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視点をスライドする

日本ではやたらと職人が好まれる。

ここでいう職人とは一つのことを、極める人間のことである。それはスペシャリストとも表現され、しばしばゼネラリストと対比されることが多い。

私はゼネラリスト(寄り)の人間になりたい。しかしこれを言うと、周りからは「本当にそれで良いの?」とほぼ確実に反発される。職人を否定するわけでは全くないが、なぜゼネラリストを下に見られがちなのか(※私の肌感覚)、私には理解できない。

正確には覚えていないが、何年も解決されなかった生物学の問題を、何の前提知識も持たない物理学者が数分で解いてしまったという話がある。この話の肝は物理学者が天才だった、ということではない。全く違う学問のフレーム・視点を用いることで、これまでの問題がクリアになることがあるということだ。

つまり、考え方を他の分野にスライドすることで、問題が全く異なる見え方がして、思わぬ解決策が見つかるかもしれないということだ。

先程の例で言うところの生物と物理のような、点と点の間に関連性がなければないほど、全く新しいソリューションが見つかるだろう。問題の枠組みなんかお構いなしの不合理な行動である。
しかしだからこそ、この不合理なフレームの適用行為はAIに代替されないものだと私は考えている。(私が生きているうちは。)

また、当然だが他分野の考え方が必ずしも適用できるわけではない。しかし、適用できる可能性があると言うことが大切だ。

この可能性は、職人には生まれない。

なぜなら彼らは既存の構造や枠組みの中を深めている人間であるからだ。(「分野」などのメタなレイヤーでの)問題の枠組みを捉え直したり、壊したりすることは彼らにはできない。

よって、私はそこに価値を発揮できる人になりたい。

様々な視点・価値観を持つことで、一見関係のなさそうな点と点を繋ぎ、職人にもAIにも思いつかないような新たな価値を創造する。

それが細分化されたこの文化社会で私が生きる道だと思っている。

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