元永定正展

三重県美では1991年以来二回目となる個展である。充実していた前回をあらゆる点で上回っており、企画展示室のみならず常設展示室の一部、屋外、エントランスホール、県民ギャラリーとあらゆる空間に作品が展示されていた。それでも出品作はかなり厳選されたものだったといえる。86歳となる作家の途方もないエネルギーと仕事の幅広さに、まずは改めて脱帽させられた。
その作品においては「色」と「かたち」が重要なエッセンスである。それは常に「明快さ」を指向するが、原理主義的に煮つめる(例えばミニマリズムへと向かう)ことはない。むしろ人間や自然などに起源を持つ有機的な要素が全面的に肯定され、それでいて決して安っぽいヒューマニズムに陥らないのが元永芸術の魅力である。作家の視線が上から見下ろすのではなく、ある種の「無垢さ」にとどまり続けているからであろう。
さて今回、60年代前半のアンフォルメル的な作品群の位置づけについて改めて考えさせられた。日本画のたらし込みの技法を応用しつつ、重力によって絵具の流れを絶妙にコントロールしたダイナミックな作品群は、元永のひとつの絶頂期を形作っている。しかし全体の流れのなかで捉えたとき、意外にもそれらが少し「浮いて」感じられたのだ。
この頃の作品は色面どうしのせめぎ合いがより複雑であり、飛沫や絵具の流れの多用により身体性の関与がより印象づけられる(近作で「流し」の技法が部分的に復活しているが、あくまでもハードエッジの形態に対する「地」として機能しており、60年代の用法とは意味が異なる)。極端にいえばそれらをカットして、アンフォルメル期に突入する間際の地と図の境界が明確なほぼ最後の作品「タピエ氏」(1958年)から、エアブラシを用いたハード・エッジ最初期の「作品N.Y. No.1」(1967年)にいきなり飛んだとしてもあまり違和感はない。むしろ全体の流れはより明快になるのではないか。無論これは暴論であり、60年代前半の作品群の強度は疑いようがない。だからこそ、余計にこのねじれ現象が悩ましいのである。
それは現在巡回中の白髪一雄の回顧展と比較するとより明らかであろう。終始肉体と精神のオートマティズムを巡って展開された白髪芸術は、よりアンフォルメルの文脈にフィットしており、生涯ほぼ一貫して整合性を保っている(ただし、あまりにも早い段階で「泥にいどむ」(1955年)という最終兵器を発動してしまったため、どうしても全体が巨大なデクレッシェンドに感じられてしまうきらいはあるが)。原則的に絵画空間の枠内で勝負し続けた白髪と、時にその世界が画面の外にまで氾濫し、ひとつのワールドを形作ってしまう元永との違い、ということもあるかもしれない。何らかの新しい視点から60年代前半の作品群を再解読できないか、まだ明快な答えは出ないが、そんなことを考えさせられる機会であった。

山本淳夫(やまもと・あつお/滋賀県立近代美術館主任学芸員)

『REAR 第22号』リア制作室(2009)

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