存在には理由はない 村上三郎の芸術について

・はじめに


本稿は、2021年12月より芦屋市立美術博物館で開催された「限らない世界/村上三郎」展のカタログに寄稿したテキストへの補遺である[1]。会期中には講演の機会もいただいたのだが、準備するなかで、テキストに盛り込めなかったいくつかの事柄が気になり始めた。村上さんには哲学者的な側面があり、美術をめぐる言動には難解なものが少なくない。なかでも1)時間と空間、2)偶然と必然 をめぐる興味深い言説があるのだが、正直いって筆者の手には負えず、これまで避けてきた経緯がある。


このタイミングを逃すと、積み残した課題に取り組む機会を失うかもしれないと思い、講演ではそれらに対して可能な範囲でアプローチしてみた。トライアルの域を出ていないかもしれないが、せめて今後の研究の足がかりになればと思い、講演内容をもとに文章化を試みる。なお、原則として既にカタログテキストで触れた内容は割愛するので、両者を併せてお読みいただいた方が、より分かりやすいだろう。



・「時間」と「空間」


「具体美術協会」の初期の実験的な作品群は、「時間」と「空間」の両面から絵画に革命をもたらすものだった。言い換えれば絵画における「時間」と「空間」の問題を突き詰めた結果、彼らは従来的な意味での絵画の枠組みを、勢い余って踏み外してしまったのである。


まず「時間」について。西宮市の海清寺に、南天棒によるダイナミックな書が伝わっている(fig.1)[2]。この作品からインスピレーションを受けた吉原治良が、画面空間における行為の軌跡=時間性に着目したことが、「具体」のアクション的な作品が生まれる遠因となったことはよく知られている。やがて彼らは、全身で泥と格闘したり、クラフト紙のパネルを体当たりで突き破るなど、アクション性の強い制作方法を様々に実験するようになる(fig.2, 3)。その奇抜さに着目したマスコミから何度も取材を受け、カメラの前で行為を繰り返すうち、結果としての作品のみならず、制作過程それ自体にも意味があることを、彼らは次第に自覚し始めるのである。


次に「空間」について。彼らは野外、舞台、大空と様々な場で作品を発表したが、従来のジャンルに収まりにくい表現が生まれたきっかけとして、特に重要なのが二度の野外展である[3]。芦屋川畔の松林という変則的な空間で作品を発表するにあたり、ただ単にキャンバスを松の木に吊るすだけでは、オリジナリティ至上主義の吉原が納得しないのは明白だった。メンバーはなるべく安く大量に調達できる材料を工夫し、松林の空間を効果的に支配するアイデアを競いあった。結果的に、素材の剥き出しの物質性や強烈な色彩が前面に押し出され、あるいは夜間に発光する効果に訴えかけるものなど、数々の脱絵画的な試みが出現する(fig.4, 5)。いわゆるホワイト・キューブの展示空間を逸脱したことが、今日でいうインスタレーション的な表現に結びついたのである。


やがて多くのメンバーは、脱絵画的なダイナミズムを、再び絵画制作のエネルギーへと還元させていく。その背景には、1957年に来日するや具体の絵画表現をいち早く評価し、海外のマーケットへと繋いだフランスの批評家ミシェル・タピエの影響もあった。村上さんも例外ではなく、’60年代半ば頃までは主に強靭なアクション・ペインティングを制作するのだが、やがてその関心はそこから離れていく。'70年代以降は脱絵画的な方向性がより顕著になるが、その背景には「時間」と「空間」をめぐる独特な思考があったように思われる。


「パフォーマンスを続けているうちに私は、S・W・ホーキングの言葉に出くわした。『私たちの感じる時間は一方向にしか進まず、空間とも別のものですが、宇宙における時間とは、本来空間と区別のないものかもしれないのです。』私は紙破りの瞬間と空間が一つになることを念願しつづけている。」[4]


「あらゆる幻想の中でも時間に対する幻想がもっとも強い。この幻想を拭い去るのは至難の業や。いいか? 時間は横に流れていると思っているだろうけれど、実は縦だ! 時間は縦に流れている!!」[5]


晩年の村上さんが「時間」や「空間」をめぐる興味深い発言を繰り返していたことを、我々は坂出達典の著書『ビターズ2滴半 ―村上三郎はかく語りき―』を通じて知ることができる[6]。とりわけ「時間は縦に流れている」は謎めいていて、印象的なフレーズである。ちなみに坂出さんは、実時間と心理的な時間の違い(おなじ一時間でも楽しい時は早く過ぎ、苦痛な場合は長く感じられる)を例に挙げて解釈を試みている。


