「鞄の飴玉」・・・ほっこり短編。形が分からなくなっても分かる者は。
定年退職してから使っていなかった鞄の底から
飴玉が出て来た。
小さなビニールの包みに一つずつ包まれた薄青色の飴が二つ。
いつから入っていたのだろう。
溶けて袋に貼りつき、元の形も分からなくなってる。
ああそうだ。
冬になると、喉の為と言って妻が渡してくれたのだった。
元来、甘いものが嫌いなのと、病気予防を気にするとエネルギッシュに働けないという、つまらない意識で、私はこっそり缶の中に入れて貯め込んでいた。
あの缶はどこに置いたろう、と書斎の机を探ってみた。
積み上げた本の横に静かに収まっている。
おそらく妻は、この缶を見つけたのだろう。
ある日、
「この飴は甘くありませんよ」
と言って、鞄の中に押し込んで来た。
「ああ。」
と生返事をして、そのまま出かけ、何日かまとめて、
やはり缶に入れた。
「そんなに嫌なら、もう明日からは渡しませんから」
きっと妻は頬を膨らませて拗ねて見せることも出来ただろう。
でも、拗ねて私の喉が悪くなるより、
いつか舐めてくれるかも、と飴を渡し続ける方を選んだのだ。
貼りついた小さなビニール袋を注意深く剥がし、
形の変わった飴を口に入れてみる。
ミントの香りと微かな甘みが広がる。
確かに思っていたほど甘くはない。
喉から鼻に空気が通っていくような感じがする。
黒い枠の中から妻が微笑んでいる。
「ほらね。言ったとおりでしょ」
と叱られているような気がした。
「これからは、飴玉を食べるのを日課にするよ。君を忘れないために」
おわり
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