(ゼロ展レヴュー)

「モトナガ!?」…ヘンク・ピータースが我々日本人の一団を眼にするや、発した第一声である。オランダの前衛グループ「ヌル」(ゼロの意味)の中心人物と、日本の「具体」の元永定正との歴史的な出会いの場面である。
デュッセルドルフ(ドイツ)のクンスト・パラスト美術館で開催中の「ゼロ」展は、ドイツやオランダを中心に'50〜60年代に活動した前衛グループ「ゼロ」の大規模な回顧展である。彼らは各国の作家たちと広く交流したことで知られるが、特に1965年の「ヌル国際展」では、「具体」のリーダー吉原治良と次男の通雄が招かれ、'50年代の初期「具体」の作品を再制作している。そういう史実に基づき、筆者は「具体」パートの監修を、二年越しでお手伝いさせていただいた。
「ゼロ」の作家たちは、それまでの主観的、表現主義的な抽象絵画を克服するべく、しばしば光や音、運動といった非物質的な「現象」に着目した。例えばピータースは、ビニール・シートに水を張り、透過光の効果をみせる作品を'60年代半ばに発表しているが、ある時、彼はある書物に掲載された図版に衝撃を受ける。他でもない、元永定正の《作品(水)》(1956年)である。「具体」の先進性をいち早く察知したピータースは、先述したとおり「具体」を招くことを決意する。
今回、83歳の高齢をおして渡航した元永は、いろんな意味でキー・パーソンだった。中庭に展示されたカラフルな水のインスタレーションは、ナチ時代の無機質な美術館の外観との強烈なコントラスを印象づけた。さらにオープニング・セレモニーの最後を飾ったパフォーマンス《煙》で、満場の観客の興奮は頂点に達した。巨大な煙の輪がホール内を悠然と飛行する本作は、本来'50年代のものだが、無数の「ゼロ」が飛び交う様は、まるで今回のためにあつらえたかのようだった。
「ゼロ」の回顧展にも関わらず、(元永のみならず)「具体」へのスポットのあたり方はたいへんなものだった。これは当方のせいではなくて、あくまでも主催者側の判断によるものである。担当学芸員のマティアス・ヴィッセールは、実はピータースの甥であり、7歳の時に「ヌル国際展」を見たことが、美術の原体験となっている。叔父の業績や自身の出自とも関わりの深い内容だけに、その思い入れは尋常ではない。また館長のジャン・ユベール・マルタンは、非西洋圏の美術のエキスパートとして知られている。それを反映して、クンスト・パラストの企画は、マルチ・カルチャリズムがひとつの売りなのである。
ヨーロッパでは比較的知名度が高いのだが、それでも今回「具体」を「新たな発見」とする声が多く聞かれた。現地の歴史的な前衛と直に対峙する形で、「非西洋圏」の前衛の先進性が印象づけられたのが大きな一因だろう。今後「ゼロ」を語るには「具体」は不可欠、あるいは「具体」は「ジャパニーズ・ゼロ」だとまでいわれると、誇らしい反面、裏を返せば何でも西洋の文脈に回収されてしまうような気持ち悪さがないでもない。逆に、なぜ我々は「具体」を語るには「ゼロ」が不可欠だと、堂々と発言できないのだろう。作家は優れた作品を産み、研究も進んでいる。しかし、それを国家レベルで文化戦略として位置づけ、支援する社会体制には、あまりにも落差がありすぎる。貴重な体験の数々は、しかし一抹の寂しさを伴うものだった。
山本淳夫(やまもと・あつお/滋賀県立近代美術館 主任学芸員)

『毎日新聞』2006年4月24日

写真キャプション
元永定正《作品(水)》1956年(2006年再制作)の前で
左より、元永定正、マティアス・ヴィッセール、ヘンク・ピータース

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?