「時間」と「空間」をひとつのものと捉える村上さんの発言は、一見文学的に感じられなくもないのだが、実は極めて科学的な思考に基づいている[7]。ちなみに筆者が初期「具体」を説明する際に引き合いに出した「時間」と「空間」は、いわばニュートン以来の古典的な物理学の考え方に準拠している。両者はそれぞれ独立かつ不変のものであり、「時間」は過去から未来へと一定速度で経過し、「空間」は縦×横×高さの三次元で定量化される。


ところが20世紀に入ると、アインシュタインの相対性理論により、我々の世界観は大きな変革を迫られた。時間と空間はそれぞれ独立しているのではなく、実は互いに密接に作用しあっている。運動するものは、1)時間が遅くなり、2)長さが縮み、3)質量が増える。アインシュタインの考察は、やがて宇宙の起源やブラックホール、あるいはミクロの物質から莫大なエネルギーが得られることの発見にもつながっていく。一方で、それは原子力や核兵器を産み出すことにもなり、いろんな意味で20世紀以降の世界のあり方に決定的な影響を与えた。


時間が一定不変ではなく伸び縮みすることは、SF映画のように光速で宇宙旅行するまでもなく、東京スカイツリーの展望台に精密な時計を設置することで観測可能だという[8]。より地球の中心から距離があり、重力の影響が弱い展望台の方が、地表よりも時間が早く進むのである。ただしその差はあまりに微細で日常生活レベルでは感知不可能なため、ふだん我々は「時間」と「空間」をそれぞれ独立不変のものとして扱っている。社会生活を円滑に行うには、便宜的にすべての人が共通認識できる基準が必要だからなのだが、厳密にいうとそれは虚偽である。過去から未来へと一定速度で進む「時間」という概念は、まさに村上さんがいうとおり幻想に過ぎないのだ。


前述したとおり、初期の「具体」は「時間」と「空間」の両面から絵画に変革をもたらした。しかし、ここでいう「時間」と「空間」は、あくまでも両者を独立不変のものとみなす旧来の物理学に準拠した概念である。おそらく村上さんは、さらに踏み込んで、相対性理論以降の世界観において美術を捉え直そうとしたのではないか。ただし誤解してはならないが、彼は何も四次元の「時空」を表現することを目的に制作したわけではない。直感的にまず行動してみて、自分がやってしまったことの意味を事後的に考察する、というのがそのパターンである。一連の「紙破り」や、個展「無言」(1973年)などは、見るものに対して、そして当の作者自身にさえ、美術をめぐる思考を促すような性質がある(fig.6)[9]


村上さんの発言においては、アインシュタインよりも、相対性理論の研究をさらに推し進めたホーキングへの言及が目立っている。その背景として考えられるのは、1989年に早川書房から刊行された『ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで』である[10]。同書は「車椅子の物理学者」として知られたホーキングが、専門家ではない一般の読者を対象に、ビッグバンやブラックホール、光円錐といった宇宙論の一部を分かりやすく解説したもので、発表当時世界的なベストセラーとなり、日本でも110万部の売り上げを記録した。村上さんの蔵書にも、その存在が確認されている[11]


興味深いのは、挿図として同書に掲載された「時空ダイヤグラム」である(fig.7, 8)。四次元の概念を分かりやすく示すため、三次元空間を二次元、あるいは一次元に簡略化し、その代わり縦軸で上向きに増大する時間を表したものである。この図について、ホーキングは次のように述べている。「四次元空間そのものを心に描くことは不可能である。私などには、三次元空間を思い浮かべることだってむずかしく感じられるのだ! しかし、地球の表面のような二次元空間のダイヤグラムを描くことはやさしい。そこで私がよく用いるのは、時間が上向きに増大し、空間の次元の一つが水平に示されているようなダイヤグラムである。空間の残りの二つの次元は無視するか、あるいは、その中の一つを透視画法で示すことにする」[12]。村上さんの発言どおり、「時空ダイヤグラム」では、時間はまさに縦方向に流れている。


さらに興味深いのは、時空ダイヤグラムのバリエーションともいうべき「光円錐」である(fig.9)。これは四次元時空の中で特定の事象が発した光、あるいはある事象に到達可能な光の集合を表現したものである。光の速さを超えるものは存在しないので、私がこれまで認識し、また今後関与する可能性のある事象の集合体は、それぞれ未来と過去に向かって増大する円錐として表される。そして、いま現在をあらわす瞬間は、二つの円錐の頂点が接する、まさにピンポイントとして提示されている。


