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『もうすぐ産まれます』

学生時代の友人からなんの前触れもなくたった一言「もうすぐ産まれます」とLINEが来た。わたしは返事が出来なかった。そしてそのまま彼女とのトークルームを非表示にした。

どいつもこいつも敵だ。どこもかしこも敵ばかりだ。わたしが勝手に思っているんだろう。わたしの歪んだ思考がわたしを不幸にしている。大人になるにつれて考えが柔軟になるかと思えばどんどん凝り固まっていった。

子供の頃に感じた「楽しい」「面白い」だけでは生きていられなくなった。みんなが駆け上がるライフステージをわたしも一緒に登りたかった。ただただ他人が羨ましかった。

朝の情報番組をつければ視聴者から寄せられた子供の動画が流れる。通勤で保育園の横を通れば子供を連れてせわしなく歩くお父さんお母さんの姿が目に入る。幼稚園の入り口にある綺麗に手入れされた花壇の花だけが癒しだ。白いシャツをなびかせながら自転車を漕ぐ男子高校生の若さを羨んだり、だらっとしたリュックを背負って歩く女子高生の未来を羨んだり、あったはずの時間を何度思い返してももうあの頃には戻れない寂しさだけが身体中に充満していく。

だからちゃんと、自分の人生を生きるべきだった。生きながら傷ついたり喜んだりを繰り返して大切なものが何かを明確にして、愛する人を見つけたり自分の家族を作ったり、そういうことの大切さを「アラサー」や「適齢期」を迎えて思い知る。昔は知らない感情だった。

知り合いのお母さんに会えば「二人目産まれたんだよー」なんて声をかけられる。その知り合いにはもう中学の卒業以来会っていないのにね。もうみんな知らない誰かなのにほんの一瞬の交わりが十何年経ってぶり返される。苦しいね。

結婚したら、普通になれますか?
子供を産めば、女としての責任は果たせますか?社会に貢献できますか?父と母は喜びますか?
「そういうことじゃないよ」「いろんな考えがあるよ」でもそのいろんな考えに両手を上げて賛成してくれるわけじゃないことくらい知っている。本当に、本当に叫びたいような瞬間がある。本当に声を上げて大泣きしたいときがある。

みんなと同じになれないまま今日まできてしまった。みんなと同じことはわたしにとって大切なことだったのかもしれない。みんなと同じは嫌だとか、自分はみんなとは違うとか、そんな考えを持っていいのは特別な能力がある人だけだ。結局何にもなれなかった。わたしは何になりたいんだろう。

『もうすぐ産まれます』

本当にしばらくぶりの連絡がこれだったね。わたしね、あなたのこともうずっと前からブロックしていたよ。あなたに振り回されるのはもう嫌だって思ってしまったから。あなたが苦労を経て普通の幸せを手に入れて「よかったね」なんて思えなかった。わたしは心が狭くて醜い。これ以上自分でそれを実感するのが嫌だった。ごめんね、わたしのなかでは「友達」をやめてしまった。わたしのなかであなたは過去の人になった。あなたは昔のまま、わたしのことを思い出してくれたのにね。それを優しさだとか単純に喜べるわたしでありたかった。でももう、そんなことも出来ないから。

「普通」の海に放り出されて漂いたい。「普通」であることを実感して「ああ、やっと生きやすくなった」って言いたい。ありのままの自分で生きたら社会からはみ出ていく一方だから。

常に泣いてます。