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「純愛」か「呪い」か?・・・踏み絵の結末は?

「忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
       人の命の 惜しくもあるかな」

                  右近

・・・・・・・


「なあ。これ、『純愛』か『呪い』かどっちなんだろうな?」

俺はクラスの女子連中に尋ねてみた。

「先生は、『この和歌は、失恋して忘れ去られてしまうであろう自分の身は何とも思わないけれど、永遠の愛を神に誓ったはずのあの人には、神罰が下るに違いないから、命を落とすのが惜しまれてならない。』という意味だと言ってたけど。俺はそれだけじゃないと思うんだ。」


その頃俺は、学校の成績はともかく、別の発想や別の視点で考えることを楽しんでいた。
ニヒルを気取ったまさに中二病だったのだ。


「女に振られた恨みだってあるはずだろう、

だから、相手の身を心配するふりをして、

神罰が下ることを期待する気持ちもあると思うんだよね」

という訳で、A『純愛の極み』か、B『神罰をねだる呪い』か。

どっちだと思う?」


女子たちは、たった今終わった授業の事を思い出しながら考えていた。
もちろん、単純な歌の解釈を確認したいわけじゃない。
この質問には、裏がある。


Aなら、振った相手からもいつまでも愛されたいという強欲な女。
Bなら、振った相手はとことん不幸になれという怖い女。
どっちを選んでも、良い人にはなれない、という訳さ。


「じゃあ私は、Cね」

俺の後ろに立っていたクラス一背の低い女子が声を上げた。

「Cなんてないよ」

「いいえ。Cはね、人の心は時と共に薄れてしまうものなのに、
踏み絵みたいなこと言って、恋を牢獄にする人にこそ、
神罰が下れという警告文だと思うわ」

そう言うと、彼女は、「バイバイ」と皆に挨拶をして教室を出て行った。


これは中学の時のこと。
延々と妻に振られ続けた失恋の最初の一撃だった。


                    つづく






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