この図から、筆者は「紙破り」を強く連想させられる。「紙破り」には様々なバリエーションがあるが、とりわけ最もシンプルな「入口」は、二つの異なる空間の境目にクラフト紙のパネルを挿入するものである(fig.10)。クラフト紙は木枠の両面から太鼓貼りにされ、内部に空気の層が封じ込められていること、空間全体が共鳴体の役割を果たすことから、パフォーマンスの瞬間には想像を絶する炸裂音が発生する。「こちら」から「あちら」、そして「過去」から「未来」へと移動する単純な行為は、クラフト紙のパネルという、これもまた単純な装置を介在させることで、極端にアンプリファイされる。破れ目=行為の痕跡には「時間」と「空間」が交錯する様子とともに、かけがえのない「今此処」の瞬間が鮮烈に刻印されるのである。


村上さんは、しばしば「紙破り」は誰にも批評できない、あるいは納得できる批評に巡り会ったことがないという趣旨の発言をしている[13]。筆者のような学芸員にとっては耳の痛いことなのだが、「具体」のアクション的な作品のなかにのみ位置づけられ、せいぜい身体性の問題に言及される程度なのが不満だったのだろう。彼自身も述べているとおり、旧来の「時間」や「空間」認識の枠にとどまらず、我々が日常的には知覚し得ない4次元の「時空」に触れるものとして、村上さんは「紙破り」を捉えていたのかもしれない。



・「偶然」と「必然」


「偶然を必然として思惟すること、それが理性の本性である」[14]。村上さんがしばしば引用したスピノザの言葉である。筆者の手もとには、岩波文庫版『エチカ』の1995年7月15日第39刷(上巻)および第35刷(下巻)がある[15]。1996年の村上三郎展を準備する際、少しでも村上さんの考えを理解したくて買ったものだが、四半世紀を過ぎた現在もなお読破できていない。読破どころか、冒頭のほんの数ページで挫折したのが正直なところである。言い訳にしかならないが、数ある哲学書のなかでも『エチカ』は相当取っ付きづらいもののひとつではないだろうか。要因のひとつは、その独特な構成にある。セクションごとにまず定義と公理が示され、続いて命題を証明していくという、幾何学的な論証に倣ったスタイルがとられている。まるで科学書を思わせる理詰めの窮屈さが先に立ち、内容が頭に入ってこないのだ。結局、スピノザは「偶然は、実は必然なんですよ」といってるのかなぁ、という程度の認識しか、これまで持ち得ていなかった。


さらに『エチカ(倫理学)』を好んだ村上さんは、「美は倫理を目指すべきだと考えています」とも述べているのだが、これも理解に苦しむ発言である[16]。「倫理」を辞書でひくと、「人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。」とある[17]。およそ村上さんらしからぬ内容である。もし辞書の意味どおりだとしたら、「人間は殺人だってやってしまうんや! 殺人だってやってしまうほど人間は凄いんや」と述べた人間と同一人物の発言とは、到底思えない[18]


村上さんの芸術観を理解するうえで、『エチカ』が極めて重要であることは間違いないのだが、その難解さゆえにこれまで避けて通ってきた。そこで今回、なるべく分かりやすい入門書に頼ることにした。2020年に講談社現代新書として刊行された、國分功一郎の『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』である。もとは2018年12月、NHKの「100分de名著」で放送され、好評を博した番組のテキストをもとに、書籍化されたものだ。


これが非常に面白く、目から鱗が落ちる思いだった。


まずスピノザは「神」について考察する。大前提として「神」が「絶対」かつ「無限」であることには疑う余地がない。「無限」であるから、当然「神」に「外部」は存在しない。従って他のいかなるものからも影響を受けず、自らの中だけにある法則で動くはずである。翻って我々人間は有限である。時間的には寿命という制約があり、空間的には皮膚によって外部と分け隔てられている。そのように理路整然と考えていくと、人の姿を象った「人格神」などあり得ない、ということになる。「神」はいわば「自然」のようなものであるはずで、その中にある万物は自然の法則に従い、自然法則には外部=例外は存在しない。人の姿をした「神」が超自然的な奇蹟を行うなんて、自己矛盾も甚だしいのである。


「神即自然」といわれるスピノザの考え方は、いわば汎神論に近く、人格神の否定という意味では一種の無神論的な側面もあった。当然、教団組織からは危険視され迫害を受けることになる。そのこともあって、彼は自身の哲学を書き残すに際し、慎重に慎重を重ねる必要があった。反論の余地を与えないために論証の緻密さを徹底するなかで、『エチカ』はまるで幾何学書を思わせるスタイルを取ることとなったのである。


