つまり、観光地のような飾られた場所だけを訪れる“旅行”とは異なり、現地に暮らしている人がどんな生活をしているのかを、五感で体験することが“旅”だと考えています。

よって、現地の人が最も使うスーパーで買い物をしたり、交通手段を使ったり、時には民泊をしたりしながら旅を進めていました。(詳しくは上記ブログ参照)


そんな“旅”の面白さは、ズバリ結論を言うと、現地の生活を体験する中で感じるたくさんの不快感や違和感です。
「何言ってんだこいつ、きも。」
と思われた方もいるかもしれませんが、もう少しだけ私の話を聞いてください。

観光地ではない場所には特別な見所があるわけではありません。
ただ、そこには現地の人の生活があり、文化があります。

そのような異文化の中で生活をしていると、あるべきものがなかったり、あるべきでないものがあったり、常にハプニングの中で日常生活を送ることになります。
「おかしいだろ(笑)」と思うようなことが現地の人にとっては当たり前の生活なのです。

たとえば、8人乗りの車に15人くらいで乗ったり、バスの発車に3時間以上待たされたりすることはよくあります。

また現地の人と会話をしているとしばしば、誤植が生じます。
同じ内容のことを話していると思っていても、そのバックグラウンドが異なるため言葉の意味一つ一つに微妙な誤差が生じてしまうのです。

宗教観はまさにそれが顕著にあらわれます。

一見、これらの“不快感”や“違和感“は生活のしづらさにしか見えないかもしれませんが、私はそうは思いません。
相手との差異を認識することで、むしろその不快感を楽しむことができると考えています。

価値観や認識(≒言葉の意味)について「どこが。どのように。なぜ。」異なっているのかを考えることで、相手がどのようなバックグラウンドの中で価値観が形成されたかなど、より深層的な理解を深めることができるからです。
それだけでなく、比較をすることで自分が普通だと思っていたことに違和感を持つことができ、自らの理解を深めることにもつながります。

たとえば、海外では宗教観についてアイスブレイクのようによくお話しされるのですが、私はその会話のなかで、「日本人は無神教と言われることが多いのになぜ神に祈ったり、道徳心を持っていたりするのだろう。」といった疑問が浮かんでくることしばしばありました。
これは、日本人と会話をしていても絶対に気が付かなかった違和感だと思います。

その違和感から、古事記や日本の歴史について興味を持つことができました。
その答えはまだ見つかっていませんが、新渡戸稲造著『武士道』が一番答えに近いものを与えてくれたような気がします。(この内容についてはまたの機会に執筆したいと思います。)

このように、異文化と触れることで新たな視点、視野が増え“知らないこと”が見えてくるようになります。
つまり、「自分は世界のこと、日本のこと、自分のことを何も知らないんだ!」ということに違和感を通して発見することができます。

まとめると「相手との誤植を通して自らの無知を自覚すること」これが旅の面白さだと思います。

よって、一度旅を始めると「旅を終え、知らなかったことを勉強し、また旅に出てより深い疑問にぶち当たり…」その繰り返しの沼にハマっていきます。

一度ハマれば無限の知的好奇心から抜け出すことはもうできません。

どうでしょうか、あなたも旅の沼にはまりませんか??

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