記事一覧
「具体」ノートについて
これまでに執筆した、「具体美術協会」に関するテキストのアーカイブです。
原則として執筆時のデータをそのまま掲載していますので、もしかしたら不正確だったり、最終校正が反映されていなかったり、誤字脱字もあるかもしれません。
引用、参照は自由ですが、著作権は放棄しておりません。
「永遠」と「瞬間」のはざまに ―堀尾貞治の《千Go千点物語》をめぐって
・作品成立の経緯
《千Go千点物語》は、その名のとおり約1,000点の平面作品からなるシリーズで、堀尾貞治の晩年の代表作のひとつとなりうるものである。「なりうる」としたのは、制作に携わった当事者以外、誰もまだその全体像を見たことがないからだ。実はこの作品集は、初めてその全貌を明らかにするものである。
作品の成立には、奈良県の喜多ギャラリーが深く関わっている。ここではもと具体美術協会の浮田要三や
存在には理由はない 村上三郎の芸術について
・はじめに
本稿は、2021年12月より芦屋市立美術博物館で開催された「限らない世界/村上三郎」展のカタログに寄稿したテキストへの補遺である[1]。会期中には講演の機会もいただいたのだが、準備するなかで、テキストに盛り込めなかったいくつかの事柄が気になり始めた。村上さんには哲学者的な側面があり、美術をめぐる言動には難解なものが少なくない。なかでも1)時間と空間、2)偶然と必然 をめぐる興味深い言
四半世紀ぶりの村上三郎展によせて
この展覧会は、村上三郎さんの没後25周年を記念したものだという。あれからもう四半世紀とは、時の経つのはなんと早いことだろう。
当時、筆者は芦屋市立美術博物館の学芸員として、1996年4月6日開幕予定の「村上三郎展」を担当していた。忘れもしない1月5日、村上さんが美術館に訪ねてこられた。恐らくは正月を返上して書き上げたであろう、テキストを持参されたのだ。これでカタログにも目処がついた、そう安堵した
追悼:堀尾貞治 「あたりまえ」の死
葬儀からひと月が過ぎ、堀尾さんについて、ようやく落ち着いて考えられるようになった。堀尾さんはポジティブの権化のようなアーティストで、常軌を逸した頻度で発表活動を行う、まさに無窮の人だった。2011年にベルギーで出版された作品集に文章を寄せた際には、彼がいよいよ老いに直面し、身体の自由がきかなくなったとき、はたしてどのような表現を見せるのかむしろ興味深い、と書いたほどだ。
ところが実際の幕切れは、
村上三郎、一瞬にして鮮やかに成立してしまう“美”がある
上司に連れられて村上さんと初めてお目にかかった時のことは、今でもよく覚えている。具体のなかでも「哲学者」「理論派」と聞いていたこともあり、学芸員になりたての筆者はかなり緊張していた。ところが実際の村上さんは、拍子抜けするくらいあたりの柔らかい人だった。人懐っこい笑顔で、相手をたちまち武装解除してしまう。「山本さんは、何がご専門ですか?」と尋ねられ、「いちおう美術史学科出身なんですが、実は学校サボっ
もっとみる《泥にいどむ》と初期「具体」の作品構造─「アール・ブリュット」と「童美展」の比較を通じて─
1.泥にいどむ
白髪一雄の《泥にいどむ》[uu1] (1955〔昭和30〕年)はしばしば初期「具体」におけるアクション的な側面を象徴する作品として位置づけられる。しかし、実際にこの作品を眼にしたものはごくわずかである([1])。同時期の「具体」には作品の永続性に頓着しない例が多く、回顧展の際などにどこまで再制作を認めるかが争点となるのだが、《泥にいどむ》は最もそれに馴染みにくい作品のひとつである
あたりまえのこと 堀尾貞治論
はじめに
堀尾貞治は1939年神戸市の下町である兵庫区に生まれ、現在も同地に在住しているアーティストである。家庭の事情により、中学卒業後すぐに三菱重工神戸造船所に就職しているので、美術は全く独学である。1965年、第15回具体美術展に初出品、翌年「具体美術協会」(以後「具体」)の会員となり、1972年の解散まで出品を続けた。その後も息長く活動を続け、近年では個展、グループ展への参加、単発のパフォ
アヴァンギャルドと子どもの絵
「具体美術協会」は1954年に兵庫県の芦屋で結成された前衛美術グループです。72年に代表の吉原治良が亡くなった際に解散していますので、約18年活動したことになります。近年、特にその初期の活動が世界的にも再評価されつつあるわけですが、実は彼らは子どもの表現に非常に興味を持ち、そこから制作のインスピレーションを得ていました。本日は、それとジャン・デュビュッフェが収集したアール・ブリュットとの関係性を比
もっとみる行為と現象 「具体」と「ゼロ」をめぐって
・つみとられた果実
「(…)具体の10年前の作品に対する、これらの人々の驚きが、まざまざと感じられた。たとえば、こんどの展覧会にはハッケやピータースが盛んに水を使っているが、元永の水の作品ははるかに早く、田中の10年前の風の作品がハッケのいまの作品と近似している。10年以前われわれが芦屋の松林で、あるいはさまざまな劇場でやったグタイのマニフェストが、つまり当時具体の機関誌に私の書いた『つみとられ