次にスピノザは「善悪」について考察する。我々は絶対無限の「神」の中に含まれているのだから、全ての個体はそれぞれに完全であるはずだ。必然的に、それ自体として善いものも、悪いものも存在しない。「善悪」が発生するのは、あくまでも物事の組み合わせの結果に過ぎない。


例えば小杉武久の音楽は、およそ気楽に聞き流せるようなものではない。全存在を賭けた彼の即興演奏は、聴く側にも一定の覚悟のようなものを要求する。もし仮に、大震災の直後に小杉さんが避難所で慰問演奏してくれたとして(あり得ないが)、多くの場合、被災者にとって彼の音楽はキツすぎるだろう。この状況は、小杉さんの音楽そのものや、聴衆個々の「善悪」とは無関係である。ただTPOに応じたマッチングの相性があるに過ぎない。


ここで登場するのが「倫理」の概念である。スピノザは「善悪」を生む物事の「組み合わせ」に注目する。果たしてどの「組み合わせ」がうまくいくのか、個々人の差異や状況に応じて絶えず「実験」することを、彼は求めるのである。各自の自主性を重んじるスピノザの「倫理」に対して、辞書に記述されているような旧来の「倫理」や「道徳」は、既存の超越的な価値を個々人に強制するものであり、管理の意図がより濃厚である。こう考えると、村上さんが志向した「倫理」がどういうものかは明白だろう。


最後に、もうひとつ別の、村上さん特有の口ぐせに触れておきたい。「エエのん決まってる」である。ことあるごとに、彼はこのフレーズを口にした。'60年代、スランプに陥った堀尾貞治と飲んでいた際にも、泣き言をいう彼の胸ぐらを掴んで「何いうてんねん、エエのん決まってるやないか!」と恫喝し、死の直前には西宮北口のバー・メタモルフォーゼに毎晩のように現れ、店の内外に展示された作品をひとつひとつ指さしては「良い! 全部良い!」と言い放ったという。


これだけを聞くと、村上さんが情に流されがちな人物だったと誤解されるかもしれないが、実際には、彼は極めて厳格な審美眼を持っていた。村上さんと一緒に展示室を巡っていた際、ある作家の珍しい初期作品が眼にとまった。赤一色のアンフォルメル調の画面に、「決め」のストロークが一発バシッと入ったものだったが、村上さんはその部分を指して、「これは、要らんな」と呟いた。作品のなかに純度を損なう「夾雑物」のようなものがあるとしたら、彼は決してそれを見逃さなかった。今でも筆者がいろんな作品を見る場合、「村上さんならどういうだろう」と思うことがある。


「エエのん決まってる」は、よく分からないながらも、なにか我々に希望を与えてくれることばである。「限らない世界/村上三郎」展カタログのテキストでは、末尾でこれに対する論考を試みたのだが、『エチカ』を踏まえると、また新たなニュアンスが立ち現れてくるように思う。このことばは、「偶然を必然として思惟すること、それが理性の本性である」というスピノザの発言と、恐らく無関係ではない。


それでは、「偶然」と「必然」をめぐるスピノザの思考とは、いかなるものだろう。彼によると、「自由な意志」など存在しないという。これは意外な見解である。実際我々は、自分自身の意志で日々の行動を選択しているではないか。『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』では、わかりやすい例えとしてRPGゲームの比喩が用いられる。ゲームの中で、我々は自らの意志でコントローラーを操作し、画面内のキャラクターを意のままに操っていると思う。しかしよく考えれば、それはあくまでも誰かによってプログラミングされた、ゲームのソフトウェアがあればこそである。それは現実世界に置き換えても同様で、全てのことには原因があり、因果関係で結ばれている。我々が自発的に何かをしたと思えるのは、単にその原因を認識できていないからに過ぎない。「偶然を必然として思惟すること、それが理性の本性である」は、まさにこのことを指している。それを村上さん流に、ポジティブに噛み砕いた表現が、「エエのん決まってる」なのではないだろうか[19]



・結び


本稿のタイトルは、1963年の村上さんの文章「存在には理由はない」から採ったものである[20]。意外にまとまった著作の少ない村上さんの、代表的な文章のひとつである。存在を分析的に捉えるのではなく、ありのままの世界を驚きを持って受け止めることの重要性(あるいは困難さ)が説かれており、極めて簡潔ななかに、その思想のエッセンスが凝縮されている。本稿で考察してきた「時間」と「空間」、「偶然」と「必然」をめぐる村上さんの思考も、基本的にはその延長線上にあるといえるだろう。社会生活を円滑に行うためには、我々は様々な規範から逃れることはできない。一方、村上さんが指し示すホーキングやスピノザの発言に対して、我々は目から鱗が落ちるような驚きを感じる。月並みな表現ではあるが、それはふだん我々の思考が、実に様々なかたちで束縛されており、そのことを自覚するのがいかに困難であるかの裏返しであろう。村上さんにとっての芸術は、できる限り常識や既成概念を排し、ありのままの世界とダイレクトに切り結ぼうとする、いわば人生を賭けた試みだったといえるのではないだろうか。

(やまもと・あつお/横尾忠則現代美術館 館長補佐兼学芸課長)


『兵庫県立美術館研究紀要 第17号』兵庫県立美術館(2023)


[1] 「開館30周年記念 特別展 限らない世界 / 村上三郎」芦屋市立美術博物館、2021年12月4日〜2022年2月6日

[2] 南天棒、本名:中原鄧州(1839-1925)。明治から大正にかけて活動した臨済宗の禅僧。酒豪としても知られる豪快な人柄で、形骸化した禅の在り方に異議を唱え、南天の棒を携え全国の禅道場を巡っては修行者を容赦なく殴打したという。1902年より西宮の海清寺の住職となる。吉原治良、通雄父子の葬儀は同寺で行われている

[3] 「真夏の太陽にいどむモダンアート野外実験展」芦屋川畔芦屋公園、1955年7月25日〜8月6日、「野外具体美術展」芦屋川畔芦屋公園、1956年7月27日〜8月5日

[4] 村上三郎「1996年の個展に際して」『村上三郎展』カタログ、芦屋市立美術博物館、1996年、p.8

[5] 坂出達典『ビターズ2滴半 ―村上三郎はかく語りき―』せせらぎ出版、2012年

[6] 前掲書5

[7] 1996年の芦屋市立美術博物館での個展タイトルを決める際、「ひとつになるために」というサブタイトルを村上さんが一時提案したが、すぐに撤回し、結局シンプルな「村上三郎展」に落ち着いたと記憶している。当時はその意味が分からなかったが、今にして思えば「時間」と「空間」をひとつのものとみなすホーキングの発言に関係したものだったのだろう

[8] 「18桁精度の可搬型光格子時計の開発に世界で初めて成功 ~東京スカイツリーで一般相対性理論を検証~」東京大学工学部ブレスリリース、2020年4月7日 http://www.t.u-tokyo.ac.jp/press/foe/press/setnws_202004071401382830455235.html

[9] 村上三郎展「無言」無減社(大阪)、1973年10月1日〜6日

[10] S. W. ホーキング『ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで』早川書房、1989年(原題:A Brief History of Time)

[11] 前掲書10が常体で書かれているのに対し、前掲書4の引用文は敬体であるため、参照元は別の文献だと思われるが、出典は確認できていない

[12] 前掲書10、p.49

[13] 前掲書5、p.116

[14] 前掲書4、p.8 『村上三郎 スルー・ザ・セヴンティーズ』アートコートギャラリー、2013年、p.31

[15] スピノザ(畠中尚志訳)『エチカ』岩波文庫、1951年初版

[16] 『村上三郎 スルー・ザ・セヴンティーズ』アートコートギャラリー、2013年、p.32

[17] weblio辞書(デジタル大辞泉) https://www.weblio.jp/content/倫理?dictCode=SGKDJ

[18] 前掲書5、p.28

[19] スピノザにおける 1)人格神の否定、2)人間の価値基準にもとづく善悪の否定、3)自由意志の否定は、親鸞の唱えた1)偶像崇拝の否定、2)悪人正機説、3)他力本願 にそれぞれ対応しており、両者には親近性があるように感じられる。村上三郎の影響を受けた堀尾貞治が、後年『妙好人伝』を題材とした木版画シリーズを(それが浄土真宗の篤信者の列伝であることにほぼ無自覚のまま)手掛けたことには、なにか運命的なものを感じざるを得ない

[20] 村上三郎「存在には理由はない」『美術ジャーナル』第38号、1963年3月

存在には理由はない。

収入と支出は全く無関係である。

存在には理由はない。

存在には次元の異なるものが入りまじっている。

存在には理由はない。

言葉は物の表面をなでまわすに過ぎない。

存在には理由はない。

人が生き、物がそこに在ることは奇怪である。

存在には理由はない。

絵画はいろいろな次元に存在する。

存在には理由はない。

傑作は理由を問うことを断念させ、鮮やかに存在する。

存在には理由はない。

重要なことは理由のないことである。

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